fragrance
「クーラ、私は出かけてくるからいい子にしてるんだよ」
「はーい」
「セーラの言う事をよく聞くんだよ」
ダイアナがそう言って姿を消して、しばらく経つ。クーラはする事もなく暇をもてあましていた。
ここはK’達の現在の住処。ダイアナが出向かなければならない用事がある時、クーラはもっぱらウィップ達に預けられていた。ダイアナはあくまで「ウィップに」という事であったが。
プツンと消えるテレビの画面。
クーラはつまらなそうにソファに乱暴に腰を下ろした。
「あれ…?」
クーラはテーブルの上にあるあるものに気がついた。ポツンと置かれた小瓶である。
「ダイアナの忘れものかな?」
クーラは淡い水色の液体の詰まった小瓶を手に取り眺め、フタを開けてみる。
すると、かすかな芳香が瓶から漂ってくる。今日のダイアナからしていた香りだ。
「これ、香水だ!」
クーラは物珍しそうに香水の瓶を眺めた。
ノズルの部分を軽く押してみると、フローラルな香りが一面に広がる。
「はあ…いい香り…!」
クーラは香水の芳香を鼻腔に感じ、溜息を漏らす。
濃密な花の香りがいくつも重なり合い、芳醇な香りを生み出している。
ダイアナから漂ってきたような大人の女性の香りがクーラの前に蘇ってくるようである。
「ちょっと…使わせてもらってもいいよね!」
クーラは瞳を輝かせながら、自分に向けてノズルを押す。何とも言えぬほのかな香りがクーラの前を染めていく。
フローラルな花の香りがクーラを包む。
その香りは、自分を大人の女性に変える魔法のようにクーラは感じた。
クーラはふと鏡を眺めてみる。
いつもと同じ、身体とは対照的に幼く見える顔立ち。
子供らしく真っ白なワンピース。
しかし、クーラの体から漂う香水の芳香は、自分を別人に変えたような気持ちにさせた。
目を閉じればそこに、一端の大人の女性として扱われる自分がいるようである。
「誰かに、見てもらいたいな!」
クーラは顔を明るい色に染め、部屋を飛び出していった。
「セーラもマキシマも留守だし…今家にいるのはK’だけかな!」
クーラはK’のいる部屋の扉を開いていた。
ソファに腰掛ける銀髪の男がいる。
K’は部屋に入ってきたクーラにも気づかず、雑誌を読んでいた。
「ねえ、K’〜!」
「…何だよ」
クーラは声を弾ませてK’に話しかけた。K’はそのままの体勢で無愛想に返答した。
「今日のわたし、どこか違うと思わない?」
クーラはニコニコしながらK’の前でくるりと一回転する。
「いつもと変わんねえじゃねえかよ」
「わっかんない〜?」
クーラは微笑を浮かべたままK’に顔を近づける。
「わかんねえよ」
無関心そうに反応するK’。それを見てクーラは頬を膨らませる。
「も〜、わかんないの〜?」
クーラは一瞬ムッとしたが、直後K’の首に手を回しさらに顔を近づけた。
「どう?」
クーラの白い首筋から蠱惑的な香りが漂い、K’の鼻腔を刺激する。
「なっ、何してんだよ!…ん!?」
「気づいた?」
ようやく反応を示したK’に、クーラの顔が喜びの色に染まる。
「…テメエ、何の匂いをつけてやがんだ?」
顔をしかめながら不快感をあらわにした反応を、意外にもK’は示した。
「なにって、香水じゃない。いい匂いでしょ?」
「どこがだよ。そんなきつい匂いをプンプンさせてんじゃねえよ…!」
不快感を隠さないK’の予想外の反応に、クーラは目を丸くした。
「…ひどい!”大人っぽいね”とか、”合ってるよ”とか、いい言いかたがあるじゃない!」
「そんなもんつけてんじゃねえよ。ガキがそんな真似すんのは早えんだよ…」
「む〜…!」
クーラは表情を一変させ、怒りに顔を紅潮させる。
「K’のばか!!知らない!!」
クーラは乱暴にドアを閉め、駆け出していった。
「………」
K’は無言でその後姿を眺めていた。
買い物に出かけていたウィップとマキシマが帰ってきたのはそれから間もなくだった。
「クーラ…どうしたの?」
「K’が…わたしの匂いを”そんなもん”って言った」
クーラは部屋の隅で頬を膨らませながら、ぶっきらぼうに返答した。
ウィップはふとテーブルの上にある香水の小瓶に気がつく。
「あの子ったら…本当にデリカシーないんだから」
