「私が、ネリネ様の代わりに…ですか?」

私−リコリス−が、体調を崩したネリネちゃんの身代わりとして人間界での式典に出席する。
それが、突然伝えられた話の内容でした。

(私が、人間界に行けるの?)

ふと、頭をかすめた思い。
実験体である私にとって、それは考えもしなかったこと。例え望んでも叶わなかった筈のこと。
でも…考えたならば、叶うのならば、これほど魅力的な話は他に無く…
『友達が体調を崩しているのに不謹慎だ』とは思いつつも、私は喜んでこの話を了承したのでした。

私の生涯の中で最大の出逢いがあるなどとは、露ほどにも思わぬままで…


「バチが…当たったのかな…?」
初めて訪れた人間界。きっと私は浮かれていたのでしょう。
気付いた時には、近くに知った顔は一つもありませんでした。そう、私は迷子になっていたのです。
そして、幼心に『ネリネちゃんが体調を崩しているのに、心配していなかったからバチが当たった』のではないかなどと考えていたのでした。

あっ、説明が遅れました。申し訳ありません。
ネリネちゃんは私のお友達で、魔王フォーベシィ様の愛娘、つまり魔界の王女様ですね。
生まれ持った魔力が大きく、それを制御出来ない為によく体調を崩されてます。
今回もそれで、人間界に来ることが出来なくなったのでした。
優しいお方なので元気になって頂きたい、といつも思っています。
もっとも、この時の私は自分のことで頭がいっぱいで、一時的とはいえ忘れてしまっていたのですが。
それから…私のオリジナルになります。
私は、ある実験の為にネリネちゃんの細胞を基に作られた実験体−ネリネちゃんのクローン−なのです。
今回私が代役になったのも、偶然ではなく『元が同じ私達が外見上そっくりである』からでした。

話は戻りまして。
一人になってしまった私は、知り合いを探して歩き始めました。知らない土地で、当てもないのに。
でも、見つけることは出来ませんでした。…まぁ、当然ですよね。
夕暮れ時まで探して、それでも見つけられなくて、心細くて。
偶然見つけた公園で、私は空を見上げていました。
どれくらい見上げていたのか、覚えてはいません。
ただ、何時の間にか近くに一人の男の子がいることに気付きました。
私と同じくらいの年に見える男の子。
一人で寂しかった私は、その男の子が現れたことが嬉しくて思わず声をかけていました。
「私、リコリス」
その男の子は、急に声をかけられたせいかほんの少し考えた後に
「ボクは稟。土見、稟」
そう言って、私の手を取ってくれました。
その後、私達はブランコをどこまで上げられるのか競い、砂場に大きなお城を作り、時間も忘れて鬼ごっこをして…
そして、辺りもすっかり暗くなった頃に、私は私を探していた人達に発見されたのでした。
出会った時点で既に夕方でしたから、時間的にはほんの僅かな邂逅だったのでしょう。
それでもその時間は、私が普通の女の子として過ごせた数少ない時間で、何にも替え難い大切な宝物になりました。

これが、私の生涯最大の出逢い。稟さまとの出逢い。そしてその後行くことのなかった人間界の思い出です。


魔界に戻ってきた私は、まずネリネちゃんのお見舞いに行きました。
この時は魔王様がいらっしゃったのでご挨拶をします。
「魔王のおじ様、こんにちは。ネリネちゃんのお見舞いに来ました」

本当なら「魔王様」とお呼びしなければいけないと思うのですが、魔王様のほうがそれを嫌がる為、私は「魔王のおじ様」とお呼びしています。
なんでも、「娘にそっくりな姿と声で『魔王様』なんて呼ばれると、心臓が止まりそうになる」ということです。
それと、ネリネちゃんのことも「ネリネ様」とお呼びすべきなのですが…
こちらは、「リコちゃんは大切なお友達です。だから様付けはやめて下さいね」と言われたから。
だから、私は魔王様やネリネちゃんしかいない時には「ネリネちゃん」と呼んでいるんです。
あぁ、これは余計な話でしたね。

