小野小町は、平安時代の女流歌人、六歌仙の一人です。 小野小町は、絶世の美女として有名でしたがそれ故に、恋多き女性として語り継がれ、数々の“小 町伝説”が生み出され、多くの文芸作品などに登場しています。 円仁と同じ遣唐船で唐へ渡ろうとした「小野篁」の孫であるともいわれていますが、その出生や家系ははっきりしていません。 和歌の優雅な作風と、その才能に劣らぬ美貌とで、華やかな人生を送ったと思われますが、老後、身を崩し病にむしばまれた折、当大慈寺を訪れています。自身の病の回復を願った際の、薬師如来様との歌のやりとりが今も伝えられています。 その歌は境内の“小野小町の碑”に刻まれています。 |
小野小町 南無薬師衆病悉除の願立てて 身より仏の名こそおしけれ 御返歌 薬師如来 むら雨は唯一通り降るものを おのが身のかさそこにぬぎおけ |
(要訳)小野小町 このように、病の回復を祈っても、一向になおりはいたしません。 このうえは、我が身よりも、病気治しの願を立てられた仏さまの御名 を惜しく思います。 (要訳)御返歌 薬師如来 通り雨(=はやり病)はひとしきり降れば止むのですが、そこまで 言うのなら、お前の笠(=病)をそこにおいてゆきなさい(=病気を 治してあげましょう)。 |
小野小町の最期も当小野寺の地であったと伝えられています。年老いた小野小町は、ある日大慈寺裏の諏訪が岳の断崖に登りますと、幻を見ました。 それは崖の彼方に紫色に輝く、見事な薬師如来の世界でした。それを見た小野小町は、これこそまさしく薬師如来の世界に違いない、と感動のままに崖から身をおどらせていったといいます。それが小野小町の一生の終わりでした。小野小町は村人たちによって手厚く葬られ、その墓所は今も大慈寺境内の近くにあります。この小野小町が身を投げた場所を身投げ淵といい、小町の髪の毛が当地方のイグサになったとも伝わっております。 この歌のやりとりを起源として、大慈寺では皆様に「和歌祈願」をしていただいております。皆様の祈りを5・7・5・7・7の和歌にしていただき、如来様に奉納いただきます。絵馬にしていただければありがたいです。 ホーム |