第27話 人を動かす決意
「来たか」
閉じていた瞼を持ち上げ、目の前に広がる光景を見つめる祐一。勇ましく立ち尽くすその姿の傍らにはかつてミュジリクの象徴でも
あった聖桜樹の姿もある。
だが、その神聖さも今は失われ、ただ邪気ばかりを放つ無惨な魔性の木になり果てている。そして、祐一が向ける目線の先には、黒
い壁が横一列を為してこちらに近づいてきている。
低い地響きを立てながら徐々に近づいてくるその壁は、肉眼で確認できるほどの距離まで来るとはっきり見る事が出来た。それが壁
ではなく、魔物達の群れの行進であるという事を。
紅の悲劇の起きたミュジリク国土側、通称『紅の傷痕』と呼ばれる大地から魔物達が人知を超える数で押し寄せてきていたのであ
る。闇の住人達が餌に食らいつこうと必死に追い求めてきているのだ。もちろん餌というのはこの桜の木が常に撒き散らす瘴気の事
である。
「さて、久々に暴れるとするか」
そう言って祐一はいつの間に被ったのか、フード付きのローブで身を包むと、愛剣を片手に押し寄せる魔物の津波へと飛び込む。
集いの儀が始まろうとしていた。
ファンシスタの街は一言で表わせば混乱。人々は事態の急転についていけず、ただ騎士団の誘導に従っている。
「こちらに避難してください!」
「慌てずにこっちに集まってください!」
「慌てないで下さい! こちらの誘導に従ってください!」
あれから騎士団の面々は城から無事脱出すると、秋子を筆頭にすぐに住民の先導に着手した。
不安を煽らぬよう、務めて冷静な態度で誘導してはいるものの、やはり騎士団総出で住民の誘導を行うという事態に人々は不安を募
らせるばかりである。
だが、無力な住民は不安を感じていながらも何をする事も出来ず、指示を仰ぐ事しか出来ないのが事実。押し潰されそうな不安を抱
えながらも騎士団を信じて避難していった。
「他に逃げ遅れた人は?」
「今確認中」
現状を確認する騎士団たちもまた胸に押し寄せる不安を押し殺してひたすら自分たちの使命を果たす。
ここで自分たちが弱さを見せれば住民が確実に不安を爆発させるということは分かりきっている。そのため自分を強く持ち、冷静を
保っていた。
「栞達もまだよ」
「まだ城の中なのか?」
だが香里と北川は栞と玲那がまだ姿を現していないことに一抹の不安を隠せない。
特に香里は今にもここから駆け出して城の中にとんぼ返りしそうである。
「おそらく。だが、ここはあいつの事を信じるしかない」
「相沢君の弟さん、ですか?」
「ああ。何故か知らないが、あいつからは相沢と同じ感じを受けた。俺も相沢を詳しく知らないが、どうにかしてくれる気がする。きっと、全員無事に帰ってくるさ」
だが北川は信じていた。白斗の言葉を。そしてことりが無事暦たちとここに生還するということを。
それは無意識のうちに受けた白斗の強さだった。
北川は瞳に込められた意志の強さを白斗の内に秘めた強さとイコールで結び付けていた。故に北川は白斗たちを信じ、無事玲那と栞
がここに姿を現すことを願う事しか出来なかった。
それが今できるせめてもの事。だが、それ以上に今すべき事は自分たちの職務を、使命をまっとうする事にある。
揺れ動く心に強がりを強いながらも北川達はそれぞれに与えられた役割を果たすのだった。
漂う異様なまでの空気。
低いうなり声が廊下を満たすことでその存在をアピールする魔物達。
行く手を完全に阻まれ、挟み撃ちをくらった状態のまま滞っていたことりたちだが、思わぬところから天の助けは現れた。
風人と美風。ことりが祐一から貰い受けた宝玉の中からその姿を現した双子の兄妹。だが、一つ言えることはただの双子ではなく、
この圧倒的不利な状況を打破する鍵であるという事である。ことりの誓いを果たすために手を貸してくれる小さくも大きな祝福であ
る。
「後ろはどうにかするから、先に逃げ道を確保しちゃって!」
「わかった! 行くよ、マスター!」
「うん!」
すると美風は逃げ道とは逆の方からこちらに狙いをつけている魔物達の方へと向かい、風人とことりは逃げ道となる方にいる魔物達
に向かう。
「ここから先は行かせないよ!」
