第二章 大慈寺住職へ
一 後継者
このような慈光寺と道忠の状況の中で、あることが道忠によって決定された。そのことが、多くの僧侶たちが驚きと羨望と、ある種の妬みの感情を抱かせる展開ともなったのだが……。
その発表は午前中の講義のあと、道忠によって唐突になされた。
「ここで、上野と下野の私の跡継ぎの発表をしたいと思う」
一瞬、突然のことに、僧侶たちのざわめきがあった。その雰囲気を無視するように道忠は続けた。
「浄法寺を教興に、大慈寺を広智に委任したいと思う」
一瞬その発表に皆が静まった。
「私としても、熟慮した上の結果である。皆に了承してもらいたい。そしてすぐに、法灯継承式の準備に入るようにしたい」
それだけを言い終わると、本尊に一礼したあと、道忠は細い体を左右にゆらしながら、講堂から出て行ってしまった。
この二か寺は、実質は道忠が管理しており、いずれは跡取りの問題は出てくるとは思われていたのは確かだが、予想以上に早い段階での決定だったのは間違いない。道忠が病気になった場合か、場合によっては、死の枕辺で後継者の発表があるのではないかと、漠然と考えていた者が多かったであろう。しかしそう考えていた者だけでなく、ほとんどの者たちにとっても、これほど早い発表とは想像していなかった。
年功序列とまでは言い切れなくても、ある程度、
であるから、教興を浄法寺の、広智を大慈寺の住職にする道忠の策は一見奇案だったが、道忠の年齢、弟子たちの修行の様子、東国仏教の現況を考え合わせるならば、無理からぬことは、冷静になって考えれば誰にでもわかることであった。
当の教興と広智とは、慈光寺における講堂での公表の前に、道忠から内々にこの話を打診され、それぞれ任が重過ぎるとして辞退をしたのだが、師匠の言に逆らえるはずはないし、「地方に、正しい仏教を広めよ」という道忠の言葉が、若い二人の踏み出しの後押ししたのも事実だった。
この両寺は私寺ゆえに、国府の許可をもらうにしても形式的なもの、管理者が指名すればそれで決定されてしまうことであり、この道忠の決定そのものが住職の選出と同義であった。
そんな経緯があって、様々な僧侶や、場合によっては一般人の想いとは離れて、二人の住職就任の式典の準備は、着々と進められることになった。
就任式典は、浄法寺の教興が
二 法鏡の想い
「法鏡さん。ちょっとよろしいか」
大慈寺の後継ぎに発表があってから忙しくなった広智は、あの日「おめでとう、がんばれよ」と法鏡に一言声をかけてもらってから、ゆっくりと話ができなかった法鏡に、この日思い切って声をかけた。法鏡は普段と変わりない様子を見せて、池の周りの掃除を続けている。法鏡は
「法鏡さん。君は今後どうなされるのか」
ずっと思い続けてきたいろいろの想いを、この短い一言に広智はぶつけた。
「どうもこうもない。……自分は、ともかく道忠師匠の元に残り、自分の教えの確立に努力するまでのこと。広智さんは、自分のことは気にかけずに、自分の役目に
法鏡は素っ気ないもの。広智は
「君はそもそもが、山に入り谷をかけ、修行することを第一の希望とされていた。それを師匠に止められて、慈光寺にて更に
「師匠は、我が行への想いを持っているのは十分知っている。まだ出家するなとは、その上での我への提案であるゆえに、それは
広智はそれ以上話しをすることができず、口をつぐんだ。法鏡はとにかく行をするのが好きで、「我は行者として生きたい」という法鏡の気持ちは、何にもまして、親友の広智がよく理解していた。だから学僧、云々というのは、少しく付け足しであろうこともわかっていたのだ。
道忠が法鏡を手元に置いておいたというのは、法鏡が山の修行者たち、とくに勝道の仲間に入りたいという心持ちを知っていたからだ。道忠は勝道のことをよく知っているし、お互いの立場を尊重する関係であったが、だからといって道忠が完全に勝道の考えに同意していたわけではない。
それに対して広智や教興は、基本的には道忠と同じように、仏教の教えを学問として最初に学び、それに関して思索をし、その間に
もちろん、学問としての仏教をしたうえで、かつ山に一人入って修行をするという僧侶がいなかったわけではない。噂に聞くところによると、
しかし法鏡だけでなく、広智にしても行への思いはあった。同じ東国で修行する者として、広智の心の底にも、かつて大慈寺で出会い話を聞いた
二人の就任式の準備で忙しい中、道忠が、教興と広智と、そして法鏡とを自室に呼んだ。
「教興と広智だけでなく、法鏡にも来てもらったのには理由がある」
道忠の前に座った三人に向かって、道忠が口を開いた。
