遐方記




 



「弘化二年大火の記述」

 大慈寺がある小野寺には、小野寺氏とゆかりの深い住林寺がある。
 時宗に属する寺院さんで、多くの文化財などを保有している。

 その住林寺の江戸末期のご住職が日記を残されていた。そこには、リアルな江戸時代の僧侶の見聞きしたこと、日常が書かれている。
 中に大慈寺の記述もあるというので、歴史研究会のNさんに頼み、その部分だけの資料を見せていただいた。

 「弘化二乙巳年二月十日夜、当所大慈寺義薬師堂より火出づ。本寺残らず焼失。翌十一日の朝、直ぐに見舞いへ行く。」
云々と書かれていた。
 何ともリアルなものである。それにこれで間違いなく江戸時代の火災の日付がわかる
  当時としても大慈寺は名前が通っていたようであるが、薬師堂が出火元となり、全焼してしまったということだ。
 またその前後のまわりの方々の様子も知ることができた。
 すなわち直ぐに、新しい手桶を準備され、飯を三升を焼き結びにして、その他香物を二十本、出入りしていた子供二人に持たせてそのご住職がお見舞いに来られたと書かれている。
 そしてしばらくおちついた一四日には、焼合力金という、何を示すかわからないお金を百疋持参された。

 ありがたいことに、住林寺のご住職は、大慈寺が復興していく様子も書いていただいてる。
 「十一月十二日薬師江戸より寄付する人あり。これに入仏いたす。」
とある。
 大慈寺が多くの信者さんに支えられていることを伺い知ることができ、また住林寺のご住職がよく書いて残していただいたものと感謝し、記録としてここに書き残しておきたい。



                                          (2013,9,23)





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