コミックと出版規制について。           小林多加志


<要旨>
 1.はじめに
 なぜこの問題に興味を持ったか。
 2.漫画をとりまく状況
 (1)1980年代以前のコミック関連の社会問題
 (2)現在のまんが                            
   (ア)漫画市場の巨大化                      
   (イ)青年誌の相次ぐ発刊                    
   (ウ)エロ劇画から美少女コミックへ          
   (エ)同人誌                                
   (オ)少女雑誌、レディースコミック         
   (カ)その他、最近の派生または関連メディア 
  など社会的影響が大きく、漫画は無視できない存在となっている。
 3.規制推進                                 
  (1)全国各地での有害コミック追放運動 
   (ア)各地の運動                  
   (イ)行政・警察の協力               
  (2)出版、流通、書店の自主規制      
  (3)青少年条例                          
   (ア)青少年条例の変遷                
    (イ)青少年条例の内容           
  (4)フェミニズムの観点           
  (5)刑法175条による取締まり      
  (6)国による圧力とはばまれた中央立法化
  などの官・民の有害図書排除運動が進められた。
 
 4.法規制反対側                         
  (1)性急な法規制への反対                 
  (2)ポルノグラフィ擁護論               
   (ア)社会学、精神医学での反論     
   (イ)漫画記号論での反論              
    (ウ)漫画不良文化論             
  (3)コミック表現の自由を守る会     
  などの法規制に対する反対意見が出された。
  5.その他                              
  (1)性表現以外の出版のタブー      
   (ア)出版への圧力              
   (イ)差別表現              
  (2)海外での出版規制        
   (ア)アメリカにおける「ホラーコミック」規制
    (イ)イギリス                          
    (ウ)日本の運動との比較                   
  (3)子どもの権利条約                        
  など出版界はさまざまな問題を抱えている。
 6.結論                            
  ひとりひとりが、みずから本を選び評価できるようなセンスを持たなければならない。


<本文>
1.はじめに
  2.漫画をとりまく状況
 (1)1980年代以前のコミック関連の社会問題
 (2)現在のまんが                            
   (ア)漫画市場の巨大化                      
   (イ)青年誌の相次ぐ発刊                    
   (ウ)エロ劇画から美少女コミックへ          
   (エ)同人誌                                
   (オ)少女雑誌、レディースコミック         
   (カ)その他、最近の派生または関連メディア 
  3.規制推進                                 
  (1)全国各地での有害コミック追放運動 
   (ア)各地の運動                  
   (イ)行政・警察の協力               
  (2)出版、流通、書店の自主規制      
  (3)青少年条例                          
   (ア)青少年条例の変遷                
    (イ)青少年条例の内容           
  (4)フェミニズムの観点           
  (5)刑法175条による取締まり      
  (6)国による圧力とはばまれた中央立法化
  4.法規制反対                         
  (1)性急な法規制への反対                 
  (2)ポルノグラフィ擁護論               
   (ア)社会学、精神医学での反論     
   (イ)漫画記号論での反論              
    (ウ)漫画不良文化論             
  (3)コミック表現の自由を守る会     
  5.その他の出版物をとりまく環境   
  (1)性表現以外の出版のタブー      
   (ア)出版への圧力              
   (イ)差別表現              
  (2)海外での出版規制        
   (ア)アメリカにおける「ホラーコミック」規制
    (イ)イギリス                          
    (ウ)日本の運動との比較                   
  (3)子どもの権利条約                        
  6.結論                            

1.はじめに

 私は高校に入る前は漫画をほとんど知らなかった。読んだとしても「少年ジャンプ」などのメジャー誌や、PTA御推奨的古典作品(発表された当時は問題となったのですが。)くらいだった。

 私が漫画に興味をもった大きな理由のひとつがマイナー誌で活躍をしていた漫画家たちの奔放で開放的な性描写、性をテーマにすることにより広がったドラマ性などである。また「すばらしい作品」と「駄作」が並んで掲載されているような雑誌のなかから、自分自身の目で「これは」と思う作品を見つけていく喜びも大きかった。

しかしちょうど私がこの世界の魅力に気づく直前までこれらの漫画家たちは冬の時代を過ごしていた。そしてこの冬の時代を調べていく過程で、これが出版界全体において重要な意味を持っていることに気づいた。ここでは1990年のコミックの性表現排除運動を中心に、出版界のかかえる諸問題をあきらかにしていく。

