公式 じょりんぼ・如輪房
如輪房 鈴木賢二
賢二代表作 原爆版画絵巻
鈴木賢二「恵光院川」1966年頃
北関東の真ん中にある栃木市、冬の晴れた日には南に富士山がくっきり浮かぶ。
北には雪をかぶった那須連山、東には形よく筑波山を望む。
街の中心部には、栃木の歴史を静かに語るうづま川、西に大平山を抱き、
その裾に永野川が悠々と流れる。暮らしの中に、関東平野の豊かな土壌を
いただくところ、栃木市。
永野川から分水された用水路、恵光院川。ここに架かる恵光院橋。橋の真下は大きく
えぐられた洞であった。これがじょりんぼ。明治・大正生まれの子どもたちはここで遊んだ。
「じょりんぼであそんべやー(遊ぼう)」。子どもたちにはじょりんぼが一日の遊びの場所.
橋から飛び込むもの、洞にもぐって友達の足をひっぱるもの。
遊びづかれれると橋のらんかんに腰かけて次の遊びを企てる,遠征を企てる。
じょりんぼは明治、大正の近在の子どもたちの広場、ひろっぱ。
明治生まれの木版画家・鈴木賢二の創造の原点。
鈴木賢二作品室・如輪房
栃木市富士見町2‐4 栃木駅より徒歩6分
電話・Fax 0282-22-1093 e-mail jyorinnbo-tokiko@cc9.ne.jp
栃木県立美術館 「没後30年 鈴木賢二展」(2018年)開催図録:巻頭言より
版画家・鈴木賢二 について
(前略)鈴木賢二(1906年〜1987年)は市井の人々をいきいきと描き続け、版画家として、
彫刻家として、そして漫画家として、昭和という困難な時代を駆け抜けました。その優れて
前衛的な造形は、近代美術史の中でも存在感を示しています。
栃木県下都賀郡栃木町(現・栃木市)に生まれ、後に北関東の版画運動を担った鈴木賢二は、
1925年に東京美術学校(現・東京藝術大学)の彫刻家科に入学後、プロレタリア美術運動に
熱中し、漫画やスケッチで人物表現に秀でた才能を発揮しました。
1932年暮頃に栃木に帰郷してからは彫刻家として活躍し、やがて第三部会の会員にもなった
ほか、工芸やエッチング制作など、多彩な分野への挑戦を試みています。
第二次世界大戦後には、社会運動にかかわった木版画を多く制作し、日本国内にとどまらず、
中国や旧ソビエト連邦など、国際的な広がりの中で活動しました。そのメッセージ性強い版
画によって平和を希求し、懸命に生きる人々の側に立ちつづけました。
時に時代の波に翻弄されながらも、生涯にわたって、農村に生きる人々や都市の労働者たち
に温かい眼差しを向け、子どもたちを慈しみ深くとらえ続けた美術家です。(後略)
1960年「署名」
2021年5月20日、朝日新聞「天声人語」欄に『鈴木賢二』
の文字が躍った。
前年の秋、愛知県知事リコール署名偽造事件が発覚。
民主主義の根幹を揺るがす事件である。
5月19日、関係者が逮捕され20日はその事実が報道された
日だった。
賢二1960年制作の「署名」は、命とくらしを守れと要求する庶
民の必死な姿が画かれている。
「天声人語」氏はこれを以って署名することの重大性を伝えた。
原爆版画絵巻 −平和を世界に− 1958年
鈴木賢二の12m余の長尺版画絵巻『平和を世界に』核兵器廃絶を願い、訴える作品です。
鈴木賢二の『平和を世界に』は1958年、第4回原水爆禁止世界大会の会場に展示され、その作品の下には
各国代表のサインが記されました。
特に作品の最後近くに記されている、原水爆禁止運動の生みの親ともいわれる故・安井 郁氏(法政大学教授)
のアピールは今日も鮮やかに世界の平和を訴えています。