第25話 舞い散る序曲
「どうして・・・・・・」
研究室の窓から外を眺めながらさくらは呟いた。
その瞳は驚愕を露にし、まるで幽霊でも見るように怯えた様子をしている。
小刻みに震える華奢な肩。体が勝手に足を後ろへと追いやり後退りさせていく。
「嘘だ・・・こんなことあるはずがない・・・。だって・・・だって・・・・・・」
今にも声を荒げてヒステリーを起こしそうな勢いながらも、出てくる声は絞り粕のような微量なものだった。
言葉というより独り言。今現在自分が目にしている現実を現実として受け止められず、とにかく否定するという行動が示した結果がこれだった。
蛇に睨まれた蛙のようにただ竦み上がりながら怯えるばかりで行動がついてこない。
自分が今すべき事を忘れ、既に正気は何処かへと置いてきているようだ。
「どうして、どうしてここに聖桜樹があるの・・・?」
口にされた疑問は誰の耳にも届くことなく静寂の中に消えていった。
そして引きつった笑みを浮かべ、さくらは膝を折った。
その日、ファンシスタの街はいつも通り機能していた。
商店はいつものように店を構え、人々は変わらない流れを作り出している。何も変わらない、平和な一日が始まる。誰もがそう思っていた。
「おや?」
露店を開いていた商人が何か不思議なものを発見したかのような声を上げる。見れば周りの人々も同じような行動を取っていた。
その原因とは。
「なんとまあ、桜の花弁とは。綺麗だねぇ」
しみじみとそんな言葉を洩らし、しばし風に舞いながら街を漂う花弁の群れを眺める。
まるで大河の流れのように無数の桜色の欠片が空を旅している光景はまさに夢幻かと疑いたくなるほどだった。
だがその直後、素朴な疑問に誰もがぶち当たった。
「はて? この街に桜なんて咲いてたかな?」
それは摩訶不思議な現象。あるはずのないものが現れるというまるで手品のような出来事だった。
そして花弁の河の上流を辿って行けば、行き着く先は街の外からだった。
街の外からの訪問者。それがこれから始まる祭りのファンファーレを奏でていた。
走っていた。祐一は走っていた。
目指しているのはこの街の中核をなすファンシスタ城。
その顔には焦り、後悔、失念、様々な思いが渦巻いていた。
「クソッ! まさかここが舞台とはな!」
舌打ちしても愚痴をこぼしても足の動きだけは休めない。
ひたすら目的の地を目指して走り続ける。
「祐一君!」
「ことり!」
街の十字路でことりと出くわすと、祐一は足を止める。
祐一に同じくことりもまたその心中複雑なようだ。
「これ、一体どういうこと? 何が起こってるの?」
ことりは口を動かしながらもその表情は不安の二文字で埋め尽くされていた。
この状況が普通ではないということを感じているのだろう。
「・・・歯車が動き始めた。最悪な方向でな」
「何かが、起きるんだね」
祐一のいつにない真剣な表情にことりの顔も自然と強張った。
固唾を飲んで見守る中で祐一の次の言葉を待つ。
細い喉が動き、音とともに生唾が通っていくのがやけに響いた気がした。
「ことり、頼めるか?」
「何を?」
「秋子さんに伝言だ。いや、警告だ」
「警告・・・・・・」
あまりに不穏な響きを発する単語にことりの顔がさらに険しくなっていく。これから起こる事を想像したのか、色々と最悪の結末が頭をよぎっている事だろう。
だが、ことりは表情には示さないものの一時そんな思考をカットして祐一の言葉に耳を傾けた。
「いいか―――――――」
その瞬間、ことりは耳を疑った。
だが祐一の言葉は信用できる。だからこそ指示に従い、秋子の元へと急いだ。
そして祐一は今まで向かっていたファンシスた城に背を向けると、足早に姿を消していった。
ここは秋子の仕事部屋。
立派な作りの部屋の中には機能美を追求した仕事机や客の接待に使用するソファーやテーブルなどが並び、完璧なルームメイクがなされている。
だが、今この室内には物々しい雰囲気が漂っていた。
人口密度はいつもの何倍も高く、空気は鉄の塊を背負っているように重い。この空気だけで現状がただならないということを本能で察する事ができるだろう。