2.漫画をとりまく状況

(1)1980年代以前のコミック関連の社会問題

 まだ子供向けまんがの出現していない明治時代には、現在の「漫画亡国論」にかわって、「小説亡国論」が存在していたといわれる。このころ学生たちの逸脱行為が頻発しておりその原因として、探偵小説、恋愛小説の有害性もさることながら、「家長も知らぬことを知りまたは考える」(柳田国男「明治大正史 世相史」)ことで読者に批判的精神をもたらすとされた小説という媒体が槍玉に挙げられた。この小説俗悪論は、教育者たちにより学生の逸脱行動の目に見える原因として小説がスケープゴートにされたという事情もあるが、小説が家庭の共同体のなかで「大人の目の行き届かない空間」をつくりだし、その空間が嫌悪される性質をもっていたという見方は現在のカラオケボックスやパソコン、ビデオソフトに対する偏見と通じるものがある。

 大正期になってはじめて子供向けの本が文部省、内務省、警視庁、などにより干渉を受けるようになり、また「改造」などの一般誌でも子供向け俗悪読み物糾弾の特集が組まれた。これらで問題とされた俗悪読み物とは記事の低調卑猥なもの、子供が喜びさえすれば良いという追従主義、色彩の濃厚強烈なもの、文字が細かく目に悪いものなどを指した。

 戦前には1938年「紙芝居検閲制度」「児童読物改善に関する指示要項」が出され多数の漫画が発禁となった、また1941年軍部の干渉で「のらくろ」が連載中止となった。

 戦後、零細業者による赤本漫画が流行、この中で手塚治虫などが登場した。この赤本にたいしては「漫画本を通じて犯罪の手口をおぼえてしまう」などさまざまな批判が集まり、戦前から活躍してきた漫画家も「俗悪漫画本の出現によって、児童漫画が白眼視される」などと批判的見方をした。

 1953年漫画の内容の荒唐無稽さ、暴力シーン、エログロを問題とした「日本子供を守る会」「母の会連合会」および各地のPTAにより「悪書追放運動」がおきる、この過程で各地で青少年条例が制定されていくことになる。しかし、ことを重くみた編集者たちが「日本児童雑誌編集会」を結成、編集部相互の連絡をとりあいながら、批判者を交えて話し合いの場をもち問題の所在を明らかにする運動をした。また文部省が図書選定制度の導入しようとした際には、編集者だけでなく批判者達もこれにたいして反対していった。

 1959年の白土三平の「忍者武芸帳」など貸本漫画の残虐描写、が問題化、このころから1970年代にかけて劇画の隆盛が始まったが現在のように「少年誌」「成年誌」等の区別がなかった時代だけに問題も大きかった。

 1968年、永井豪「ハレンチ学園」が「週間少年ジャンプ」に連載を開始。スカートめくりなど軽い内容だったが、新聞等で取り上げられたため問題化、各地で追放運動がおきた。毎日新聞が大人の性急な価値観で規制することに疑問を投げかけ、また東京子ども教育センターの調査報告をもとに、ハレンチマンガと精神発達の阻害との関連性は薄いという記事を載せるなど、マスコミもそれほど批判的ではなかった。

 このほかにも1968年、軍服等を懸賞の商品としたため抗議を受けた「あかつき戦闘隊大懸賞問題」。1970年手塚治虫の「アポロの歌」での性描写の問題化、福岡での発売禁止(朝日新聞「貧しい漫画が多すぎる」では最近の漫画の性描写の多さに「手塚治虫の遺志をついで良心的な漫画を描け。」という主旨のことを述べていたが、そもそも漫画に性描写を取り込んだのは手塚先生なのだ。)、1978年のエロ劇画誌発禁などがある。

(2)現在のまんが

(ア)漫画市場の巨大化

 発行部数600万部といわれる「週間少年ジャンプ」の例を挙げるまでもなく、漫画は現在の出版業界に大きな影響力を持っている。実際出版物に占める漫画の比率は販売部数では37%、販売金額では25%を占めており、現在も天井知らずの成長を続けている。

