湖畔にて

    木崎湖
真夏の夜のふけるころ、最終電車が北へ下る
闇の中に、車窓から溢れ出す光は
何処へ、そして誰を運んでいくのだろう
キャンプファイアーのうたげもすでに終わり
ひとりわたしは、湖畔に立ち尽くしていた
あのじりじりと焼けつくような太陽はすでに稜線のはるか彼方に落ち
夏の夜の持つ独特な冷気だけが、星くずのしじまに溶け込んでくる

山を好きになったのは、いつのころだったのか
いつ果てるともない縦走路を
ひたすら歩き出したのはいつのころだったのか
言葉をかわすこともない山にひとり入り
ただ満天の星を見上げていたのは、いつのころだったのか
風雪のなか、凍える身に酒を入れ
指さきの感覚がなくなるほど冷えるまで
テントの中で酔っていたのは、いつのころだったのか

むさぼるように山の本を読んでいた
まだ見ぬ山に想いをよせて
壁ぎわにうずたかく積まれた山の雑誌
変色し黄ばんだ背表紙が哀しい
ときにその写真からなつかしい山小屋
時空を越えての山旅はたのしい

一枚の地図がある
登山道のいたるところに引かれた赤い線
雨に濡れ、後ろに押したスタンプのインクがにじんでいる
セピア色にまでなってすり切れたその地図
どこで買った地図だろう
山旅の先々で立ち寄る本屋
2万5千分の1の地図
星明かりだけをたよりに歩いてきたわたしの地図

                      平成7年 信州 木崎湖畔にて





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