法然上人の和歌〜その21

 極楽もかくやあるらむあらたのし とくまいらはや南無阿弥陀仏
【現代かな】極楽もかくやあるらむあら楽し 疾く参らばや南無阿弥陀仏
【出典】『法然聖人絵』弘願本巻四に。
【私訳】阿弥陀様の極楽浄土もこのように楽しい所なのでしょう、南無阿弥陀仏とお称えして、急ぎ参りたいものです。
【私釈】この和歌は、法然様が四国に流罪になられた際に、その道中、瀬戸内海の塩飽島において、当時の地頭の高階時遠(たかしなのときとお、「保遠・やすとお」とも伝えられる)の手厚い接待を受けられた際にお読みになったお歌と伝えられております。
 法然様のお伝記によれば、この時遠がある夜、煌々と光る満月が袖に入り込むという不思議な夢を見たあくる日、四国へ向かう法然様のお舟が塩飽島に立ち寄られたそうであります。時遠は昨夜の夢の意味にすぐに合点し、早速法然様を館に招き、長旅の疲れを癒していただくために、薬湯を用意され、大そうなご馳走を用意されたと伝えられております。この歓待に感激された法然様は、このお歌を詠まれたのであります。私たちも温泉などに浸かった時、その心地よさに思わず「あ〜極楽、極楽」と口に出しますが、法然様が住み慣れた京都から離れ、はるばる四国まで船にゆられての旅路の途中、思いもかけない歓待を受けたお喜びがこの歌からは感じられます。そしてこの喜びは“極楽もかくやあるらむ”と、極楽浄土での楽しみと重ねられますが、これはとりもなおさず法然様が常にお念仏〜南無阿弥陀仏とお称えして、往生することを願い、そしてとても楽しみにされていたことを明らかにしてくださるものでありましょう。
 さて、その後、時遠は、館のそばに法然様のために庵を設け、自身も出家し、西忍と名乗り、お念仏の御教えを受けられます。現在その庵は浄土宗寺院“専称寺”様となり、ご住職は不在のものの、法然様がお持ちになられた金銅仏、そして御作と伝えられる木製の鉦、名号石と共に、地元の檀信徒さんに、脈々と伝えられ、お守りされています。
 また一方で、現在この歌は、法然上人25霊場の第8番であります、和歌山県の報恩講寺の御詠歌となっております。この地は、法然様が四国からお帰りの際、海が荒れ、漂着されたと伝えられる地に立つ寺院であり、やはり土地の豪族孫右衛門をはじめ村人一同が法然様を心からお迎えし、お風呂をたいて、歓待され、そしてお念仏の御教えを受け、別れの際には名残を惜しんだと伝えられております。
 このように、法然様がいかに多くの方に慕われ、そしてお念仏の御教えを弘められたかが、この和歌の背景からうかがい知ることが出来ますと共に、法然様がいかに極楽浄土へ思いを寄せていたかが感じられることでありましょう。