| さへられぬ光もあるををしなへて へたてかほなるあさかすみかな |
| 【現代かな】障えられぬ光もあるを押し並べて 隔て顔なる朝霞かな |
| 【出典】『勅修御伝』三十巻 |
| 【私訳】春の霞が、朝の光をさえぎることはありますが、阿弥陀様のすべての人をお救いしようとされるお慈悲の光は、さえぎることはできないものです。 |
| 【私釈】法然様は、四季それぞれを題とする和歌を遺されており、この和歌は“春”の朝、日が差した中に霞がかかった、味わいの深い、情趣に富む景色をご覧になり、お詠みになったお歌とされています。 阿弥陀様のお名前は、無量壽仏そして無量光仏とも呼ばれます。その光は、阿弥陀様の御身体から放射される光を指しており、すべての人を極楽浄土へとお救いしようとされるお慈悲を象徴されたものでもあります。そしてこの光は〜お慈悲は、何者にもさえぎられることなく、すべての人を、平等に照らしてくださっております。このお歌は、その光のお徳を讃えるものであります。 しかしながら、時には、私たちの心も、貪り(むさぼり)、瞋り(いかり)、愚癡(ぐち)の煩悩におおわれ、あたかも春の霞の様に、その光を自らが、さえぎってしまうこともあるでしょう。しかしそれでも、阿弥陀様のお慈悲の光は、決してさえぎられることなく私たちを照らしてくださっていらっしゃることをこのお歌は教えてくださります。そして声に称えるお念仏こそが、その煩悩の霞を自然と消し去ってくださるものなのではないでしょうか。 ある春の朝、美しくも幽玄なる朝霞に向われて、お念仏される法然様のお姿が偲ばれますお歌でもあります。 現在この歌は、奈良の東大寺にございます指図堂の御詠歌となっております。法然様の時代、古都奈良の東大寺や興福寺は、争乱の中、治承4年(1180)、平重衡の軍勢によって焼き尽くされ、仏教信仰の象徴が失われ、人々の不安は計り知れないものがありました。これを深く歎かれた御白河法皇は、東大寺の再建を願い、当時都においてお念仏の御教えを弘められ、僧俗ともに大きな影響力を持ちつつありました法然様にその勧進職(再建のための金品を募るお役目の代表者)を依頼されました。しかしながら法然様は名利を厭い、丁重に辞退され、共にお念仏の御教えを進まれている俊乗坊重源上人様をご推薦されます。そしてご自分は陰の力となり、この指図堂にあって、重源様の勧進のお手伝いをされたと伝えられております。そして建久2年(1191)には、完成間近の大仏殿において、南都の学僧の前で浄土三部経の講義をされました。南都の学僧の中には、お念仏の御教えに疑問を持ち、隙あらばこれを批判しようとする者もあったそうですが、理路整然とお念仏の御教えを展開する法然様に、かえって感服させられたとの伝えもございます。現在、指図堂には、墨染の衣に金剛草履を履いて勧進されていらっしゃる珍しい法然様のお姿(御影)があるそうです。 |