「三人すべてに話しておきたいことがある……。教興と広智とは、寺院の住職という役割を得たけれども、それはたまたま場所があったまでで、決して優れているからとか、偉いからというのではない……。それは決して忘れないでもらいたい。また他の僧侶たちを見下してはならない。よいか……。さらに法鏡はまだ出家をしてはいないけれど、法鏡にはまた別の役割があるはずである。だから、今回二人だけ立場を得ることになったけれど、私としては、三人すべての役割は同じであると思っている。……よいな」
自分たちが住職に任命されることを、強く拒否した教興と広智であったので、他の僧侶たちを見下すことなど、夢にも思わないことだったが、師匠の強い言葉に、改めて自省し、背中を丸めたものだった。
「法鏡よ……。お前はいつか山の行をしなくてはならない時が必ず来る。それをもう少し待ってもらいたい……。だからしかるべき師匠を得たあとに、出家すべきである。私自身は、山の修行をしたわけではないが、勝道師などのありさまを見ても、山には何か我々の知らないものがあるとしか思えない。それは確かだ。しかし待つのだ。きっと将来、お前が必要とされるときがくる」
三人は、師匠の言葉すべてを自分の内に了承しつつ、かつ自分以外の二人が、道忠の言葉によってどう変わっていくかも想像していた。そして再び自分の未来を思い描き、多くの不安にかられつつも、ともかく今、若い三人は、心に燃えるよう心な火をつけるのだった。
三 大慈寺住職就任式
卯月に、教興の浄法寺住職の就任式を終えた。今度は大慈寺に広智の番である。
式典の五月五日は朝から快晴、少し動くと汗ばむほどの天気だった。
式典には多くの僧侶がやってきており、遠くの僧侶は、僧坊に泊まって儀式に備えるため、前日からやってきていた。近くは官立の薬師寺からの使者も来たし、国立の国分寺からも別当がやってきていた。四本龍寺の勝道にも連絡をしたが、「自分のような者は華やかな場所はふさわしくない」という理由で辞退していた。
この日、金堂の周りには五色の幕が張られ、華やかな雰囲気を盛り上げていた。
内陣と外陣に分かれている金堂には、内側には座席が数名分備えられていた。導師壇の上には道忠が座り、その後ろの左側に本尊に向かって広智が座る。その両側には別当を始めとして多くの僧侶が座っていた。そしてその前、外陣には、大慈寺だけでなく浄法寺の僧侶たち、慈光寺の主だった僧侶たちも参加し、入りきれない僧侶は、外に座をしつらえ、更にその外には役人、豪族たちを含む壇越、あるいは一般の者たちまでが集まってきて、今までにない盛況を見せていた。本堂の前には遮るものがなかったたので、下の方からでも、本堂の入り口あたりの様子は何とか伺うことができた。
大慈寺の本尊は薬師如来。約三尺の木彫坐像で、行基がこの地にやってきたときに彫った仏像である。日光菩薩、月光菩薩、十二神将を従えている。
住職就任式の当日、導師壇に座っている道忠も、その脇に控える広智もこげ茶色の衣を着ていた。
儀式が始まると、本尊薬師如来に道忠が最初に三礼する。それとあわせるように、すべての僧侶たちが一斉に立ち上がり、五体投地をする。道忠はゆっくりとした動作で座る。
そのあと、この世に人間として生まれたことの難しさ、仏法に会うことの尊さを述べ、仏教の真理を皆が悟るようにという願いの経文を申し述べたあと、般若経典の読経を本尊ならびに諸尊に差し上げた。
そして道忠は、柄のついた香炉に火のついたお香を入れ、ふたをあけた状態にしたまま、隣に座った広智の方を壇の上から向き直った。
「この灯火は、仏祖より継承される法灯の証なり。ここ大慈寺に流れ来たる灯火を汝に伝えるなり」
「謹んで、お受け申ーす」
広智が凛とした声で答えると、道忠は香炉を回して広智に渡し、それをまた回して道忠に返すという動作を三回行い、最後には広智は返さずに、額に押し当てて受け取った。
そして道忠は座を降りて、右脇の座へと移った。今度は座っていた広智が座をたって、今まで道忠がいた壇上に上った。それから広智は、住職としての初めての決意を読み上げる。
「慎み敬って、霊山教主釈迦世尊、身子目連、諸賢聖衆、別しては当山本尊、薬師瑠璃光如来、日光月光菩薩、十二神将、ならびに有縁の諸尊諸菩薩に申してもうさく。……まさに今、仏子広智、道忠師より法統を受け、大雄山大慈寺諸堂の管理を受け継がれるなり……。そもそも大雄山大慈寺は、天平九年、行基菩薩の開基にして、仏の教、古えより伝わる下野仏教の要なり。……その法灯を継ぎし、道忠法師、諸堂を整備、現在僧坊十二を数える古刹なり。……しこうして今、わが身その器にはあらざれども、大慈寺の法灯を継ぎ、この一身を仏法に捧げんとするなり。……敬白詞浅く、丹誠旨深し。三法の境界、悉知証見したまへ。一天泰平、四海静謐。五穀豊穣、万民豊楽。当山安穏、正法興隆。乃至法界、平等利益。」
