現代人の法話 
~ 啐啄同時 ~

 

禅の言葉に「啐啄同時(そったくどうじ)」というものがある。ヒナ鳥が卵から殻を破ってまさに生まれ出ようとする時、ヒナ鳥が卵を内側からコツコツとつつくことを「啐」と言い、その時、すかさず親鳥が外から殻をコツコツとつついて破る、これを「啄」と言う。このヒナ鳥の「啐」と親鳥の「啄」、この両方のタイミングが一致してこそはじめて固い卵の殻が破れ、ヒナ鳥が産まれ出てくるのである。「啐啄」はどちらかが早くてもいけないし、遅くてもいけない。これをたとえとして禅では「機を得て両者相応じる得難い好機」のことを「啐啄同時」といい、師匠と弟子、先生と生徒、親と子の関係に大切な言葉とされる。

しかしこの啐啄同時はよく考えると偶然ではない。ヒナ鳥は知らないが、親鳥は常に卵に注意をはらい、ヒナ鳥の合図である「啐」を絶対に見逃さない。それが親というものであり、生徒や弟子の求めに応じて最適な教え・方法を即時に教示できるからこそ先生、師匠と呼ばれ、尊ばれるのである。

阿弥陀様も一緒である。阿弥陀様は常にあなたを見守り、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えれば、その願い、また悩み苦しみに応じて下さる。実を言えば直接答えを出しては下さらないが、お護り下さる事で、心を整え、心の支えとなって下さる。

また生きている中では時に人生を左右するような、折れた心を支えてくれるような珠玉の言葉に出会うこともある。これらは往々にしてヒナ鳥の「啐」のように自身の環境や心の状態など、様々なご縁が整ってはじめて出会え、心の底から受け取れるものである。

さわやかな秋の季節がやってくる。この時期はお彼岸もあり仏教に親しむ最適の時期だ。特に当山『耕心講演会』等をはじめ様々な寺院や団体が、より人が心豊かに充実した人生を歩むことを願い様々な行事を催す。ぜひ皆さんにはこれらに積極的にご参加いただき、仏様やお念仏とのご縁を深め、人生のよすが、道しるべとなる言葉と出会っていただきたい。




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