小山の伝説
呪われたたなばた
特政から7代目の小山政種は、小田原の北条氏の娘をめとった。北条氏は関東一帯を支配下におさめようとして、幾度か小山の祇園城を攻めたが成功せず、和睦することにして、息女を政種にとつがせたのだった。
やがて、豊臣秀吉が天下統一をはかり、北条氏に来降を求めたが、小田原城ではそれを拒んで防備をかためた。縁につながる政種も、家臣を引き連れて小田原城へ入った。秀吉の大軍は、城を囲んで長陣をしき、城中に食糧が尽きるのを待った。こうして、ついに北条氏は降参した。
政種は、小田原開城の前に脱出して小山城へ帰り、秀吉に許しを乞うた。しかし、秀吉は聞き入れず、部下に命じて祇園城を攻めさせた。その日は濃霧がたちこめて見通しがきかず、物見の家来が畑一面のモロコシを敵の槍の穂先と見誤り、大部隊が攻め寄せたというので、城士らがあわてふためいたために、ほとんど戦わずに陥落したという。なさけないことだと思うのは人情で、それからモロコシをつくる人がなくなったといわれる。そして、ちょうど7月7日のたなばた祭りの日に落城したものから、小山寮内の人々はそれは悲しみの日として、色とりどりの願いの糸をかけてめおと星を祭る行事は、しだいに行われなくなったのだそうである。
注 小田原落城のあと小山城が攻められた事実はない、という説もある。だが、たなばた祭りをしないという習俗があったのは、まぎれもない事実の様だ。ただし、いつごろからのことかはわからない・・・
実なしイチョウ
小山の城が落ちたとき、城主の姫君は世をはかなんで、城中の井戸に身を投げて死んだ。あとで自分を捜し求める人々のことを考えて、目印に、イチョウの小枝をさしておいた。
姫の乳母だった老女は、井戸のそこの姫君を発見して、嘆き悲しんだ。どんなに泣き叫んでも、美しい姿はもどらない。涙がかれたとき、老女は身をおどらせて姫と運命をともにした。
イチョウの小枝は根付いてどんどん伸びたが、あわれな死にようをしたお姫様の霊がやどって、ついに実をつけることがないという。また、老女のおはぐろがうつったのだという黒い小石が、そばの崖から出る。
注 城址公園にある大イチョウがこれだが、ふつうさかさイチョウと呼ばれている。井戸のあとは、今はよくわかならい。
夜泣き石
小山の城はとうとう攻め落とされた。結城の城主が、接収にやってきた。庭園の石組みに、みごとな7つの石があった。
「これはすばらしい。あの7つの石を、結城の城へ運ばせよ。」
命令がおりると、没落した小山氏の旧家臣が召集されて、遠い道のりを運ばせられた。彼らは歯をくいしばり、脂汗を流して、みじめな労勤を堪えしのんだ。坂道にかかると、苦しさにうごめく者もあった。ひたいの汗が地面にしたたり、目尻から垂れるのは涙のようだ。彼らの前後・左右には、勝ち誇った結城氏の家臣たちの鞭があったのである。
ようやく結城の城中に運び込み、城主のさしずどおりに据えられた。
「庭がひきしまって、いちだんとよくなったのう。」
お大名は上機嫌だが、小山の家臣たちは去りがたい思いだった。幾度も、無心の石を撫でさすっているものもあった。自分たちのお城の石をぶんどられたのだから、はらわたが煮えくりかえるような気持ちなのであろう。
その夜から、不思議なことが起こった。夜中になると、庭先からあわれげな鳴き声が聞こえる。毎夜のことだから、城中はそのうわさでもちきりになった。
ある夜へんな夢を見て目が覚めた城主が、とつおいつ物思いをしていたとき、庭先からすすり泣くような声がした。ひとりではなく、ふたり、3人・・・
「だれか来い。」
大声で近侍を呼んだ。若い侍がかけつけた。
「あれはなんだ、あの泣き声は?」
家来は、刀を置いて、近頃のうわさについて語った。そして、言うのだった。
「泣いているのは、庭の石でございます。石が泣くなどそんなばかげたことはないと思い、こよいのとのいを幸いに、さきほど庭にしのび出まして、私がこの耳で聞きました。確かに、石どもがないているのでございます。」
城主は、半信半疑で侍臣の話を聞いていた。目をつむると、石を運んだ小山の家臣たちのうらめしそうな顔、顔、顔・・・が、まざまざと目にうまんだ。石が泣かなくても、彼らが泣いていることに間違いはない。
あくる日、結城の家臣達が7つの石を運んできて、もとの場所に戻した。石たちは、その夜から泣くのをやめた。なつかしい土地へ帰って、泣く必要がなくなってのであろう。
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