「皆さん、集まりましたね」
「はい」
秋子の声は研ぎ澄まされていた。
いつもの柔らかい口調ではなく、鋭さのある刃のような声。普段の笑顔からは想像できないほどの声質で言葉を発していた。
それに答える舞もまた声に緊張の色を帯びているように感じられる。
「まず、現状の確認からです。さくらさん、お願いします」
「うん。今、ファンシスタの防壁の外に一本の桜の木が突如出現したんだ。そしてその桜は、紅の悲劇によって滅んだボクたちの国、ミュジリクの象徴でもあった聖桜樹で間違いない」
秋子に促され現状報告をするさくら。
さくらの報告の中にあるとおり、ことりを含む純一や音夢たちはもともとミュジリク出身の人間である。
ミュジリク崩壊により、難民をファンシスタの以前の国、スノーフォールが受け入れ、統合という形を取ったのだ。その結果、今のファンシスタができたというわけである。
そして、突如姿を現した桜の木こそミュジリクの代名詞的存在、聖桜樹と呼ばれた聖なる桜の木であった。
その大きさは桜の木にしては大きく、樹齢もかなりの年月を重ねた年季の入った桜であった。そしてその木からは聖なる力が溢れ、邪悪な力を寄せ付けない一種の結界の役目を果たしていた。
だが、今は紅の悲劇の余波によって濃い瘴気が邪魔をしてミュジリクの首都があった場所まで進む事が出来ないが、聖桜樹は存在するとすれば人の手の届かない場所に存在しているはずである。
だが、その言葉を聞いて本当にあの桜が聖桜樹なのか云々の前に根本的な疑問を香里は口にした。
「でもありえないわよ。あんな大質量の物が突然姿を現すなんて」
「科学的にもありえないよ。だとしたら、それが為せるほどの強大な力を持った者の仕業」
「・・・・・・魔族」
その言葉に誰もが戦慄を覚えた。
魔族が何故こんな事を?
行動の不可解さと目的の不鮮明さに誰もが疑問を感じた。
だが、手元に揃えられたカードはあまりにも少なすぎる。
勝負に出るにはあまりに危険な現状。それゆえに手をこまねいているしか出来ない口惜しさ。誰もが共通の思いだった。
だが、黙って何もしないのでは騎士団の存在価値がない。そのため秋子達は今自分たちにできる限りのことをすることを決心する。
「とにかく、魔族の仕業にしろ、これから何かが起きる事は確かです。厳重な体制をとりましょう」
「住民はどうします? いざという時になっては手遅れになる可能性もありますよ?」
「できることなら不安を与えたくはありません。ですが、あまりに事態が異例なため、形振り構ってもいられないでしょう」
「では、住人の避難も今の内に済ませるということで」
「そうですね・・・・・・」
と、一連の行動の見通しがついた矢先だった。
バタン、という豪快な音とともに室内の扉が開かれた。
誰もがその音に驚き、咄嗟に開けられた扉のほうへと視線を向ける。そして、そこには見覚えのある姿があった。
「こ、ことり!?」
「ふー・・・。失礼します」
軽く息を整えてからことりは今更ながらの断りを入れて室内へと足を踏み入れていった。
「どうしたんですか? 白河先輩?」
「凄い慌てようだけど、何かあったの?」
「祐一君から、秋子さんに警告だって」
「警告・・・?」
誰もがその言葉に顔を歪めた。
警告という単語にあまりよいイメージを持たない故に誰もが同じようなことを考えているのだろう。
相沢祐一がこの騒ぎに一枚噛んでいるのではないか、と。
「それで、どういった内容でしょうか?」
秋子だけは普段と変わらず冷静だった。
流石は幻想の騎士団総指揮官というところだ。
「これから30分しないうちに魔物の大群がこの街を襲います。原因はあの桜の木、聖桜樹です」
「なんですって!?」
「どういうことなの!?」
突如ファンシスタに降りかかる危機を耳にして冷静さを欠く者達が出る中、ことりはクールに徹して話を進める。
「あの桜の木は間違いなく聖桜樹で、紅の悲劇の後もミュジリクのあった場所に咲き誇っていたらしいんです。そのせいで大量の瘴気を吸い込んで魔性の木と変貌してしまったらしいの。その瘴気につられてたちどころに魔物たちがここを目指し始める、って」