美風は気流を操作し、魔物の群れの目の前に風の障壁を発生させ、魔物たちを完全に拒絶する。
もがきながら風の壁を無理矢理突き破ろうとする魔物達だが、それは徒労に終わることとなる。たかが風、だが美風によって作られ
た風の障壁はちょっとやそっとで破られるほど柔な物ではなかった。
風の気流が高速で回転し、全く物理的なものを弾き返して受け付けようとせず、触れれば魔物達の腕は弾かれ、無理に突き破ればその腕を絡み取り細切れにしてしまう。
そのため魔物達は身を切り刻まれるだけで、全く前に進む事は出来ない。これで後ろの防御は完璧である。
おかげでことりと風人は目の前に群がる醜い化け物たちを蹴散らすのに専念できるわけである。
「風よ!」
風人の巻き起こした突風が魔物達に襲い掛かると、その動きを乱し封じる。
「はあぁぁぁぁッ!」
その隙にことりは白風の押収で魔物達の首、腕、足、胴を薙ぎ、次々と肉塊に変えていく。
飛び散る血しぶき、轟く断末魔、風に乗って鼻を突く腐臭。 どれもリアルを伝えてくれる要因であり、嫌でも生を実感させてくれ
るものたちである。
自分が今生きている事をこのような事で実感したくはないが、今はこの感覚が感じられる間はまだ自分がこの世で心の臓の律動を重ねているせめてもの証となっている。
しかし、そんな血生臭いリアルの感じ方から抜け出し、外の空気に身を浸して自分の命を感じるためにも、この修羅場をなんとしてでも突破しなくてはならない。
それでも、現実は過酷なもので、倒しても湧き出てくる魔物達は無尽蔵。その発生源たる上層部との繋がりを持つ天井に開けられた
穴からは次々と代わりの魔物が姿を現していた。
「天井があれじゃキリがないよ!」
「ゴメンね、マスター。ぼくは美風と違って障壁を作る事が出来ないからどうにもならないんだ」
「君のせいじゃないよ。とにかくここは根気勝負だね」
愚痴を零すことりに申し訳なさそうな声で風人が言う。
その言葉が逆にことりに罪悪感さえ与えてしまい、戦闘中にも関わらず謝ってしまう。彼女らしい行動である。しかし愚痴も謝罪も
この状況をどうにかしてくれるわけではない。
今の二人にできるのは見通しのきかない数の魔物達の命をひたすら狩り続けるのみだった。だが、そこに救済の手は差し伸べられる
事となる。
「な、なに?」
見れば天井は凍りつき、その穴を完全に塞いでいた。そのおかげで上から流出していた魔物達は下に降りてくる事は出来なくなっ
た。
「すごい・・・・・・」
呆気にとられるというよりむしろ魅了されるといった表情で呟く風人。それはことりだけでなく戦いの事など全く無知な暦たちにも
言えることだった。
ことりたちが目にし、魅了されたもの。それは一つの光景だった。
それはまさに刹那と呼ぶに相応しい一瞬の出来事。何かの合図でそうなるように仕組まれていたかのように、突如魔物達の体は爆散
し、肉の塊となって地面に醜い雪となって降り積もる。
ことりたちに殺意の目を向けていた魔物達の命は一瞬でこの世から消え去ったのだ。誰もが刹那の間に起きた出来事が如何にして起
こったか皆目見当もつかなかった。
ただ言える事。それはことり、風人、美風だけでは生き延びる可能性の低かったこの状況を打破する事が出来たという事だった。
「ぼさっとしてないで行くぞ」
「だ、誰ですか?!」
ポカンとしていたことりは白斗の声を聞くと反射的に身構えてしまう。そして白斗と初対面のことりは警戒態勢を取りつつも、上ず
った声で尋ねた。
「あんたらを助けるように頼まれた。とにかくここから一刻も早く脱出するぞ」
「・・・・・・信用しますよ」
言葉とは裏腹にまだことりの心中は疑念で満ちていた。
「相沢祐一の仲間、と言えばいいか?」
「祐一君を知ってるんですか?」
「ああ。俺のアニキだ」
「そうなんですか? あまり似てない気もしますけど・・・・・・」
「とにかくとっとと行くぞ」
「あ、はい。みんな、行こう」
ことりが思案にふけっていると、それを無視するかのように強引な態度でことりたちを先導する白斗。ことりも慌てながら後ろにい
る暦たちのことを忘れることなく誘導し、どうにか危険の中心から抜け出す事が出来た。