儀式のあと、ご供養の食事が振舞われた。
主たる振る舞いの場所は講堂だが、薬師寺の院主代理と、国分寺の別当、そして国司代理とには、いつも道忠が居住している菩提院を開放した。
それだけでは足らず、各僧坊も開放して一般の参拝者にも供養された。これらの補助をしていたのは若い僧侶たち。忙しく動いても足りないほど忙しいが、それでも一生に一度の儀式、多くの者は、忙しさの中に充実した気持ちを見せている。
まだ食事が回っていない民衆だけでなく食事の終わっても、余韻に浸る僧侶や壇越たちが、帰らずに境内に残って話をしていた。
「今度来られる広智様というのは、道忠様の一番弟子。道忠様が来られない分、広智様がずっといらっしゃるということ。これでこの都賀郡の民の生活も変わろうものよ」
と地元、都賀郡の民衆は言った。
「一体、広智和尚とは下野出身であっても、どのような人物なのか。まだよく接してみないとわからないさ」と話す者たちもいた。
「仏の教えとは、皆が幸せになる教えであろう。とすると、薬などをわけて下さるのじゃろうか」
「今度の和尚様は、仏の教えをやさしくお話くださるじゃろうか」
様々な思いと期待とが、新しい住職に寄せられていた。
その日、儀式の当日も、更に大慈寺に宿泊を希望される僧侶たちのために、僧坊の配置と諸の準備をする必要があった。各僧侶の援助によってそれらの仕事がすべて終わり、皆がそれぞれ各坊に落ち着いたころ、広智はひとり道忠を菩提院に訪ねた。広智は誰かからの手紙を読んでいた道忠の前に改めて座り、手を付いて言った。
「お師匠様。拙僧の住職就任式、本日は本当にありがとうございました。お師匠様にもお疲れになったと存じます。この広智、未熟者ではありますが、法灯を絶やさぬように全力で当たりたいと思います」
道忠は頷いて言う。
「広智よ。……物事がうまくいくかどうかは、知らせというものがある。……今日多くの者がお祝いにやってきていただいたのも、その知らせの一つなのだが、……今日の太陽を見られたか。太陽の周りに大きな嵩ができていたであろう。あれは神仏のお喜びの印。そなたの門出を祝福しているのだ」
「いや、全くそれは気がつきませんでした」
「神仏の御心に叶うように、しっかりご修行くだされよ。……広智よ。こちらに来なさい」
畳み掛けるように道忠はそう言って、奥の方に先導して歩み行った。奥間には白いさらしに巻かれた何物かが置いてある。道忠はそれに手をかけて、はじから徐々にはずしていくと、四尺ほどの仏像が出てきた。右手に掲げる矛、左手に持つ仏塔、身にまとった甲冑、するどい目つき。間違いなく毘沙門天だ。
「広智よ。……これは私からの贈り物じゃ。都の仏師に作らせた毘沙門天。なかなかよい出来であろう。これがそなたへの餞じゃ。……なぜ毘沙門天であるかわかるか」
広智はいきなり仏像をいただけると聞いて、お礼もどう言うかと混乱した上に、さらに質問され、言葉に窮してしまった。
「毘沙門天はな。わが師鑑真和上が海を越えてやってきたとき、航海の無事を願って祈った仏である。そして四度目の挑戦で、日本にやってくることができた。……それにまた、私の兄弟弟子に鑑禎という者がおるが、それが京の鞍馬という北山にこの仏を見出し、都を守る仏としたそうじゃ。この仏は怖い形相をしておるが、それだけ力をお持ちの御仏だ。必ずお前の力になってくれるだろう」
広智は、慈光寺の住職の部屋に安置されている、毘沙門天像を思い出していた。
「それにな、ここ下野は、日本の形を考えたら北の方に当たる。で毘沙門天は北方の守護神じゃ。下野の住職になったのであるから、そういった意味もある……」
教興にも同じものを渡しておいたけどな、と道忠は付け加えた。
「それから毘沙門天の真言を授けておこう。祈るときには、毘沙門天の形……手をこのように組んでだな、……オンベイ シラマナヤ ソワカ、とお唱えせよ」
「オンベイ シラマナヤ ソワカ、オンベイ シラマナヤ ソワカ……。お師匠様。ありがたきお心遣いに、きっと添えますように、精進いたします。……どうか、これからも、拙僧の道しるべになってください」
広智は五体を投げ出し、道忠の足元にひれ伏した。
翌日、道忠は、もう自分はこの寺に用はない、といって武蔵にさっさと準備して帰ろうとしていた。広智はどこまでも師を送ろうとしていたが、道忠が門の所で押しとどめ、法鏡などお供たちとともに、門前で振り返り言った。
