法然上人の和歌〜その14

 おほつかなたれかいひけむこまつとは 雲をさゝふるたかまつの枝
【現代かな】おぼつかな誰が言いけん小松とは 雲を支うる高松の枝
【出典】『勅修御伝』三十巻、『法然聖人絵』弘願本巻四に
【私訳】この松を、小松とは誰が言ったのであろうか、おぼつかないことである。雲を支えんばかりの高く大きな枝ぶりなのに。
【私釈】 このお歌は、その詠われた地に2つの説があります。まず一つは、法然さまが京都での晩年を過ごされた小松殿(現在の小松谷正林寺…二十五霊場十四番、京都市東山区)、2つめは、法然さまが四国へ配流された際に住まわれた小松の庄(現在、西念寺…香川県仲多度郡満濃町)であります。その地は、いずれにしても、両方の地名に“小松”とあり、おそらく松林があったことが推察されます。  法然さまは、そこに立ち、おそらく(小松とは言いながら、)地名に成る程の立派な、高く大きくそびえる松を仰ぎ見ながら、このお歌を詠われたのでありましょう。
 実は、お歌の心にも複数の解釈があるのですが、この点を先賢は「くれぐれこの一首優しき歌なり。その時、その景風、その人を思い入りてみるべし」とお諭しくだされていらっしゃいます。
 さて、その中でも、私自身の考え、そして、このコーナー番外編にあります「草も木も枯れたる野辺に唯独り 松のみのこる弥陀の本願 」のお歌との関連から申せば、やはり松は、お念仏に例えられるのではないでしょうか。すなわち法然さま当時、お念仏は、他の修行の補助的な位置付け〜低い価値しかない行、修行の能力の劣る者が修める少しの功徳しか得られない行とされており、松に例えれば“小松”にしか過ぎないとされていたのです。しかし、法然さまが明らかにされたお念仏の御教えは、阿弥陀さまの本願に立脚した、“最勝最善”にして“万機普益”〜お念仏する者は誰でも、すべての人が平等に、かならず極楽浄土へと往生することができるという、他のどんな修行と比べても最も勝れ、最も大きい善根〜功徳となるものなのでありました。
 その事を、法然さまは、松に託され、お念仏の行を“小松”といって、劣った価値の低い行だとそしる人もいますが、それはまったくおぼつかない事であり、全くの逆であり、お念仏の行は、雲を支えんばかりの高く大きな枝を張った“高松”のように、勝れた尊い行であることを教え諭されるために詠われたものでありましょう。
 さて、このお歌は、現在、法然上人二十五霊場の第二番『法然寺』のご詠歌としてよく知られております。この『法然寺』は、法然さまが四国へ配流された際に住まわれた小松の庄『生福寺』を、江戸時代になって、徳川家康公の孫であり高松藩祖の松平頼重公が移転、復興され、その名を『法然寺』(香川県高松市仏生山町)と改められたという、由緒ある寺院であります。本堂には法然さまご自作の阿弥陀如来像ならびに法然さまの真影が安置されております。
 また、移転した後には、一寺が建立され、現在『西念寺』となっており、法然さまのいらした名残として、“水鏡の御影”、“法然水”、“立華の松”などが残されております。
 ぜひ、私も、法然さまの四国におけるご遺跡をお参りさせていただき、また法然さまが、見上げという松を、仰ぎ見てみたいと思っております。
(※なお、小松谷正林寺については、後日、本コーナー13番でふれたいと思います)