草も木も枯れたるのへにたゝひとり 松のみのこる弥陀の本願 | |
【現代かな】草も木も枯れたる野辺に唯独り 松のみのこる弥陀の本願 | |
【私訳】 草も木も枯れ果ててしまった野原に唯一残り、常磐の緑を誇っている松は、あたかも阿弥陀様の本願のようです。
【私釈】この歌は「弥陀本願の御詠歌」と呼ばれ、江戸時代徳川家康公の帰依を受けた浄土宗中興上人、源誉存応様(観智国師)が法然様の時代に思いを馳せ、詠まれた和歌で、現在は浄土宗総本山である京都知恩院の御詠歌とされております。 | 法然様がお生まれになったのは、平安時代末期。当時は大火や飢饉、大地震などが続き、民衆は生活に苦しみ、中央では公家勢力に代わって、武家勢力が台頭がはじまり、戦乱の時代に入りつつありました。そんな中、仏教界といえども、一部の僧兵が朝廷に強訴に及び、比叡山までもが権力闘争の場になるなど、正に末法を感じさせる世相であり、それまでの仏教の御教えもまた、形骸化し、衰退しつつあったのです。 そんな中で、法然様は、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えれば、阿弥陀様の一切の人々をもらさず救いとるという本願によって、老若男女、善悪を問わず、みな平等に救われるという専修念仏の御教えを説かれたのです。 このただひたすらに、阿弥陀様の本願を信じて念仏すれば救われるという御教えの根本である‘弥陀の本願’は、あたかも草も木も枯れ果てた野辺の如くあった時代、仏教界にあって、唯一つ残された常磐の緑を誇る松の様に、希望の御教えであり、すがるべき道しるべともなったに違いありません。そして、この御教えは、学問も修行も名誉も地位も財産をも超越し、老若男女を問わず、善悪を選ばず、とうてい救われることのない人々でも、ただこの阿弥陀様の本願を信じて念仏すれば救われるという主張の故に、幾多の迫害や非難がありましたが、またたく間に全国に広まっていき、あたかも常磐の緑を誇る松のように、生き生きと栄え、受け継がれていきました。 |