その一言でウィップは何があったのかを察し、立ち上がった。
「マキシマ、クーラの方をお願いね」
「おうよ」
ウィップはK’のいる部屋へと静かに歩いていった。
K’は先程と変わらない体勢でつまらなそうに雑誌を読んでいた。
「K’。ちょっと」
「説教なら沢山だぜ」
K’もまた、クーラ同様ぶっきらぼうに返答した。
それをよそに、ウィップは静かに腰を下ろす。
「女心のわからない人ね。そうでなくても、あの子はあなたに子供扱いされるのを嫌がってるのに」
K’は無言だった。
「あなたに子供じゃないって言ってもらいたかったんじゃない」
「…そうかよ」
K’は相変わらず顔を背けたままだった。
しかし、サングラスの位置を手で直したようだった。
「何であんなに怒ったの?」
ウィップは、クーラの様子から何があったのかをほぼ推測できていたようだ。
「…ら…だよ…」
「?」
「…あいつの匂いがしなくなっちまうからだよ」
K’の呟きにウィップは目を丸くした。直後にウィップから一息漏れる。
「おい、何か勘違いしてんじゃねえのか!?あんな匂いを普段からギンギンさせられてたら困るって言ってんだよ!!」
K’はごまかすように声を荒げた。
それをよそに、目を細めるウィップ。
「はいはい。言わないでおいてあげるわ」
チッ、とあからさまな舌打ちをするK’。
「でもあなたの言い方は良くないわ。後で謝ってらっしゃい」
穏やかにウィップはそう言うと、部屋を去っていった。
「お気に入りだったんだもん…ほめてもらいたかったんだもん…」
口を尖らせながら呟くクーラの言葉を、マキシマは聞いていた。
「そうか…悪く思うなよ嬢ちゃん。あいつの照れ隠しってやつさ…」
「だからってあんな言い方」
「あいつはな、香水の香りよりお前さんの普段の香りの方が好きだからさ」
「…ホント?」
「ああ本当さ。お前さんだって、香水よりこういう香りの方が好きだろ?」
マキシマはポケットを探ると、棒つきのキャンディーを目の前に出した。
包みを取ると、甘いフルーツの香りがクーラの鼻腔を刺激する。
「うん、好き!…くれるの!?」
「ああ、留守番してたお前さんへのお土産さ」
マキシマからキャンディーを受け取ると、笑顔に顔を染めて口の中に頬張る。
「(まさに”花より団子”だな…)」
マキシマは穏やかに口の先を緩めたようだった。
「とはいえ、K’の奴も言い過ぎだな。これをだな…」
「えっこれ…うんわかった!」
マキシマは笑みを浮かべながら、クーラにあるものを手渡した。
その光景を見てウィップは、安心そうな表情を浮かべていた。
それからしばらくした後の事だった。クーラが再びK’のいる部屋を訪れる。
K’の顔は相変わらず向こうを向いたままである。
クーラは静かにK’の顔の側に回った。
「…怒ってんのかよ」
「別に」
クーラはそっけなくそっぽを向きながら答えた。
その横顔を眺めるK’。
「K’、悪かったって思ってるなら目をつぶってて!」
「………」
K’はしばらくの沈黙の後乱暴に目を閉じた。
「これで満足なのかよ!」
目を閉じているK’にはわからなかったが、クーラの顔には笑みが浮かんでいた。
途端に、K’の口の中に何かが乱暴に進入してきた。
「!?」
K’の口の中に甘い香りが広がる。そして、甘いフルーツの味が口の中に広がる。
「なっ何だよ、これは!?」
目を開いたK’は、自分の口に棒つきキャンディーが押し込まれているのを目の当たりにした。
「こういう匂いなら、いいんでしょ?」
口元を緩ませるクーラ。ちゃんと味わえと言う意志か、キャンディーの棒を離さなかった。
「マキシマからもう一本もらったの」
「こんな甘ったるいもん、食えるかよ」
「ダメだよ、ちゃんと食べないと許してあげない」
口の中の甘い香りと味とは対照的に、苦い表情を浮かべるK’だった。
そして、クーラは笑顔を浮かべていた。
ウィップはキッチンに立っていた。その傍らにマキシマも立っている。
「あら珍しい、あなたでもキャンディーなんて舐める事があるのね」
「まあそんな気になる事もあるさ。あと一本あるんだが、あんたもどうだい?」
「じゃあお言葉に甘えようかしら」
一つの屋根の下で、四人に同じ甘い香りが広がっていた。