「ん、リコリスか。いつもすまないね。ネリネちゃんなら部屋にいるよ」
魔王様への挨拶も済んだところで、私は通い慣れたネリネちゃんの部屋へと向かうのでした。
今日の話は人間界での話。
とても楽しかったから、こんなに楽しいことがあるって知って欲しかったから。
結局、その日は時間が過ぎるのが早くて、いつもより長く喋りすぎてしまったのでした。
ごめんね、ネリネちゃん。

後日。
今日は一つの発見をしました。それは、ネリネちゃんの名前nerineの中にrinの綴りがあること。
人間界で出会った、あの男の子の名前。ただそれだけのことなのに、私は嬉しくて嬉しくて。
次にネリネちゃんに会った時には、この話をしようと決めました。

そして、次にネリネちゃんに会いに言った時の話。
「ネリネの名前の中にも、リンがあるね。稟さまと同じだね。」
そう言った私の顔は、きっと満面の笑みだったと思います。
そして、それだけではなく
「ねぇ今度から、『リンちゃん』って呼んでもいいかな?」
と言っていました。
ネリネちゃんは嫌な顔もせずに了承してくれて、この日から『ネリネちゃん』は『リンちゃん』になったのでした。
その時のリンちゃんの感想…
「リンちゃん、リコちゃん、リムちゃん、って3姉妹みたいだね」
って。私も
「そうだね」
って返事をして、2人でくすくす笑ったのを覚えています。
ちなみにリムちゃんというのは、私と同じ実験体で私より後に作られたプリムラちゃんのことです。
私の妹みたいなものですね。

更に後日。リンちゃんのお見舞いに行った私は歌を歌っていました。
実験体として自由に外に出られない私が覚えた、一人でできる楽しいこと。それが歌を歌うこと。
話題を多く持たない私にとって、歌はリンちゃんと一緒にいる為にも必要なものでした。
だから、ここまでは良くある光景。
ですが、リンちゃんの感想がいつもとは違いました。
「人間界に行ってから、リコちゃんの歌はラブソングが多くなりましたね。一緒に遊んだ男の子のことが本当に好きなんですね」
それが、リンちゃんが優しい笑みを浮かべて言ったその日の感想。
それを聞いた私は
「えっ?」
と言ったきり、顔を赤らめて固まってしまったのでした。
そしてそのまま、自分が何をしていいか分からなくなってしまって、その日はまもなく解散しています。
その後、リンちゃんと別れて一人になってから、言われたことについて考えてみて…
私は、ようやく『自分が恋をしている』ことに気が付いたのでした。

それからの私は−いえ、これまでもそうだったのでしょう−毎日、稟さまへの想いを胸に抱きながら過ごしていくことになります。
この恋を、大切に、無くさないように。
そしてこの頃が、平凡ながらも幸せに過ごしていた日々でもありました。


その後、少しだけ時が過ぎて…
不意に訪れた『平凡な日々の崩壊する時』。
最初は、ほんの些細なこと。
実験後、少し疲れが取れにくいだけ。
だから、その時には「たまにはこんなこともある」くらいに思っていたのですが…その後、疲れは溜まっていく一方で。
やむなく、私は自分の身に何が起こっているのかを尋ねることにしたのでした。
その答えは「細胞が急速に劣化している」というもの。
未完成であるクローン技術を使って生まれた私にとって、それは充分予想のできたこと。
けれど、できれば起こってほしくなかったこと。
そう、それは紛れも無く「死の宣告」だったのです。
こうして、私にとっての平凡な日々は終わりました。

この後数日間、私は残された僅かな時間の中で「何がしたい」のか、「何ができる」のかを真剣に考えて一つの結論を出します。
それは、出来るかどうか分からないこと。
それでも、私はその願いを告げたのでした。
「自分の体に残った力。生命力をネリネ様に渡して欲しいんです」
「二人分の命があれば、きっと魔力を制御できるようになるはずだから」
「外を元気に走れるようになるはずだから」
生命力については、まだ解明されていません。
なにより私は、その「生命」を調べる為の実験体なのです。
本当に、都合のいい願いでした。
でも、言ってみるものですね。
調べた結果は、元々が同じ存在である私とリンちゃんならば融合だけは理論的に可能、というものでした。

