夢は努力してつかむもの
     西野田 須藤 明美  今、世界中で「イチロー、イチロー」と注目されている。彼がそこに至るまで、ど れほどの努力をしてきたのであろうか。 そんな『イチロー』には足元にも及ばないが、私の『自分史』のほんの一部分を書 いてみたい。 私が将来の職業を心に決めたのは、小学校の高学年のころだった。「あの学校に行 って、(あこがれもあって)東京の学校に行こう。それから……。」と、将来に胸を ふくらませていた。 裕福ではなく、どちらかといえば、中の下といった暮らしぶりであったが、仲良く 平凡な日々が流れていた。 当時、姉は6歳上で社会人、妹は小6で私が中3の6月のある日、考えてもいなか った父の突然の病死により、私達の生活は一変した。専業主婦であった母が大黒柱と なり、朝早くから夜遅くまで、なりふりかまわず働く姿を見た時に「あー、私の夢は おわったんだなぁー。」と思ったし、そう思えた。 それでも、母のがんばりと私のがんばりもあって、何とか高校へ入学。でも、いつ も頭の中には、早くいい仕事について、母を楽させたいという気持ちがあったので、 積極的に次々と受験し、結局4回とも失敗。自分自身が情けなく、また、あせればあ せるほどに空回りするばかりであった。しかし、自分には夢があったのだと思い直し 短大に行くことに決めた。 夢だけが先行して、下準備の全くない私は、ゼロからのスタートだったので、仕事 と学校の両立は、思っていた以上にとても大変だった。どうして自分だけこんな苦し い思いをしなければならないんだろうと、何回も何回も思い、いっそ止めれば楽にな るんじゃないかなと思ったことも確かであった。しかし、止めれば離れて暮らす母を がっかりさせることになると思うと、それもできなかった。そして、「他の人にでき て、自分にできないことはない。」という元来の負けず嫌いの性格も手伝って、なん とか2年間、乗り切ることができた。そして、今度は3度目のチャレンジでようやく 手に入れた夢。 無事卒業して、希望の仕事につくことができた時、母は自分のことのように喜んで くれたし、私も、今までの努力が認められたことに満足していた。 しかし、好きでなった仕事なのに、2年目に入り慣れて余裕ができると「これでい いのかな。」と悩み始めた。そんな時、短大の先生のすすめもあって、再び仕事と学 校の両立をすることになった。そう、今度は電車に乗って東京の大学へ行くことにな ったのである。学校までは遠かったけれど、苦にはならずうれしかったのを今でもは っきり覚えている。 私の場合、いろいろ回り道をして夢がかなうまでは、本当に長い道のりだった。夢 が現実になるという間には相当の差があり、その間には、悩み、苦しみ葛藤しながら も「なりたい。」「なるんだ。」「絶対なるんだ!」という気持ちを持ち続け、それ をバネに努力した結果だと思う。 環境が人間を変え、失うものと得るものがあり、どうとるかで人は変わり、弱くも 強くもなれる。そして、努力のあとには自ずと結果がついてくると思っている。また 体験を通して言えることは、『運』も夢をかなえてくれる一つかもしれない。 まずは、一歩踏み出してみよう! 今は、すべてが懐かしい思い出に変わっている。 最近考えたことは、高校時代の4回の受験の失敗は、もしかしたら、私の一番なり たかった仕事、イヤ一番あう仕事につかせてくれるための神様のいたずら(?)だっ たのではないかと……。