白根山の避難小屋で

2004年06月07日

「シラネアオイ」―――奥日光の白根山で命名された一属一種の日本特産種の花である。
関東以北のブナ帯や亜高山帯の林床に群落を作っている。高さ20cmから40cmの茎の上に葉を二枚つける。花弁のような四枚はガク片で花弁ではない。
このうす紫の色をした六月に咲く「シラネアオイ」をわたしは好きになった。
 毎週でも会いたいと思っていた。
昭和五十八年の話になる。
六月のつゆの合間をぬって登ることにした。
日光のスキー場のリフト乗り場から九時に歩き出した。もちろんリフトなど動いていない。
この時期、山に登る者は少ない。
まだ二日酔いの頭が正常に起動していない。
このころのわたしはいつもそうだった。
「明日、山に登る」
と決めた夜は必ず、深酒をした。
焼き鳥「つかさ」で女将に山の話をして、
「気をつけて行ってらっしゃい」
と言われ店を出ると、そそくさと二軒目のスナックへ歩き出していた。
「シラネアオイを見に日光の山に登る」
ママや店の女の子にくどいくらい話をして、夜半まで「アリス」を歌っていた。
 ブナの林からの木漏れ日を浴びて、昨夜の酒がすべて体から抜け出るころ、前白根の山頂に着く。
二時間四十分の登りは、体調がいい証拠だ。
一時間の大休止を取り、少しぬるくなりかけた缶ビールを開ける。
二等三角点のわきの石に腰をおろしてゆっくりと五色沼を見下ろす。
この時刻の沼は深緑の色をして波ひとつない。
その沼からまっすぐに首を上げていくと白根本峰がそびえている。
岩稜は陽にあたり、この山の男らしさをきわだたせる。
再び視線を沼の左側に下ろしていくと、樹林帯の中に避難小屋の黒っぽい屋根が見える。
ウイスキーを水割りで二杯飲み、ラーメンを食べ終えたわたしは、ほろ酔いかげんで小屋へ歩き出す。
稜線を歩くという感覚よりも、むしろ眼下の沼が動いているような、高度感に慣れていないヒト(人類)の持つ感覚がおもしろい。
一時間十五分の下りで「避難小屋」に着く。
目が慣れないまま小屋に足を踏み入れた瞬間、焚き火をしたあとの炭の臭いが鼻に飛び込んでくる。
――昨夜の宿泊者はだれかいたのか、今夜はオレ一人か――。
暗さに慣れた目で小屋の中を観察する。
壁に取り付けられた棚に使いかけの醤油やソースのビンが置いてある。
ザックを板の間に下ろし、土間でザン靴を脱ぐ。
柱に一冊のノートがぶら下がっている。
六月十八日(金)の日付が一番新しい。昨夜の宿泊者である。
三人のパーティが泊まっている。
ノートを二ページほどめくると、五月十四日(日)のつい一ヶ月前のわたしのメモになった。
あれから八組のパーティがこの小屋を利用していた。
人里から四時間以上離れたこの無人の山小屋で、今夜一晩過ごすことの楽しみと、ほんの少しの恐怖感を入り混ぜながら、わたしはまだたくさん残っているウイスキーをサバの缶詰で夕暮れの白根の稜線をながめながら飲み始めた。



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