| これを見んおりゝゝことにおもひいてゝ 南無阿弥陀仏とつねにとなへよ |
| 【現代かな】これを見ん折々ごとに思い出て 南無阿弥陀仏と常に称えよ |
| 【出典】『和語灯録』巻四〜十二箇条問答の終りに。 |
| 【私訳】この十二箇条の問答を見るごとに思い出して、南無阿弥陀仏と常にお称えしてください。 |
| 【私釈】この和歌は、法然様の孫弟子にあたる了慧道光上人が編纂された『黒谷上人語灯録』のうち、特に法然様の残された和文体の文書を集められた『和語灯録』の中の一部、十二箇条問答の終りに記されているお歌であります。 この十二箇条問答は、念仏行者の心得について12ヶの問答に分けて、ねんごろに説いてあるもので、特に第一問に「かようの五障の身までも」とあることから、あるいは女性の質問に答えたものであるかと考えられています。 その内容は、問答という性格上、大変分かりやすく、喩えもあって親しみやすいものとなっております。例えば「罪の重いものでも往生できますか?」という問いに対して、「お念仏をお称えすれば、どんな罪の重い者であっても必ず往生させていただけます。それはちょうど重い石でも船に載せたならば沈むことなく海を渡れることが出来るようなもので、阿弥陀様の本願の船に乗りさえすれば、この娑婆世界、迷い苦しみの世界に沈むことなく、必ず往生できるのです。(意訳)」 また、「本願が悪人を嫌わないのなら、すすんで罪を作っても大丈夫なのでしょうか?」という問いに対しては、「仏様は悪人を見捨てはしないけれども、だからと言ってすすんで罪を犯す人には仏様のお弟子になる資格がないでしょう。例えば親が子供をかわいがると言って、親の目の前で悪いことをした時、親は喜ぶでしょうか。おそらく親は子を嘆きながらも捨てることはしないでしょう。哀れみながらその罪を憎むことでしょう(意訳)」などという具体的なものです。 法然様は、この十二箇条の問答をはじめとして、様々なお伝記、書物に見られるように、浄土宗開宗の43歳から80歳でご遷化されるまでの長きにわたり、様々な場所で、様々な人々に、様々な形で、阿弥陀様のお念仏のみ教えを弘められました。これは多くの方々を、一人でも多く、広く仏教のみ教えによってお救いしたいというお慈悲の顕れでありましょう。これを他宗派でありながら、日蓮聖人は「草も木もなびく法然上人」と歎じ、一休禅師は「活き如来」と賞賛されました。この法然様の流れを汲む私たち浄土宗の僧侶も、常に阿弥陀様の本願、そして法然様のみ教えを奉じ、「南無阿弥陀仏」の声を弘め、共にお念仏に励んでいきたいものであります。 またこの和歌は、京都鹿ケ谷の法然院のご詠歌となっています。この法然院は法然様が草庵を結び、別時念仏会を修された事。またその直弟子である住蓮、安楽が六時礼讃を勤め、お念仏を弘められた事を機縁として、江戸時代に“不断念仏浄土律院”として創建された名刹であり、清規を守るお念仏のお寺として、また様々な文化啓蒙活動を展開されるお寺として、今日にまで伝えられております。 |