 つくり手である漫画家の世界はどうなっているのかというと、多数は名もない漫画家であり、その中から選び抜かれた雑誌連載をもつ漫画家でもひとりでは手が足りずアシスタントを雇うため、雑誌連載をやっているだけでは儲らず単行本の発行によって初めて儲けがでるという状態。ただし作品がヒットすると、単行本の増刷などでさらに儲り、さらに売れるとテレビアニメの放映権料などの副収入が増え、さらにひとにぎりの人は長者番付に載ってしまうというピラミッド式の構造になっている。

 こうした中で漫画家は出版社の庇護下におかれ、漫画家は「売れる漫画」を作り、出版社はデビューから雑誌連載、単行本化まで面倒をみてゆくという、お互いに利益を与えあう関係がかたちづくられた。この体質は、当初出版社が自主規制を行っていたなかで作者が下手なことをいわないよう漫画家らに箝口令をしき、またその住所を公表しないという状況を生んだ。

 こういったノウハウは一朝一夕にはできず新規参入した会社は苦戦を強いられることになる。結局、集英社、小学館、講談社でシェアの8割をしめており、74社の加盟する日本雑誌協会のなかでもコミックを扱っているのは18社と、コミックで潤っている会社はほんの一部であることを示している。またこの他、雑協に加盟していない多数の小出版社がある。

(イ)青年誌の相次ぐ発刊

 青年誌の先駆けとなったのが1968年創刊の「ビッグコミック」(小学館)である。このあと読者が歳を取るにしたがって「ビッグコミック」は成年誌へとかわっていき現在は35、6歳を対象としている。この後1979年に「ヤングジャンプ」(集英社)、1980年に「ヤングマガジン」(講談社)、「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)、1987年に「ヤングサンデー」(小学館)などが創刊された。「週間少年マガジン」、「週間少年サンデー」などの少年誌を卒業してきた読者を受け継ぐ形となったこれらの青年誌は対象年齢の高さから、笑い、テーマ等の広がりが許容され、様々な新しい試みがなされており、最も注目されている分野である。また「性」が重要なモチーフとして入っているところが少年誌との大きな違いとして挙げられる。

(ウ)エロ劇画から美少女コミックへ

 1970年代後半に、エロ劇画ブームというものがあった。リアルな描写によって人間の暗い性的情念を表現することを主題にしたこれらの作品群は、作家の力量もあってか、テレビ番組「11PM」で取り上げられたりと、話題になった。

これにかわって1980年代から登場してきたのが美少女コミック(他にロリコンマンガ、Hマンガ、インディーズコミック、新感覚エロマンガ等の呼称がある)であり、これは、まんが・アニメなどに描かれていた「少女」を性的妄想の対象として捉え、それを遊び感覚によって描き始めた若い漫画家の作品群で、初期は同人誌でのアニパロ(アニメのパロディ)が主流であったが、マイナー出版社により次々に雑誌が創刊され、またエロ劇画誌「エロトピア」(ワニマガジン)が内容を刷新し美少女漫画誌となったことに象徴されるように前述のエロ劇画にとってかわった。美少女漫画は漫画的なかわいらしい絵で軽く明るく描かれ、パロディック・マニアック・エロチックを基本としているのが特徴で、SM、Dカップ等のキンキー(変態)的なものや、ホラー、ファンタジー、SFといったものなどもみられる。

 1980年代後半には、これらの描き手が青年誌などのメジャー誌へ進出して活躍を始めた。

 また、これらの漫画を専門に出版している出版社は、大手の出版社が加盟している日本雑誌協会や出版倫理協議会にに加盟しておらず、出版問題懇話会という団体をつくり、業界のアウトサイダーと見られているため、今回の問題での大小の出版社の足並みをそろえての対応を難しくした。

 ちなみに今回の問題では出版社の商業主義に対する批判があったが、優秀なポルノ系の漫画が売上を左右させることも少なくない。低迷を続けていた「プレイコミック」が美少女漫画「お元気クリニック」の連載を始めたことで売り上げをのばし、青年誌が部数競争のなかでマイナーポルノ誌からの描き手を登用してきたという例はたくさんある。