「……もうここまでで結構。住職殿。そなたはもう自分でなすべき仕事がたくさんある。これからは、自分で決めていくのだ。……そうそう忘れずに言っておかなくてはならない。三鴨駅長をされている壬生公を訪ねてみられよ。……彼は必ず力になってくれるであろう。今回の式典には、所用で来られないと言っておったがな」
「わかりました、お師匠。必ず訪問いたします。……道中お気をつけて。またお目にかかる日まで」
「うん。……では参ろう」
きびすを返す道忠の背中を広智は合掌してお見送りした。今回は慈光寺より多数で来ていたので、二十名ほどの集団になてっていたが、次々に背中を向けて旅立つ一行の、最後まで法鏡は順番を遅らせていた。そして広智に近づいて小声で、お師匠の許しがあればいつでも貴僧の所に参るからな、とだけ言って道忠を追いかけていった。
延暦12年(793)、広智二十三歳。まさにひとり立ちの年でもあった。
四 あいさつ回り
式典に伴ったさまざまな雑務が終わったあとに、広智は、細かい部分はあとにまわして、ともかく寺の運営に支障がないように、当面の各堂塔の責任者を決めた。今回、道忠の心遣いによって、広円時代から行動を共にし、共に道忠の弟子になっていた基徳と徳念とを広智の弟子としてもらい、これらの者たちが助力してくれた。浄法寺の教興についても同様で、道応と真静という弟子をもらっていた。
ともかく広智は、住職就任式典に来ていただいた主たる賓客と、何かの用事で来ていただかなかった壇越とに、お礼とあいさつ回りに出かけることにした。最初に国府を訪れ、その足で薬師寺と国分寺とに足を伸ばそうと考えた。お供には徳念が随行した。
薬師寺で二人を待っていたのは、巨大な建物群と多くの僧侶たちだった。
薬師寺は官営の寺院。広さは大慈寺の倍はある。金堂の他にも、五重塔や堂塔が多数見えた。特に圧巻なのは、寺院の西の方にある巨大な伝戒壇堂である。ここで戒壇という儀式が行われる。だからこの寺院の境内には、戒律を受け、正式な僧侶になるために、各地から集まっている多くの僧侶が目につく。表現をかえれば、「僧侶のための役所」といった様相をしていた。
広智にとっても徳念にとっても、薬師寺はなつかしい場所だ。この地において、二人の最初の師、広円に会い弟子入りをして、ほんのわずかの期間だが修行していたのだ。当時広円は講師として下野に来ていた。遠い記憶の中に、現在の建物と当時のたたずまいとが重なりあう。
「お待たせいたしました」
と戸をあけて、過日、大慈寺まできた院主代理が入ってきた。広智たちは座から降り、床に額をつけんばかりにご挨拶した。
「過日は、住職就任式典までわざわざおいでいただきまして、誠にありがとうございました」
「いえいえ、道忠殿のお弟子様の貴殿が住職になるという式典。何としても出席したいものと考えておりました。……道忠殿の師匠である鑑真殿が、日本に正当な戒律を伝えられた方。そして鑑真殿のお弟子の如宝殿は、かつてここで戒師もされました。道忠殿は私たちにとっても、大切な方であります」
院主代理は、大きな目の視線を広智に注いでいた。
「拙僧、お寺を預かるのは初めてのこと、ここにおる徳念ら、弟弟子たちの力も借りながら、使命を全とうしたいと存じます」
「いやはや、ご立派なお心がけ。ご心服いたします。そう……もう二十二、三年前になりますか、ここに流されました弓削道鏡などはひどい僧侶でした。貴殿もご存知であると思いますが、弓削道鏡が女帝に取り入って、自分が天皇になろうとした事件です。何でも道鏡は山歩きをして霊力を得、その力でもって、政治の世界にも影響を出せるようになったと、まあいい加減なことを申しておりました」
弓削道鏡はこの薬師寺に流されたあと、ここで最期を迎えたのだ。
そんな神仏問答などの会話を薬師寺でしたあとで、広智と徳念の二人は国分寺に向かった。
「一体日本の神とは何なのでしょう。いまだに仏教を敵視しているのでしょうか。仏を排除しようとしているのでしょうか」
徳念が広智に聞く。
「いやそんなことはあるまい。ただなぜ仏界がないというようなご託宣をしたのであろう。そしてどうして道鏡は薬師寺に流されることになったのだろう。験力ある者が権力者になろうしたのがよくないのか……まだその辺りがよくわからない」
そういう広智の頭の中には、勝道のことが思い浮かんでいた。
−−日本の神が仏を受け入れ給うか、それを知りたいのです−−
そう勝道は道忠に話していたということを聞いたことがある。とすると勝道のように、山に入ると日本の神のことがわかるのだろうか。あるいは神と仏との違いを知ることができるのだろうか。
