| われはたゝほとけにいつかあふひくさ こゝろのつまにかけぬ日そなき | |
| 【現代かな】我は唯仏にいつか葵草 心の端にかけぬ日ぞなき | |
| 【出典】『勅修御伝』三十巻。『新後拾遺集』の釈教歌の中に。 | |
【私訳】私は、ただ一つ、いつか阿弥陀様にお逢いしたいという事だけは、一日として、心に思わない日はありません。
| 【私釈】法然様は、四季それぞれを題とする和歌を遺されており、この歌は“夏”の風情に誘われて、お詠みになったお歌とされています。現在、この歌は浄土宗大本山京都百萬遍知恩寺の御詠歌になっており、知恩寺に伝わる伝説によると、法然様が京都賀茂神社の“葵祭り”を賀茂の河原屋にてご覧になっていらした時に、あおい草によせて詠まれたものであり、後にお弟子の源智上人がその場所に御影堂を建てたのが知恩寺の始まりとの説もあります。 | この和歌は、法然様が、いつか阿弥陀様に“お逢い”したいというお気持ちを、“あおい草”とかけて、詠まれたものであります。そして心のつまとは心の端の意であり、他の事は心の端にも掛けない日はあっても、唯一この一つの事だけは心に掛けない日はない。すなわち、私は、阿弥陀様にお逢いしたいという事、この事だけは一日として、心に思わない日は無いという、法然様が心から阿弥陀様をお慕い申し、お逢いしたいという、切なる思いを感じ取ることができるお歌かと思います。法然様は、毎日数万遍ものお念仏を称えられておられたと伝えられております。それは阿弥陀様が本願に誓われたお救いのための正定の業であることは勿論。きっと阿弥陀様にお逢いしたいというお気持ちをも込めて、お念仏されていたことと思います。 そして、法然様は、御歳六十六才。ついにその切なる願いを叶えられ、お念仏の声の中、仏様にお逢いすることが実現いたします。その詳しいご様子は『三昧発得記』に記されており、そしてその喜びもまた、一つの和歌に託されます。「阿弥陀仏と申すばかりを勤めにて 浄土の荘厳見るぞ嬉しき」、ぜひ続けて本コーナー17番をご覧ください。 【追記】“あおい草”と“浄土宗”といえば、水戸黄門の印籠で有名な徳川家『三つ葉葵の紋』を思い浮かべられる方も多いと思います。徳川家代々の帰依を受けた浄土宗は、この葵の紋を用いることが許された唯一の宗派であり、お袈裟や寺院の荘厳によく見ることができます。しかしながら、法然様がこの歌を詠まれたのは、徳川時代よりずっと前になりますから、2つの間に関係は無いと思われるのですが・・・、なにか不思議なご縁を感じないでしょうか。 |