(エ)同人誌

 高校、大学などの漫研をはじめとして全国には数万の漫画サークルが存在するといわれる。同人誌は手軽にコピーなどで作られるものから本格的オフセット印刷まで様々な物があり、個人での通信販売や各地の同人誌即売会(東京晴海で年2回開かれる最大のものは客を20〜40万人集める)で頒布され、大書店や漫画専門店でも扱われている。とくに女性のパワーが大きく、アニメ等の少年キャラクターを任意にカップルにし、恋愛させる遊び、方法論(これを自嘲的に称して、「や」ま無し「落」ち無し「意」味無し、「やおい」と呼ばれる)を生み出した。固定客をもち数千部を売りさばいたり、同人誌で得たノウハウや固定客をひっさげてプロデビューしたり、「自由に描きたい」というプロが同人誌をてがけたりという現象もみられる。

 美少女マンガが同人誌から生まれたのは前述したとおりだが、マイナー誌との交流が多いのも同人誌の特徴である。

(オ)少女雑誌、レディースコミック

 女性の場合、少女マンガを卒業した世代を受け継ぐ形での青年少女むけ漫画はあまり活気がなく、少女雑誌、少女小説などに人気があつまる。

 1984年自民党三塚博議員が衆院予算委員会で少女雑誌の過激セックス記事を告発、自民党は議員立法で図書類の規制法案を成立させようとした。この法案は結局流産したが、問題とされた雑誌の廃刊、出倫協の各社への自粛要請などの自主規制がとられた。

 レディースコミックは性描写の過激さなどにより成人女性向けポルノとして見られることが多い。売れているため内容的にはパターン優先主義がとられる。この問題の勃発で、性描写の量は男性向けよりは少ないものの各地で有害指定をうけたため性描写は抑えられてきた。最近SMや体験手記物の人気が高まっている。

(カ)その他、最近の派生または関連メディア

 レンタルビデオなどの存在で爆発的に普及したビデオは、映画などの復刻だけでなく、Vシネマ、OVA(オリジナルビデオアニメ)など独自のジャンルをうみだした。1989年幼女連続殺人の容疑者がビデオマニアであったことから、ホラービデオの規制の動きがおこっただけでなく、「ビデオや漫画など」が「異常な犯罪を誘発」するという印象を世間に広めることになった。

 パソコンゲームソフトもその閉鎖性から問題となった。1992年ソフトメーカーのガイナックスが自社のソフト「電脳学園」の有害指定に対し宮崎県に異議申し立てをした。この後「コンピューターソフトウェア倫理機構」が発足、成人向けマークの表示など自主規制を行った。

 サービス開始前からポルノ番組が問題視されてきたダイヤルQ2は、ポルノ番組に関しては登録制とし青少年のアクセスを不可能にした。

3.規制推進

(1)全国各地での有害コミック追放運動

(ア)各地の運動

 1990年に入ってから住民や宗教団体による「漫画の性描写をなんとかしろ。」という動きがみられた。

 和歌山県田辺市の女性数名がはじめた「コミック本から子供を守る会」の署名運動がマスコミに取り上げられたことで、「有害コミック」追放運動が全国的に広がっていく。これらの団体の戦術としてはビラ配り、出版社や出倫協などに要請文、抗議文をおくったりハガキ攻勢をしたり、といったもので、大運動に発展、万単位での署名を集め、2000人規模の集会を開いた。

 彼女らがどのような点を問題にしたか、様々なビラや発言から、

1.成人向け出版物を未成年が買うこと。

2.雑誌のグラビアや漫画に性描写が多すぎること。

3.子供向けコミックに性描写があること。

4.コミックにこどもの性行為が扱われていること。

にあるとまとめられる。

 こうして、市民団体の指摘するコミック類が有害図書指定を受け、また業界の自主規制もはじまった。

 この運動は「こどもに性表現を見せたくない」という素朴な親心から生まれたものだが、その素朴さからなんのためらいもなく運動を、お上による法規制や出版禁止をもとめるといった方向へと進ませていった。

田辺市の会のメンバーが討論番組で漫画擁護派から論破された時、彼女らは自身の無知や無思考を反省せず、「東京の評論家たちは頭ばかりで考えてて現実がわからないんじゃないかな。」と雄弁し、「子供のためならなんでもゆるされる。」という意識を一層強くした。また、一部週刊誌等がこれらの運動に「ヒステリックなおばさん」、「愛国婦人会」といったレッテルをはり、「女どもには論理的思考を期待できない。」と喧伝したため、よけい議論の道を狭めた。