翌日は朝早く宿をたった二人は、国分寺へ向かった。国分寺は薬師寺とは違い国立なので、すべて地元の僧侶たちでまかなわれていた。尼寺である国分尼寺が隣接しているが、こちらは山門の所でごあいさつしただけで、国分寺に向かった。言うまでもなく、尼寺に男性僧は入れないからである。
対応したのは、国分寺の別当だった。型通りのあいさつが終わると、別当は、先日と変わらぬ親しみの感情を込めて言った。
「広智殿は下野出身の方。我々にとっても親しみがあります。それに大慈寺のあります都賀郡近辺は、ここ国分寺の瓦を焼く窯が多数存在している場所です。大慈寺の近くにも、国分寺の屋根に乗っている瓦を焼いております」
大慈寺から一里ほど南に行った場所に三鴨山がある。この山の北側には窯焼き場があり、そこでは国分寺の屋根に乗せる瓦を焼いていた。三鴨駅のそばでその話は聞いていたが、当事者から聞くのは初めてだった。別当は続ける。
「広智殿は住職となられましたのでいろいろお考えもあろうが、今あるものだけでなく、更なる堂塔の建築も視野に入れられるであろう」
「はい、いくつかの僧坊を建てる予定を考えております」
それを聞いた別当は、上目遣いに言う。
「どうであろう、……将来もし大慈寺で瓦が必要ならば、同じ窯焼き場をお使いになっても構いませんぞ」
「それは誠ですか。ありがとうございます。木材を切り出し、工人を使って建て、更に窯焼き職人まで入れるとなると、相当な負担になると思っていた所です。是非その折にはお言葉に甘えさせていただきます」
「木材にしても、腕のいい山がつをご紹介いたそう。……この近辺の建築については、拙僧の方が長いのでな」
そして別当は、はは、と口を開けて笑った。
「返す返すありがたく、不案内の身にはご好意が身に沁みます」
広智は背中を見せるほど頭を下げた。
あいさつ回りから大慈寺に帰った広智は、早速寺院すべての僧侶を講堂に集めた。広智も含めて、全員で三十三名の僧侶たちとなった。
「これから、この大慈寺をどのようにしていくか、私の考える所を話しておきたいと思う……」
そういって話し始めた内容を要約すると以下のようになる。
広智の指示は的確であり、適材適所、無駄のない運営を意図するものだった。弟子たちの技量も、群を抜いていたが、それ以上に特筆すべきは、広智の回りに集まった者の根底には強い「民衆のため」という精神があったことだ。
「それから私は、外に出て資金提供者、すなわち壇越を探したり、職人の確保をしたり、対外的な交渉をしていきたいと思う。その時には主に徳念と一緒に出ることが多くなると思う。私が不在の折には基徳の指示を仰いで行動してもらいたい」
広智は、基徳を広智不在のおりの総責任者に指名した。
五 壬生公首麻呂
広智と徳念は、大慈寺より一里ほど南にいった、三鴨山の北側にある瓦の窯焼き場に来ている。この窯焼き場の北側にはすぐ東山道が走っているが、この周辺にはここ以外にも小さな窯がたくさんある。
この一番大きな窯は山の傾斜を利用して、ずっと細長く作られてできており、十数基ほどの数が見える。そのそれぞれからは、白い蒸気が立ち上がっていて今でも焼いていることを知ることがきた。
広智と徳念とが、窯焼き場で、できた瓦の選定をしている職人に仕事の邪魔にならないように気を使いながら、丁寧に声をかける。
「ここの責任者はどこにおられるのですか」
「はい。あの工房におられます」
といって指示されたのは、畳が三十枚も敷けるかとも思われるほどの大きな小屋だった。この職人に礼をいってから、二人はその小屋に向かった。
引き戸をあけると、中に十名ほどの職人がおり、手を灰色にしながら、目の前の土をいじっている。その合間をゆっくりと、かっぷくのいい中年者が、何事かをときどき職人たちに指示しながら歩き回っている。おそらくその者が責任者だろう。
「お頼み申します」
と徳念が声をかけたのに、その責任者らしい人が反応した。そしてこちらが僧形だと見るや、あわててこちらに駆けてきた。その男、鼻の下にひげを蓄え、布を頭を覆うようにかぶり、茶色の服を着ている。広智は、その中年がそばに来るのを待ってあいさつした。
「突然にお邪魔いたしまして、失礼いたします。拙僧は、ここから北にあります大慈寺の住職、広智と申します。……これが同じく僧侶の徳念です」
「私、ここ全般の責任者を仰せつかっております佐味直益と申します。……住職様が代わられたということは、お聞きしておりますが、その新しい住職様でいらっしゃいますか……」
その男、大きな体を下げるようにしながら、丁寧な語り口調である。
「そうです。今日は、今般大慈寺の住職を拝命したのに伴い、堂塔を建設する予定でおりますが、そこに乗せる瓦をどのようにしたらいいのか、国分寺の別当殿にご紹介いただき、こちらに参った次第です」
