表紙 「日本仏教改革論」
 書 名 日本仏教改革論
 出版社 雄山閣
 発行年 平成8年12月初版発行
 大きさ 四六判、222ページ
 価 格 2,200円(税別)
 目 次 第1章 日本仏教のさまざまな問題点
第2章 今、日本仏教は
第3章 どうすれば日本仏教は再生するか
第4章 これからの日本仏教
【主 な 内 容】
 先頃、日本学術会議宗教学研究連絡委員会の主催で、日本宗教学会など八学会が参加した「現代と宗教の危機」と題するシンポジウムが開かれましたが、最近の爆発的な人口増加や核の脅威、宗教・民族間の確執による内戦、オウム真理教のサリン事件を契機とする民衆の宗教不信感など、人類の生存にかかわる現代の危機に対して、はたして既成宗教はなにをなしうるのか、それは民衆救済のニーズに応えているのか、といった問題が提起されました。これに対して今日の宗教者は、ただ従来の慣習や既得観念に安住して危機感や緊張感を抱かず、この危機状態を乗り越える明確な打開策やその具体的な活動への優先順位すら付けえないという悲観的な結論に達したようです。(中略)
 もし、わが国の仏教教団にすでに民衆救済の理念もその活用策もなく、ただ考古学的価値や葬祭儀礼の執行しかないとしたなら、それらは過去の文化遺産として博物館や美術館に委譲するか、葬儀業者に売り渡したほうがどれほど得策かしれません。
 しかしながら、もし、仏教やその教団に民衆救済の理念が厳然としてあり、活用価値があるとするならば、それをむざむざ放棄させるのは私たちにとっての一大損失です。(中略)
 そこで、ここでは既成宗教の中でも、仏教とその教団に焦点を当てて、今後、それらから私たちは何を学ぴうるか、また、学ぴとるためにはそれらの私たちに対する建設的役割やその具体的な実現方法はどこにあるか、といった問題をここに取り上げたわけです。
 仏教の教えとは「分け登る麓の道はおおけれど、同じ高嶺の月を見るかな」で、その究極の目的は月そのものをつかむことではなく、その月を眺める私たちの心構えを指しているのだと思います。私たちはいずれ死ななければならない存在ですが、その間において、誰がどんな生き方をし、どんな死に方をしようと勝手ですが、毎日を楽しく過ごし、いざ死ななければならないときには安心して死にたいと願っているのではないでしょうか。自分が死ぬことが逼迫した現実となったとき、科学的知識や医療行為だけではもはや役に立たず、自己との闘いになります。そのとき、私たちがどんな心構えをするかによって、その心底の宗教性が試されることになりましょう。
 二十一世紀を迎えるにあたり、この書は仏教の未来像を予言するものではなく、その生殺与奪の権は、一にそのにない手である読者諸兄姉の双肩にかかっています。はたしてみなさんに私の考えがどれほどご理解いただけるかわかりませんが、ひところの進歩的文化人やそれに便乗する人々のように、わが国の伝統的宗教や慣習を民主主義を阻害する過去の封建的所産だと十把ひとからげに切り捨てるには忍ぴず、そのよきを採り悪しきを捨てて、今こそユーザーの立場に立って私たちを善導してもらいたいがためにしたためたものです。(※本書「はしがき」より)



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