| いかにしてわれ極楽にむまるへき 弥陀の誓ひのなき世なりせは |
| 【現代かな】いかにしてわれ極楽に生まるべき 弥陀の誓いの無き世なりせば |
| 【出典】『法然聖人絵』弘願本巻四に |
| 【私訳】どのようにして私は極楽浄土へと往生したらよいのでしょうか。もし阿弥陀さまの本願が無い世であったならば。 |
| 【私釈】 現在(平成17年7月)、毎月発行されている浄土宗の機関誌『宗報』には、佛教大学の伊藤真宏先生が“法然上人のお歌”と題して、上人御作の和歌の解説を連載されていらっしゃいます。このページも伊藤先生の連載を大変参考にさせていただいており、この場をかりて、心から御礼を申し上げたく思います。 さて、このお歌は、法然さまが、その晩年、四国の讃岐国へと配流されていらした時のお歌として知られております。その間、法然さまは、いくつかの名所、霊験の地を訪ねられたそうですが、ある時、“讃岐の松山”という名所へと行かれた際、あまりの素晴らしさに、皆で一首ずつ歌を詠もうということになり、そこで法然さまが詠われたのがこの歌であると伝えられております。しかし、この歌が景勝の素晴らしさを詠んだものでなかったため、その理由を訊ねたところ、「景色は本当に素晴らしいものでありますが、それを感じ終われば、またすぐに、歌のような気持ちになるのです」と法然さまが答えられ、それを聞いた、皆が涙したと記されているのであります。 あなたは、なぜ、皆が涙されたと思いますか? 法然さまは、43歳にして浄土宗をお開きになり、以来30年あまり、京都を中心に、浄土宗〜お念仏の御教えを弘めていらっしゃいました。ところが、法然様のお説きになるお念仏の御教えの急激な広がりに危機感を感じていた従来の仏教界の不当な圧力により、お弟子さまの不始末がきっかけとなり、四国へと流罪にされることが決められました。この時、法然さまは75歳。当時ではかなりの高齢であり、長年住み慣れた京都を離れ、遠方に行かれることを、お弟子たちは、大変心配され、「お念仏の布教をしばらく中止して、謝罪されてはいかがでしょうか」と勧めます。しかし法然さまは、「流罪をうらみに思ってはいけません。お念仏の御教えをさらに広く、四国へも弘めるご縁を戴いたのです。」とおっしゃり、お言葉通り、四国をはじめ、多くの人々へとお念仏の御教えを弘められていったのであります。 と申しても、やはり75歳のご高齢です。おそらく、お弟子たちは、法然さまの心身を案じ、おなぐさめする意味もあって、折々に、名所などにお連れされたのではなかったのでしょうか? しかし、この歌とその御心をお聞きした時、お弟子たちは皆、法然さまのお念仏にかける一途さに、打たれ、そして涙されたのではないでしょうか。 私たちもまた、阿弥陀さまの本願の有り難さ、そしてそれを明らかにしてくださった法然さまの有り難さをかみしめつつ、極楽浄土へと往生させていただく行〜お念仏に励んでいこうではありませんか。 |