「ああ、そうでございますか。国分寺の別当殿とは、瓦を通じまして、長くお付き合いさせていただいております」
この佐味直益という責任者に、来意を理解してもらったので、広智は話を瓦に向けた。
「今し方、窯の方を拝見して参りましたが、相当な量をさばかれているのですね」
「はい。年間に数千枚単位でさばいております。ただ、今は国分寺だけですので、生産量を減らしております」
「国司様の許可を得た上で、大慈寺でもし瓦が必要な場合は、こちらで作ってもらえるでしょうか」
「もちろん、何でもやらせていただきます。これが我々職人の仕事ですがゆえに……」
佐味直益は首を少し上下しただけ、体を動かさぬまま、自信のある視線を広智に向けていた。
三鴨山は優雅な山で、南北に長く広がっている。南西の方角は湿地帯であり、東山道はその山の北を通っている。そこには三鴨の関所があり、すぐそばには駅舎があり、多くの馬が休んでいる。郡内にいくつかある駅舎の中でも、この近辺では一番大きなものだった。
三鴨山の北側から東側にまわると、馬の囲いが遠くまで見える。その囲いの中には、放し飼いの馬たちが、ざっと数えても三十頭以上見える。その北側、山より離れた場所には木造の馬小屋が見え、壁側の隙間からは馬の鼻が見えている。いっぱいに馬が入れば五十頭は入るのではないかと思われた。
そして馬小屋の方にある馬にえさを与えたり、体をふいたり、世話をする人間が五,六名働いているのが見えた。
そこから離れてもう一つ小屋があり、そこが手続き場所、すなわち駅長室であろうと思われた。多くの者は乗ってきた馬を預け、用事に出かけ、あるいは馬を休息だけさせて、また乗り出す。役人たちは、国所有の馬を乗り継いで次の駅に向かう。長期に用事のある者は、馬は駅舎に預け、自分は駅家に泊まって、その間中、馬には全く触れないということがあった。
この三鴨駅の駅長は、道忠が大慈寺を離れるときに、広智に会うようにと薦められた壬生公首麻呂だった。
広智と徳念は駅舎の方に歩いていった。駅舎は二つの部分に分かれ、片方が受付などの部分と駅長室に、片方は一時的に馬を休ませ、その間に持ち主が休む休憩所になっていた。壬生公首麻呂は、前もって話をしていたこともあって、駅長室の座に座って、何事か書き物をしながら待っていた。
「もしや……貴僧は広智殿でいらっしゃいますか。……私はこの駅長、壬生首麻呂でございます」
丸顔で、中肉で背の高い駅長は、広智と徳念を入り口に見つけると、まっすぐ歩いてきて申し上げた。「その通りです。広智と申します。……初めてお目にかかります」
広智は、この駅長壬生公首麻呂は、自分よりは十歳も年上だろうかと測りながら、首麻呂の目を見つめた。
「先日の住職就任式には、参加できずに失礼いたしました。……仏の教に心惹かれる自分としては、何を置いてもお邪魔したかったのですが、蝦夷へ向かう兵士の馬が多数やってきまして、何ともお邪魔できませんでした」
「いえいえ、こちらも緊張していて、何をやっていたかわからない式典などに来ていただいても、失笑を買うばかり。何のご心配も、お気遣いも必要ございません」
「……ささ、どうぞこちらへおいでください」
首麻呂は体を機敏に動かしながら、駅長の座る奥間の方へ二人を案内した。
「首麻呂殿。……改めて、ごあいさつ申し上げたいと存じます。これから拙僧は大慈寺を仏の教、とりわけ大乗の教えの布教の拠点にすべく、全霊を傾けていきたいと存じます。自分の力は微力でございますが、どうぞ何程かのご協力のほど、よろしくお願い申し上げます」
「これはこれは、ご丁寧なごあいさつ、ありがとうございます……。小生も大慈寺には、よく道忠殿の講話をお伺いに参っております。そのときに感じたのですが、いくつか大慈寺に気になる場所もございます。それで、壇越としてご寄付を、できるだけさせていただきたく存じます」
壇越とは知識とも呼び、寺院を金銭的に支えていた人たちであり、壬生公首麻呂もその一人であった。「……広智殿は、大慈寺には何が不足であるとお考えですか」
「そうですねえ……これから経堂を建築するつもりでおりますが、これについては資金的なめどが立っております。またこれからは、多数の僧侶を受け入れるつもりでもあります。そのときに、僧坊が不足するように思います……」
「それがその次で、本当によろしいのですか」
「は……と申しますと」
「厳堂をご寄付したい」
首麻呂は口元を引き締めて、きっぱりと申し上げた。太い眉がその意志を表しているようにも見えた。広智も徳念も一瞬息を止める。確かに厳堂すなわち金堂は、行基の時代に作られたもの、手狭で古くなっていた。そこに金堂建立の申し出。何の断る理由があろう。
