いけらは念仏の功つもり、しなは浄土へまいりなん。 とてもかくてもこの身には、思ひわつらふ事そなき |
【現代かな】生けらば念仏の功つもり、死なば浄土へまいりなん。 とてもかくてもこの身には、思い煩らう事ぞ無き |
【出典】『勅修御伝』二十一巻〜上人常に仰せられける御詞の中に。 |
【私訳】生きている間はお念仏を称えてその功徳が積もり、命尽きたならばお浄土へと往生させていただきます。そう信じきっている私にとりましては、今思い煩うことは何もありません。 |
【私釈】この今様歌は、法然様が日頃おっしゃっておられたお言葉の1つとして、そのお伝記『勅修御伝』に収録されており、この歌の後には、「と思いぬれば、死生ともに煩い無し」という詞が添えられております。
さて、私たち人間にとって“死”、とりわけ自分の死は、非常に大きな問題であり、最大の不安でもあります。いつ?どうやって?何が原因で?と考えてみれば、ますます不安は増すばかりで、普段は“自分の死”など「縁起でもない」と無意識のうちに避けているのが現状ではないでしょうか。しかし人はいつか必ず、100%死んでいくのであります。真剣に考えれば考えるほど、この世に私という存在が無くなってしまう恐怖、その後どこへ行くのかという不安、愛する家族や友人たちと別れなければならない苦しみ等々、まさにお釈迦様の説かれた四苦八苦にはきりが無いのであります。 しかし、阿弥陀様は、そんな私たちに、“お念仏の御教え”を開いてくださいました。 すなわち、「阿弥陀様の極楽浄土へ生まれたいと、日々お念仏を称える者は、その命終わりし時、必ず阿弥陀様みずからが姿を現され、お浄土へと導いてくださる」という御教えであります。 ひとたびお浄土へと生まれれば、この私は一切の苦しみ・悩みの無い、美しく安らかなる世界で、仏道の修行に専念でき、仏様になるまで阿弥陀様にご指導をいただけるのであります。そしてお浄土から愛する家族や友人たちを見守ることも出来ますし、いつかまたお浄土で再会できる日もやって来るのであります。“お念仏の御教え”が四苦八苦、すべてを取り払ってくださるのであります。 その心を法然様がお詠みになられたのが、この歌であり、まさに浄土宗の信徒の理想の心持ちを表した歌でありましょう。 また、この歌の心をさらに味わうに、江戸時代の高僧“無能上人”は、 「後の世も この世もともに 南無阿弥陀仏 仏まかせの 身こそやすけれ」(二世安楽のご詠歌) 「南無阿弥陀 ほとけまかせの心には 思ひわつらふ事の端もなし」と詠われていらっしゃいます。 また浄土宗の御教えを表したものに“阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏」とみ名をとなえて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。”という一文があります。すなわちお念仏とは、亡くなる時だけのためでなく、むしろ日々の生活を安らかに豊かにするためにお称えする、そういう功徳も積もるものと私は信じています。 私たちも日々お念仏に励み、“思い煩らう事ぞ無き”の気持ちで、明るく正しく安らかに暮らしていきたいものです。 |