城の正面から外に出ると、何故か日の光が懐かしく感じられる。だがそんな余韻に浸る暇もなく、祐一に指定された防壁の東側へと
向かった。そして走りながらもことりは風人と美風の事について本人達から直接話を聞いていた。
「ようするに二人はもともと白風の守護精霊で、しかも上級精霊だと。そして私がそのマスターだというんですね?」
「そういうこと。白風の持ち主であるあなたが僕たちのマスターでなくてはならないんだ」
「実力に関しても私たちを使役するには許容範囲内みたいだしね」
外見に見合った性格で無邪気に言う二人だが、これまでのことから二人が人に在らざるもの、そして精霊である事が伺える。そして
精霊の中でも言葉を話すのは上級精霊だけである。
つまり、二人はこんな幼い容姿をしてはいるものの、かなり強い力を持った精霊だという事だ。そして、そんな二人はことりの持つ
白風に宿された守護精霊だという。
守護精霊とは、武器や武具などに宿っている精霊の事で、装飾に付けられた宝玉に宿されている。二人の場合、祐一からもらった青
の宝玉が二人が宿されているものである。
「でも私じゃ力量不足じゃないの?」
「大丈夫だよ。これから成長する見込みあるし、それに僕たちマスターのこと気に入っちゃったし。ね?」
「うん。わたしも」
どうやら二人はことりのことをマスターとして、かは怪しいが、気に入ったようだ。無邪気な笑顔がその心情を覗かせている。
「ということで、あなたは僕らのマスターとして相応しいので、契約を交わそっか」
「どうすればいいの?」
「『契約の詩』を詠えばいいの」
「『契約の詩』?」
「ぼくらの後に続けるだけでいいよ」
「それじゃ、いくね」
ちなみにここまでのやり取りは走りながら行われている。
果たして契約を結ぶ儀式をこんな形で執り行ってよいものだろうか? などと思うが、今はいちいち止まっていられるほど時間がな
い。そのため無作法ではあるが、走りながら契約の詩を詠う事にする。
風を纏う我らの定めを受け入れる器―――
蒼天と陽光の祝福の下、白く汚れなき流れの中その存在の受諾をここに誓う―――
その命尽きるまで、永久の契約を我らと汝は交える―――
我らが運命は汝と共に―――
汝の運命は我らと共に―――
風の加護を授かり、汝が求める願いの旅路を進むため―――
我ら、ここに御力を与えるために契りを違うことなし―――
唱えよ、約束の言葉を―――
双風の契り―――!
詩が終わると、三人の周りを光が包む事も、風が吹き荒れる事もなく、虚しいくらい何も変化がない。神聖さの欠片も感じられない
儀式のやり方が拍車をかけてか、さらに虚しく感じられる。
「・・・・・・終わったの?」
「うん、終わったよ」
あまりにあっけない幕切れにことりは拍子抜けすることり。思わず尋ねるが美風は当たり前じゃない、という様子で返事を返した。
ともに走っている暦たちから見れば三人揃って走りながらブツブツと独り言を口にしているだけにしか見えない。結果としてみれば
何とも味気ない契約の儀式であった。
そんな事をしている間にもことりたちはファンシスタ東の防壁に近づきつつある。
そして徐々に見えてくる人だかり。それは不安を顔一杯に浮かべながらしどろもどろしている住民たちの姿だった。
ことりたちは人と人の間を縫うように駆け抜け、秋子達騎士団の元へと急ぐ。そしてようやく壁のように立ちはだかっていた人ごみ
を抜けた。
「栞!」
「玲那! 無事だったんだな!」
まず最初に歓喜の声を上げて香里と北川が走り寄って来た。
「うん。白河さんに助けてもらったから」
「怪我とかはない?」
「はい」
「よかった・・・・・・」
香里と北川は二人の無事を確認すると心から安堵する。栞と玲那もまた香里と北川の顔を見ると自分たちが助かったのだと感じたよ
うだ。肩に圧し掛かっていた緊張が抜けていったようで、強張った顔から笑顔がこぼれている。
「そろそろ事情を説明しないといけませんね」
「住民が事態を把握してない」
「でも、逆に不安にならないかな?」
その傍らでは事態を説明しようとする秋子だが、躊躇いを見せる名雪の意見も筋が通っている。
事態がわからず慌てる住民。説明するのは落ち着かせる一つの手段でもあるが、魔物が攻めてくる、王宮は原因不明で襲われたなど
