法然上人の和歌〜その3

 あみた仏にそむる心のいろにいては あきのこすゑのたくひならまし
【現代かな】阿弥陀仏に染むる心の色に出でば 秋の梢の類ならまし
【出典】『勅修御伝』三十巻
【私訳】阿弥陀様を深く信じる心を、もし色に例えるならば、きっと美しい秋の紅葉のようであるでしょう。
【私釈】この歌は“秋”の風情に誘われて、法然様がお詠みになったお歌とされており、お念仏を信仰する心を、秋の紅葉の彩りに託されたお歌であります。
 すなわち、梢の葉が、秋も深まっていく中、霜や時雨などが夜となく昼となく降りかかっているうちに、徐々に時間をかけて、黄・赤に美しく染まっていくが如くに、阿弥陀様を信じる心も、一朝一夕に出来上がるのではなく、日々お念仏に励み、阿弥陀さまの本願を深く信じ続けていくことによって、その心の内がだんだんと美しく染まっていくということを諭されたものであり、その成熟された美しさをたたえたものであると思います。
 現在この歌は、京都大原の天台宗の御寺院である『勝林院』の御詠歌となっております。大原と言うと門跡寺院『三千院』が有名ですが、一方で仏のお徳をたたえて唄う声明でも知られており、話す言葉の調子が狂うことを、「呂律(ろれつ)がまわらない」と言いいますが、これはこの地を流れる呂川、律川のせせらぎに声明がかきみだされるというところから生まれた言葉だそうであります。
 この『勝林院』は、法然様が浄土宗を開宗された十一年後の秋、後に天台座主となられる顕真法印様の要請によって、法然様が仏教各宗の大学者たちと、浄土の法門について、論議を闘せた、浄土宗にとりましてはとてもご縁の深い地であります。そしてこの『大原問答』を機にして、浄土一宗は諸宗の間に認められ、浄土宗のはなやかな夜明けとなったのです。きっと法然様の目には、この洛北の地の紅葉が、格別鮮やかに美しく映ったものと想像されます。