しはのとにあけくれかゝるしらくもを いつむらさきの色に(と)みなさむ |
【現代かな】柴の戸に明け暮れかかる白雲を いつ紫の色に(と)見なさん |
【出典】『勅修御伝』三十巻。『玉葉集』。『和語燈録』六巻〜諸人伝説の詞の中に |
【私訳】朝夕に見られるあの白い雲は、私の命が終わる際には、紫の色となり、阿弥陀様がこれに乗ってお迎えになってくださる事でしょう。紫となるのは何時の日でありましょうか。 |
【私釈】法然様は、75歳の時に、讃岐の国に配流されましたが、間もなくすぐに朝廷はその誤りに気付き、その年の暮れには、ご赦免の宣が下されました。しかし、まだ京都へ戻ることは許されず、摂津の国(大阪府)の勝尾寺にしばらくご逗留されたそうであります。勝尾寺は古義真言宗の古刹であり、十一面千手観世音菩薩を本尊とされ、西国33ヶ所の第23番の霊場として境内にはあまたの堂塔があるそうですが、この中で、法然様は本堂から少し離れた高台の、二階堂と呼ばれる草庵において、約4年の間、京都に戻るまでの間を、お念仏三昧の日々を過ごされたのであります。 柴の戸とは柴で作った門、転じて簡素な住まい、すなわち二階堂の草庵を指し、「あけくれ」とは戸を開ける意味と日が明け暮れるの意との掛けことばでありましょう。 紫の雲とは、お念仏をお称えする者には、その臨終に際し、阿弥陀さまをはじめ、観音、勢至などの諸菩薩が紫の雲に乗じて来迎してくださり、その聖衆来迎の祥瑞として、まずは紫の雲がたなびくということを指しているのであります。 法然様は、すでにご高齢の身ゆえ、ここを最後の地と感じられたのかもしれません。そこで、平素より朝晩見慣れているあの白い雲を、いつ紫の雲として拝むことが出来るのであろうか。何時その時が来るかもしれないという思いと、切に阿弥陀様のご来迎を、お迎えをいただきたいものだというお気持ちが、このお歌には含まれているものと感じることが出来ます。 草庵で日々お念仏に励む法然上人。朝晩そこから見られる何気ない景色の中にも、往生への思いが込められている尊いお歌だと感じられます。 また、この勝尾寺二階堂は、法然上人25霊場の第5番となっており、この和歌はその御詠歌となっております。 |