15歳のあなたに西水代 石山セキ子 母は産婆でした。父が早く死んだので、私たち兄弟4人は、母1人に育てられました。 昭和20年、戦争が終わり、復員者がどんどん帰ってきて、子どもがどんどん産まれまし た。母は、スクーターに乗り、村中を走り回りました。 母が仕事に出かけた留守には、タンスの中にしまってある看護学・産婆学の本を見るのが 楽しみでした。筋肉や血管の様子、お母さんのお腹の中で小さな赤ちゃんが、だんだん大き くなっていく様子、何回見てもあきませんでした。そして、私は小学校6年の時に「将来、 自分も看護婦になろう」と決心しました。 高校卒業後、看護婦・保健婦の勉強をしました。内科病棟の実習の時、便秘で苦しむお年 寄りの看護をし、やっとのことでウンコが出た時、その色が黄金色に輝いて見えたこと。ま た、産科実習で若い妊婦さんが満身の息みの末、オギャーの第一声と共に血だらけの赤ちゃ んが産まれるのを見て、恐ろしさと壮絶さの中にも、命を産み出す神々しいまでの情景に胸 打たれたことを今でもはっきり覚えています。 昭和36年、保健婦として大平町に採用されました。当時は、衛生知識や栄養状態も低く 「女の血は不浄だから」と土間でのお産もありました。 赤ちゃんの死亡率も高く、その改善策として家庭訪問・母親教室や乳児検診・離乳食の講習 会など実施しました。 また、なんとか肥らせようと、赤ちゃんコンクールが盛んに行なわれました。必要以上に 子供が産まれないよう若妻会の人達に受胎調節の実施指導を行ないました。 当時は、寄生虫も多く、婦人会役員さんが集めた便を試験管に入れ、飽和食塩水で溶かし スライドグラスに乗せ、顕微鏡で調べ、十二指腸虫、回虫プラスの人は、近くの公民館に一 日入院させ、薬で駆除しました。結核患者も多く、各自治会ごとにツベルクリン判定やBC G接種・レントゲン検診を行ないました。 昭和40年代、高度経済成長と共に飽食の時代を迎え、運動不足とあいまって肥満・糖尿 病・高血圧症など、成人病疾患が大きな社会問題にもなってきました。そして現在では、生 活習慣病と改名され、それぞれの対策が講ぜられています。これらの仕事は大勢の人達のチ ームワークで初めて達成されます。仕事を通じ、職場の人はもちろん、地域の人達にもいろ いろなことを教えていただきました。そして、仕事をすることの苦しみ、喜び。一つの仕事 が軌道に乗った時の満足感は、苦労して悩んだ分以上に自分の魂を蘇らせてくれます。やさ しく、強く生きる自信を身につけることができたように思いました。また、各々の小さな命 が、この地球よりも重い価値のあることを知りました。 私は、大平町役場に36年間勤務し、平成9年に退職させていただきました。先日、町の 担当者より、介護保険の中でお手伝いをしていただきたいとの話がありました。職を退いた 後も、自分の勉強した資格と経験を生かし、チームの一員として参加させていただくことに 感謝しています。 15歳のあなた!! どうぞ、自分の進む道を選んでください。目標が定まれば、前途は 洋々と開かれます。 ご両親や先生方・友達・あなたの応援団がたくさんいます。 限りない希望と勇気・決断力で、自分の進路、そして豊かな人生を作り上げてください。![]()