…いよいよ明日。私とリンちゃんの融合が行われます。
だから今日、私は最後の歌を歌います。

『きっと、元気になってくれる』
そんな祈りを込めて。

『リンちゃんには外を走る楽しみを知って欲しい。恋をして欲しい』
そんな願いを込めて。

『大切な友達がいて、好きな人もできて。私は幸せでした』
そんな感謝を込めて。

『私の大好きな2人の「リン」に幸せになって欲しい』
そんな想いを込めて。

一生懸命、「この歌が届いてくれる」と、そう信じて…


その後、融合は無事に成功しました。
そして、更に時間は流れて…この先は2人の「リン」による、このお話のエピローグ。


いつもの学校。いつもの教室。いつもの様にネリネに声をかけられる。
「稟さま、今日の放課後に少々お時間をいただけますか?」
…前言撤回。『いつもの様に』ではないようだ。
いつものネリネなら『よろしければ』が付いてくるところだろう。
「…何かあるのか?」
一応、確認の為に聞き返してみる。
「えっ?あ…はい!」
はっきりと返事が返ってくる。どうやら気のせいではなかったらしい。
「今日はどうしても稟さまと一緒に行きたいところがあるんです」
「今日でなければダメなんです…」
ネリネがここまで言うんだ。返答なんて決まっている。
「分かった。放課後だな?」
俺の返事を聞いたネリネは…
「はいっ!」
予想に違わぬ満面の笑みを見せてくれた。

そして放課後。
「来たかった所は、ここなのか?」
ネリネに連れられて来たのは、俺達の出会ったあの公園で。
「はい、ここです。どうしても今日はここに来なくちゃいけなかったんです。他の場所は考えられなかったんです。」
そんなネリネの返答を聞きながら、俺は何故『今日』なのか分からずにいた。
出会った日ではないし、誕生日でもないし…。
そんな考えが顔に出ていたのだろうか?ネリネは俺の顔を見て
「ふふ…稟さま、今日であるのにはちゃんと理由があるんですよ?」
と、微笑んだ。
「もっとも、稟さまが分からないのも当然なんですけどね。このことは、今まで話していませんでしたから」
そこでネリネはブランコのほうへ歩き始めた。ただ、言葉は続く。
「今日は、人間界の日付に換算した場合、私が元気になった日になるんです。」
元気になった記念日であるなら喜ぶところのはずだ。
でも、今のネリネの雰囲気はとてもそうは感じられなかった。
その時ふと気付く。その言葉の示す本当の意味に。
ネリネはこちらに振り向いて
「…さすがは稟さま。お気づきになられたようですね」
「そうです。今日は私が元気になった日。リコちゃんと融合した日。リコリスという存在が無くなった日」
「…リコちゃんの、命日ですね」
「だから、私はここに来たかった。稟さまと一緒に来たかった」
「ここは、リコちゃんと稟さまと私、3人を繋ぐ場所だから。3人の思い出の場所だから」
「だから、ここじゃなくちゃいけなかった…」
…理由を告げた。
そして、空を見上げて
「今日はリコちゃんの為に歌いに来ました。今の私が幸せだよ、と伝える為に。私達が幸せだよ、と伝える為に」
それから、もう1度俺を見て
「だから…稟さまも一緒に歌ってくださいね?」
その申し出は、口調こそ柔らかかったものの強い意思を感じられた。
更に、ダメ押し。
「リコちゃんが幸せになって欲しかったのは、私だけじゃありませんから。」
念を押されるまでもなく、断る気の無かった俺はこう答えることにする。
「俺達を会わせてくれた人の為、だもんな。」
「たまには歌うのも悪くない」

そして、2人で歌い始める。
その歌はレクイエム。自分たちが幸せでいることを伝えるだけの、少し変わったレクイエム。
それは、期せずして行われた、彼女の願いの歌への返歌であり…
『幸せになって欲しい』という小さな願いが叶った確かな証。

この時の『天使の鐘』は、どこまでも鳴り響き、忘れられないものになった。

それはきっと…
ネリネだけでなく、リコリスだけでもなく、
時を越えて、ネリネとリコリスの両方が協力して奏でた
『天使のツインベル』だったから。