 ところで、ここで槍玉に挙げられた、上村純子の「いけない!ルナ先生」と「2×1=パラダイス」は、性描写としてはもっともおとなしい部類に入る(なにしろいわゆる性行を扱ってない)のだが、問題となった他のコミックが青年誌・成年誌に掲載されていた中で、唯一少年誌「月刊少年マガジン」に連載され、単行本も延べ300万部以上売れていた。このため不幸にして、いわゆる母親たちの目につきやすかったし、「子どもむけポルノコミック」という言葉を広めることになった。

 これらの団体の多くは比較的早い段階で休眠または自然消滅している。

(イ)行政・警察の協力

 「草の根運動」としてマスコミに好意的にとりあげられたこれらの運動も実際は、警察や行政機関のバックアップがあった。

 教育委員会などがキャンペーンを実施し、広報等で運動を呼びかけ、また選挙をひかえた市長、議員などが陳情を受け、街頭演説をし、また条例による有害指定という目に見える対策をこうじるなどさまざまな形で行政の協力があった。

 警察は1976年に少年課を発足させ、「有害環境の浄化」を目標としてきた。また派出所に名札を掲げるなど、地域社会との関係を密にしてきた。

 この問題の勃発後盛んに活動をおこなった「母の会」は警察の外郭団体で、事務局も警察内にある。

警察学論集では「現在の住民運動は、浄化運動についてのコンセンサスがない等の理由で必ずしも自発的に発生するものではないため、警察がイニシアチブを取らねばならない状況である。」、「(有害環境と不良行為の因果関係の証明は理論的にむずかしいので)有害環境から影響を受けたと認められる非行事例など因果関係を立証するようなものについては、タイミングを逸せず積極的に広報することにより因果関係に強い印象づけをする必要がある。」など住民運動の支援とそのための世論づくりを論じている。

 この実践としてか警視庁少年課は各都道府県警にこの問題に関し指示を出しそのなかで「関係機関、団体、地域住民(民間ボランティアを含む)との連携の下に、懇談会の実施、各種の広報啓発活動等の環境浄化運動を推進する。」としており、また積極的に「漫画を読んで非行に走った少年」の事例を紹介した。

(2)出版、流通、書店の自主規制

 この運動の勃発で大手出版社は速いうちからひとまず問題となったコミックを回収し雑誌連載中のものは連載を終了させ、ほとぼりのさめるのを待つ処置をとった。問題となったコミックの多くはすでに雑誌連載が終了し、単行本も商品価値を失ったもので出版社としても回収によるダメージは少なく、回収に踏み切れたといえる。例外的には、ヤングサンデー連載の遊人の「ANGEL」がある。これはいったん問題化し1990年10月連載を中止したが、このあとヤングサンデーは「有害コミックってなんだよー」の連載企画を組み規制運動推進側の取材や、読者の声の掲載など意欲的に活動し、1991年新年1号から性描写のトーンダウンをさせ連載を再開した。トーンダウンしたとはいえ「ANGEL」は読者の人気投票はだんとつであったが規制強化の中で単行本の発刊のメドがつかず、結局連載はその後半年で終了することになる。

 出倫協(出版倫理協議会)は1963年12月、悪書追放運動による東京都青少年条例制定問題を契機に、日本書籍出版協会(書協)、日本雑誌協会(雑協)、日本取次協会(取協)、日本出版物小売業組合連合会(現、日書連)を母体としてうまれた。出倫協は当初から「青少年の健全育成」をかかげ社会的批判や権力規制の防波堤の役割をしており、ゆるやかな自主規制の推進するといった活動をしていた。

 今回の問題で出倫協は、有害指定されたコミックの自主的回収や性的表現の自粛をもとめた「自粛要請文書」を会員各社に送付するなどの活動をしてきた。1991年1月、表紙をみてすぐに成人向けとわかるように成人向けコミックに<成年コミック>マークの表示をすることを記者発表、この後出版問題懇話会も<成年コミック>表示をうけいれた。2月には講談社が初の<成年コミック>表示のコミックを発売、また小学館、集英社は<成年コミック>表示のコミックは発売せず、各地で有害指定となったコミックは回収、絶版もしくは修正する事となった。