「誠でございますか……。いや、ありがとうございます。こんなにありがたく、住職としての出発ができるとは思いませんでした。いや、かたじけなく存じます。ありがとうございます」
会話に間ができたとき、首麻呂が言った。
「ところで広智殿。……実は会っていただきたい者がいるのですが」
「はい。どなたでしょうか。どんな方ともお目にかかって、ご挨拶したいと存じます」
その言葉を聞いた首麻呂は、おい、と戸の裏側に首麻呂が声をかけた。出てきたのは、薄緑の着物をきた女性と、まだ十歳前後にみえる男の子供だった。
「私の内と息子の秋主です。……昔から私も内も仏教に心ひかれ、今日こちらに大慈寺の新しいご住職がいらっしゃると話しましたら、もしお邪魔でなければ、お徳を触れるべく、お目にかかりたいと申しまして、失礼ながら連れてきた次第です」
広智よりも少し年上であろうと推理される、その優しそうな目の女性と、眉の太くて長い利発そうな子供とが同時に頭を深々と下げた。女性は、さすが長者の内儀とて、動作もしとやか、見目も麗しい。
「おうおう、お内儀とご子息ですか。そうですか。ごあいさつありがとうございます。……ではご子息は、いずれは駅務の跡取りにおなりになるのですな……」
「その予定で、少しずつ教え込んでおりますが。……しかしこの子は、母親に似たものか、体を動かすよりも書を読むことを好んでおりまして、どこまで成長できるか、多少は心配もしているのです」
母親の方が、少し視線を伏せる。大きな耳が目に付く。
「しかし壬生家は仏教信者ですから、学問も少しはできなくてはいけないと思っております。また……内の両親も昔からの仏教信者です。実家のすぐ近くで修行していたという僧侶、勝道上人にいたく傾倒しているのです」
勝道上人……。広智の頭に、数年前に会った、あの澄み切った眼光の僧侶の顔が思い浮かんだ。突然なぜか、負けてはいられない、という言葉がふと心を横切った。別段勝道のことを敵であるとも、悪人でもあるとも思っているわけではなかったのだけれど。……いずれあの方にはお会いしなければならないだろう。
「広智殿。……厳堂の話、すぐにでも進めてくだされ。私は前々からその腹積もりでおりました。いつでも対応できるように、準備しておきます」
六 大剣峰
当面、思い当たる壇越探しも一段落ついた。あとは自分の布教を行い、実際の様子でもって自分のことを信じてもらうしかない。
この時点で広智は、勝道の元に行く決断した。その時期が来た、と思ったのだ。
「徳念、また一緒に行ってもらうぞ」
勝道は、延暦8(789)に上野の講師となって活躍していたが、もうその任期は終えて下野に帰っていた。
四本龍寺に連絡を取ると、今、勝道は寺には不在であり、山で修行をしているという。そこで彼の修行場へと行くことになった。現在、勝道は地元の様々な寺院に、中禅寺の分身の観世音を祀り歩いていた。しかしその活動は、計画を立ててすぐできるというわけではなかった。「御霊を移すのも行者の力がいる」という勝道の判断から、ご分霊の合間を見ては行を続け、行力がたまってからまた分霊をしたのだった。
勝道の修行場といっても、補陀洛山でもなければ、四本龍寺のある山の下でもない。それよりずっと下った場所にある大剣峰という山だ。補陀洛山からはずっと近いけれど、そのことを聞いた広智は、これは数日がかりになるであろう、と思った。
「あとのことはよろしく頼む」
基徳だけでなく、主だった弟子たちに、しっかりと伝えおき大慈寺を後にした。死ぬわけではないとは思うが、万一何があるかもわからない。何があっても事足りるようにだけはしておこう、そんな気持ちで旅立った。
大剣峰は、大慈寺より補陀洛山の方に向かってほぼ線上にあるが、一度国府の方の街道に出て、それから永野を通って、粟野に行き、そこから徐々に登っていく坂道を歩かなくてはならなかった。
二人は、少しずつ上り坂になっていたので、ゆっくり足を運ぶ。道の脇には川が流れ、山の雰囲気とともに、自然の懐の中に入っていくというような感じがする。
「徳念よ……。何かこの辺の雰囲気、異様ではないか」
「はい。拙僧もそのように感じておりました。何か空気がみしみしと、音を立てているようでござりま」「大剣峰はまだ先であろうに。これから一体どうなっていくのやら……」
大剣峰の修行といっても、頂上まで行くこともあるが、今回は巴の宿という山頂よりは下の場所での護摩修行だ。地元民の描いた地図を元にして歩いていく。
ここには勝道の造った庵があった。その庵の周りの堀が、巴の形に似ているということから、巴の宿と名がつけられているようだ。