「それは相沢が言ったのか?」
純一の言葉にコクリと首を縦に振ってことりは頷いた。
だが誰もが急な事態についていくことができない様子である。
まもなくこのファンシスタの街は戦火の渦に飲み込まれる、などと言われたのだから誰もが戸惑いを見せるのも自然な事であった。
「と、とにかく、それが事実だとしたら大変な事です。魔物の数はどれくらいだか分からないのですか?」
「わからないらしいです。最低でも300は来る、って言ってました」
その瞬間、ここにいたものは少なからず絶望を覚えた。
「300!?」
「並々ならない数だな。数では圧倒的に不利になる」
「それでも氷山の一角で、桜の木を目指してどんどん魔物が集まるから、ここに留まるのは危険だって」
追加される言葉の内容はさらに絶望を深く至らしめる内容かつさらなる戸惑いを生む元凶となった。
「この街を放棄しろと?」
この街を放棄する。
それは慣れ親しみ、生活をともにしてきたこの街に背を向けて逃げ出すということを意味していた。
「はい。この街の人間防壁の東側に集めて待機しておいてくれ、とも言われました。そして合図とともに防壁を破壊、この街を脱出するようにと」
「でも、この街を見捨てるなんて出来ないよ! また、あの時の繰り返しになっちゃう」
当然、このような反応を示し、拒むものもいるのは目に見えていたことだ。
立ち向かうことなく自分たちの身を最優先にして行動する。それは最初から逃げ出すのなら国を、街を守るために存在する騎士団の存在意義はなんなのだと葛藤するには充分だった。
しかし、人とは十人十色、意見は当然食い違うものである。
「・・・・・・いや、ここは指示に従うべきだ」
「兄さん!?」
「相沢の指示に従えば、おそらくあの悲劇だけは繰り返さなくてすむ。街は壊れても建て直せばいい。でも、人間の命は創り出す事は出来ないんだ」
あの悲劇とは純一達が経験したミュジリク滅亡の事である。
確かにそれをきっかけとして国が滅び、人々の尊い命が散っていった事は紛れもない事実。それを考えれば無理に戦って命を落とすような真似をすることは利口とはいえない。
ならば最優先すべき命を護り、街を見捨てても生き延びるという選択のほうが賢いというものである。まして見通しのきかない戦いなのだからなおの事である。
「でも、どうしてそこまで相沢さんを信用なさるんですか?」
誰もがそれは思うところがあった。
まだ知り合って間もない、まして素性も割れない見知らぬ旅人の戯言にどうしてそこまでついていく気になれるのか。そう思わないほうが不自然だ。
「・・・・・・わからない。でも、あいつの言う事は正しい。そんな気がする」
曖昧な答えだった。
賛同するには不十分すぎる理由。しかし、全権を握る者の決断はそんな理由を尊重した。
「そうですか。なら、信じましょう」
「秋子さん!?」
「皆さんが言いたい事も分かります。騎士団の全権を握る私が旅人の意見を受け入れる、ましてこの緊急事態にです。疑念を抱くのも無理はありません。ですが、形振り構っていられません。後悔した時、あの世にいては話になりませんから」
「・・・・・・わかりました」
流石に騎士団最高責任者の決断に異を唱える事は出来ないらしく、眞子も渋々ながらその意見を受け入れる事にした。
そして無駄に時間を浪費する暇もないこの状況なため、早急に動こうとする。
「とにかく、いまは祐一さんの指示どおりに動く事が先決―――!?」
だがその矢先、秋子が何かに気づき、全身に緊張を走らせた瞬間だった。城内を駆けめぐる震撼、そして爆音がまるで電気信号みたいに浸食していった。
音が消えてからも余波の名残が城全体を包み、一瞬誰もが言葉を失いながら固まっていた。
何の前触れもない出来事に思考が追いつかない。だがそんな頭を無理矢理手なずけて行動を開始する。
慌ただしく部屋を後にしていく騎士団の面々。
ついにパーティーの幕は開かれた。
To be continued・・・