このあと東京都の要請によって、「コミック単行本に関する自主規制の申し合わせ案」を策定、都の指定したコミックにたいし、1.当該コミックの回収、2.補充出荷停止、3.重版・再出荷時に「成年コミック」マークまたは「18才未満の方にはお売りできません」の表示、4.不健全箇所修正のうえで新装版としての刊行のいずれかの措置をとるよう出版社に勧告することにした。93年にはいってからは、その他の道府県で指定されたコミックスもこの勧告の対象となった。

 取次での自主規制としては、性描写を含むコミックについては「成人コミックコーナー」のない書店への送品を停止するなどの措置が検討されたが、取次の段階で図書選別を行うのは問題があるとして、結局書店へ「成人コミックコーナー」の設置を促す文書、表示用シール等を配布するなどにとどまった。

 各書店をみていくと有害指定図書を即返品、「成年コミック」は取り扱わない、またそれらしき本は一律「成年向け」の棚に持ってきたりといった過剰反応がみられ、またコンビニエンスストアは有害指定コミック、成年コミック表示のコミックを扱わなくなった。書店が扱わなくなった本は返本されていき、各社この分野から撤退を始めることになる。

最近になってやっと<成年コミック>マーク付きコミックも多く書店に並べられこの分野も活況を取り戻しつつあり、また問題となったコミックも他の出版社から再販された。

(3)青少年条例

(ア)青少年条例の変遷

 青少年条例の第一号は1950年の「図書による青少年の保護に関する岡山県条例」である。内容は有害指定図書を18歳未満の青少年に販売することに対し罰金刑を課するもので、今日の青少年条例の原型となっている。平和条約締結後、「青少年保護育成法案」の国会提出がマスコミ界あげての反対運動により阻止されたこともあり、その後全国の都道府県で青少年条例が制定されていくが、これもマスコミ界の「検閲の復活であり、言論の自由を制限することになる」との反対により、「図書は規制の対象外」(大阪府)、「<粗暴性を助長し、恐怖間をあたえ>等の条文の削除」(東京都)、など原案を大幅に修正されることになる。

 この後、1970代後半の自販機による俗悪本が少年非行の原因となっているという問題により、条例のほとんどに罰則規定と「緊急指定方式」、三県のそれに「包括指定方式」が採用されたが、東京、大阪など数都府県は「業者へ自主規制をもとめる」というようなゆるやかな規制であった。1989年岐阜県青少年条例の「包括指定」などの違憲性が争われたが、最高裁はこれを合憲とみなし、マスコミ界も、「自販機本業者が審議会の違憲を聞いてる間に販売を済ましてしまうといった脱法行為に対応するため」、この「包括指定方式」をやむをえないものと評価した。

 かくして、青少年保護の目的では取締りも違憲ではないという見解が成り立ち、この後の有害コミック問題により全国的に青少年条例による出版規制が強化される。

 1990年からの有害コミック追放の全国的な運動のなかで、1991年2月に自民党政調会長が発した「青少年健全育成のためのコミック雑誌等有害図書への『請願』への対処法について」の「コミック規制の請願の案文例」には、「有害図書の排除が全国一斉におこなわれるように青少年保護育成条例を整備し」、「青少年の保護を徹底するための法律を制定する」ように要望するとあり、この案文例に沿って請願運動が進められた。

 このころからマスコミの論調も規制に対しての問題点を指摘する方向へと動いていったものの、結果として各地の青少年条例は

1.「自主規制型」条例を「取締り型」条例にする

2.「包括指定」、「緊急指定」制度の導入

3.罰金の強化

4.ビデオ、パソコンソフトなど規制範囲の拡大

5.その他通報制度の導入など

などの厳しい物となった。

 これらの条例の制定においてはは、有識者による審議会などで原案を検討することになっているが、大阪の施行規則制定の例など審議に時間的な制約を課し、審議不足のまま改正の原案をそのまま見切り発車させてしまう、など議論不足がみられた。

 1991年3月15日「未成年者に有害指定図書を販売した」として熊本県の条例違反で熊本市のサンブックス健軍店、親会社のVステーションが摘発、書類送検された。後に岡山県でも同様の検挙があった。

