今日、天台宗に属している大慈寺が空海様とご縁があるということを、不思議に感じられる方がおられるかもしれません。大慈寺はある方を通して、空海様とご縁がございました。その方は、慈覚大師円仁様の師、広智様でした。

  大慈寺の第三祖広智様は、真言宗をひらいた空海様とも、天台宗をひらいた最澄様とも親交がありました。空海様は唐から帰朝なさりますと、真っ先に広智様へ手紙を送られております。
 
  空海様は広智様に手紙を送られ、写経の援助を頼みました。しかし広智様は直接応じられず、緑野寺の教興様をご紹介になり、教興様が写経に応じられたようです。

  その後最澄様一行が大慈寺を訪問され、広智様も最澄様の弟子になられました。それ以降大慈寺は天台系統の寺院になっております。

  広智様は、毎年法華経を講じ、東国に法華経が広まったのは、この広智様のおかげ以外にない、という評価を受けます。それによって「如来の使」という称賛を受けます。広智菩薩とも、広智禅師とも呼ばれることがあります。

  そんな広智様の活動を評価されたのだと思いますが、空海様は何度も広智様にお手紙を出されますが、その白眉は「十喩の詩」という自作の漢詩です。これは『大日経』の教えに基づいたものであり、「修行者を正しく導く指針」と呼ばれいます。

  (1) 幻
    (2) 陽焔
    (3) 夢
    (4) 影
    (5) 乾竪婆城
    (6) 響
    (7) 水月
    (8) 浮泡
    (9) 虚空華
   (10) 旋火輪

 物事ははかないものであって、執着すべきものでないと知り、それに基づいて悟りに向かうようにという意味らしいです。

  この漢詩は全部で108連、煩悩と同じ数になっています。

  この漢詩を送るにあたって、空海様は次のような言葉を残しています。
     「あなたは、私のあなたに対する尊敬の気持ちと、
           あなたに送ったこの言葉とを
                千年も忘れることはないでしょう」


  空海様も広智様も千年も生きることなく亡くなることはわかりきっています。とすると、この言葉の意味は、空海様自身の、自信や自負を読み取ることができるとも思いますが、あれから千二百年を経過した現在、この詩を目の前にしますと、何とも不思議な感覚も起きます。


                         
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