と言えば逆に不安を逆撫でする事になりかねない。
「でもここは言うべきです。人々の意思なくして迅速に避難する事は出来ないでしょうから」
「大丈夫。秋子さんは間違ってない」
「すいません。我が侭を言って」
「そんなことない」
騎士団の最高責任者にしては恐縮な態度で秋子は言う。これもまた彼女が上に立つ者として得たと一つスキルなのだろう。そんな態
度もまた水瀬秋子を皆が支持をする理由なのかもしれない。
そして秋子は全体を見渡せる高い台の上に立つと、声を広域に響かせる機械、マイクのようなものを使って住民、騎士団、全ての
人々に語りかけた。
「みなさん。これからお話する事は紛れもない事実です。ですが心配しないで下さい。みなさんの命を最優先に我々騎士団は行動しますので、住民の方々は指示に従ってください」
説明する秋子には住民がパニックを起こすのではないかと常に心配が付きまとっている。それでも表に見せないようにしながらなお、人を束ねる立場の人間としての厳格な態度を貫こうと務める。
「今、このファンシスタを何者かが襲撃し、国王のいた玉座は魔物で溢れています」
その瞬間ざわめきが溢れ出した。それは溜まっていた不安を吐き出すように聞こえる。
互いの顔を見合わせながら自分たちは果たして無事に生き延びられるのかと、過ぎ去った悲劇の再来を予感していた。
「ですから、我々はこの街を放棄し、住民の命を最優先にする決断を下しました。街が魔物に占領されてしまうと考えたからです。ですが!」
秋子はそこで声を強く発し、強い姿勢に切り替えた。
「街はまた造ればすみます! しかし命は何物にも代え難いのです! ですから理解してください。我々が生き延び、何をすべきかを。このような一国の首都を護りきれない騎士団の言葉ではありますが、今はどうか我々を信じてもらいたい!」
それは秋子自身の叫びであった。
最後の言葉を言い終えると、秋子は住民の前で深々と頭を下げた。
騎士団の最高責任者が自らの頭を下げる。それは屈辱的な行為極まりない。当然秋子とてプライドもある。騎士団としての役目をま
っとう出来ぬ今、プライドを捨ててまで住民を裏切った自分をさらす必要があった。
それが街を捨て、逃げ延びる事を選んだ自らの覚悟の証。それを示さずに人々の理解を得る事は出来ない、秋子はそう考えたのだ。
だが住民の反応は秋子の危惧を良い意味で裏切ってくれた。所々から送られるのは秋子を励まし、称える声援だった。
この声援の数だけ秋子は信頼を集めているという事である。
そう、秋子は誰もが認めるこの街最高の指導者の一人なのだ。
「ありがとうございます」
そう言ってもう一度頭を下げた。
今度は覚悟を示すためではなく、ただ感謝の意を表明する姿勢。それが今秋子の心の想いを透写していた。
「時間だ」
「そうですか」
秋子が台の上から降りると、待ち受けていたように白斗が言う。
「確か合図とともに防壁を破壊して逃げろという事だったな」
「こんな分厚い壁を壊せなんて簡単に言ってくれますね」
「それについては任せろ」
そう言って白斗は一歩前に出る。
「できるのか?」
その言葉に対して白斗は愚問を尋ねられたようにさも当然という顔で答えた。
「俺にしてみればこんなの紙切れだ」
すると白斗は立ちはだかる防壁へと歩み寄っていった。
誰もがその言葉に耳を疑うことだろう。分厚い石の塊を紙切れ扱いしたのだから。
そして白斗は防壁から二メートルほど距離を置いて無造作に立つ。すると何も言葉を発さずに両手を複雑な動きで動かした。
まるでオーケストラの指揮者のように上下左右と腕を動かすこと約一秒たらず。次の瞬間誰もが目を疑った。
ズドンッ、という重量感ある音の嵐とともに防壁の一部にトンネル状の穴を残して崩れ去ったのだ。だがそれに事態は留まらず、崩
れ落ちた瓦礫が瞬時に凍りつき、そして砕け散った。
完全に粉砕された壁は瓦礫を残すことなく見事開通し、一般人でも簡単に通り抜けられるトンネルが完成した。
そして誰もが見る事になる。
この先に広がる光景を。
そして誰もが息を呑み、言葉を失う事となる。
To be continued・・・