この付近には、巨岩が散乱していて、巴の宿からそう遠くない、岩の形に由来する、通称、象の鼻という場所にもやはり勝道の別の庵があった。
そこには十数名の行者たちがいた。正面には石の本尊が置いてある。それを囲むように結界の縄を張り、その中に石を積んで、切ってある材木を積み、そこに火をつけて諸神、諸仏に祈る護摩の行をする準備の最中だ。
そんな所に広智と徳念とがやってきた。
十数名いた中で、ひときわ存在感のある人物がいたが、それが勝道だ。広智たちは作業の邪魔をしないように気をつけながら、勝道の所へ行こうとしたときに、勝道もこちらに気がついて歩みきた。
広智が遠くから頭を下げる。
「おうおう、そなたは……」「はい。このたび、大慈寺の住職を拝命いたした広智と申します。……大慈寺にて、一度勝道殿のお話をお伺いしたことがごございます」
浅黒い顔の勝道は、歓迎の意を示す。
「うん、そなたの顔は覚えておる。……何やら知らせによると、わざわざあいさつに来てくださったということ。かたじけないのお……」
「まだまだ未熟者ですので、ご指導を仰ぐ意味もございまして、参りました」
「そうか、そうか。今日はこちらに泊まられるがよろしかろう。……ところで今から、柴燈護摩という、屋外の護摩修行をする。是非一緒に参加されるがよい」
勝道は、広智たちの推測通り、一緒に修行していくようにと呼びかけた。
「はい。ありがとうございます」
「手伝いはよいから、荷物をそこにおいて、……座って時間が来るのを待たれよ」
広智と徳念は言われたまま、皆が作業している所から、少し離れて座り時間が来るのを待った。回りのどこを見ても常緑樹の木しか目に入らない、本当の山奥の修行場であった。
「我借所造、諸悪業ー。皆由無始、貪瞋痴ー。従身語意、以所生ー。一切我今、皆懺悔ー。」
見るからにいかめしい行者姿の数名が、その井桁に組んだ薪を囲み、おもむろに何やら唱え始めた。
最初の読経の始まりだ。そこから長い儀式があった。刀や弓などの武器を手にして、今までに見たことがないような作法があった。いや確か、手を組む動作は、法鏡も同じようなことをしていたのを広智は思い出していた。お経には、広智たちの知っているのも、知らないのもあった。知っているものは小声で唱和したが、唱和しても修行僧たちの迫力につい小声になってしまった。
山だけに囲まれていて、しかもここは窪地。その木の壇に火をつけると、特に杉の葉からはもうもうと煙が出だした。
行者たちはその間、お経を唱えること、神仏の御名を唱えることを忘れなかった。陀羅尼もその中には含まれていた。広智が道忠から授けられた毘沙門天の真言もあった。
目の前には、背丈の二倍ほどの高さで燃え盛る火があった。
読経のときには、先に錫の輪が付けられた杖をふったり、地面に打ち付けたりしてリズミカルに音を出した。
いつしか広智たちも、行者たちのリズムに合わせ、我を忘れるほどの悦びに包まれていった。目を閉じて、同じ真言を何度も何度も同じことを唱えていると、世界が消えたように思える。自分はどこにいるのか、とも考える。自分の魂は何なのかとも思う。そのとき、広智の回りの音が一瞬消えた。
「あれ」
その時だ。広智の目の前には、火とは何か別のものが動いてこちらにやってきた。
意識をさらに集中する。それは三つの光だ。三つの光が勾玉のように渦巻いて自分の方に向かって光を出している。ぐるぐると、それはめぐり続けている。
――三つ巴――
ぐるぐると渦のようにめぐり意識の中に線を描いていた。そして、それはいつしか、流れ星のような線を残しながら消えていった。巴の宿の三つ巴か……。
ふと我に返ると、大きな声が耳に戻り、勢いよく火炎をあげる護摩の火が目の前にあった。
広智は何が何やらわからず、儀式が終わったあともしばし呆然としていた。
「広智殿」
勝道の声に、はっと我に返った。しばらく放心状態でいたらしい。
「気分でもお悪いか」
「いえ、そうではありません。意識が朦朧としてしまいました」
「ははは、そうか。われわれの護摩の火を受けた時には、そうなる御人が結構多いのじゃ……どうであったかな……」
「いや、……何ともすばらしい儀式でございました……」
「儀式か……儀式といえば儀式だが……。その儀式の奥に何かごらんになったかな」
口ごもっておりますと、教旻という弟子が口を開いた。
「今日も、神々しい観世音菩薩が火の中にお見えになったぞ」
「え……そうだったのですか……」
広智は何が何かわからないまま、無言となってしまった。そして勝道の言われるままに、宿に行き、そこであの三本の光が何だったのか考えつつ、興奮したまま眠れぬまま夜明けを迎えた。