 最近ではは千葉で包括指定方式をもりこみ厳しくなる形での条例の改正があった。

(イ)青少年保護条例の内容

 青少年条例の内容は、家庭の日の設置、”興業、書籍、玩具等”の推奨、淫行・猥褻行為の禁止、有害玩具、刃物類の規制、有害薬品類の規制、そしてこの有害コミック問題で問題とされる、図書類の販売等の規制、立ち入り調査、審議会等の規定からなっている。図書類の規制に関しては、その対象を業者としている条例がほとんどだが、業者と一般人を区別せず「何人も」としている条例も二条例ある。規制にさいしては、有害図書の指定→告示→販売・陳列などの規制→違反者に対する罰則の適用、といった手続きがとられる。

 業者等への自主規制を求めたうえで有害指定等の規制をする条例(岩手、宮城、京都、大阪、広島など30条例)と、特に業者の自主規制条項を置かず、有害指定するもの(北海道、岐阜、沖縄等16条例)とがあり、自主規制のみで規制を行わない条例は京都、大阪、広島の条例の改正により皆無となった。

 条文における有害指定の一般的判定基準としては細かい違いはあるがどの条例も

1.著しく青少年の性的感情を刺激し、その健全な育成を阻害す るおそれのあるもの

2.著しく青少年の粗暴性又は残虐性を誘発し、又は助長し、そ の健全な育成を阻害するおそれのあるもの(栃木の例)

などとなっている。

また、大部分の条例がこの一般基準では抽象的なため施行規則、認定基準などにより有害指定の基準を設けている。個別指定の場合はこの基準にそって知事が審議会の意見を聞き有害図書の指定をおこなう。緊急指定方式は、緊急を要すると認められるときには審議会の意見を聞かなくても、行政側の担当者が有害図書として手続きを進める事ができる制度であるが、この制度もこれらの基準を判断の基準としている。

 もっとも問題とされる包括指定方式(みなし規定)は「書籍または雑誌であって、全裸もしくは半裸の卑猥な姿態または性行もしくはこれに類する行為で規則に定めるものを描写した図画または撮影した写真を掲載するページをの数が当該書籍または雑誌の三分の一以上を占めるもの」(大阪の例)といった条件をみたす図書を自動的に有害指定図書とみなし、取締りを行えるという制度である。各条例には付表または施行規則があり、これで詳細かつ具体的な基準としている。これらの付表または施行規則はどの条例でも似通っており、まとめると

卑猥な肢体等の例

1.女性の大腿部を開いた姿態

2.女性の陰部、でん部、大腿部または胸部を誇示した姿態

3.自慰の姿態

4.女性の排せつの姿態

5.男女間の愛撫の姿態

6.緊縛の姿態

性行等の例

1.男女間の性行又は性行を連想させる行為

2.強姦その他の凌辱行為

3.同性間の性行為

4.変態性欲に基づく性行為

と水も漏らさぬ内容になっており、ほとんどが「覆い、ぼかし、又は塗りつぶした物を含む」といった文をつけくわえている。

 包括指定方式は、たとえばある書籍が有害指定にあたるかどうか書店が判断しなければならず、ある本を有害図書ではないと思って青少年に販売したがその本が包括指定では有害とみなされた場合条例違反として罰則の対象となる、といった点での明確性の問題、概括的に有害図書として規制の網をかぶせるという点、読者の入手前での禁止措置という点が憲法で禁じられている検閲の性格を持っているという問題をもっている。

 1989年、岐阜条例の合憲判決の伊藤裁判官による補足意見ではこの条例が最も厳しいタイプのものであると認めつつ、これらの問題を

1.指定をうけた有害図書であっても販売の方法が残されている。

2.(下位規範などで)指定の基準が明確である。

3.規制の目的が青少年の保護にある。

として合憲の要素を満たしているとしている。

 コミック規制という面からみると包括指定方式をもつ条例は対象を写真のみとしているものが多い。ただしこの問題がおきた後に包括指定条項を含んだ形で改正された条例には静岡を除く全てが図画も対象とされている。

 全ての条例が立ち入り調査についての条文をもつ。立入調査官は当該職員に報告をもとめ、立ち入り、調査をさせ、関係者に質問し、資料を提出させることができ、立ち入り調査を拒んだ者には罰則が適用される。多くの条例で立ち入り調査はあくまで調査であって犯罪捜査のためではないと明文化されているものの、半数の条例が立入調査官を「警察官」「職員又は警察官」と規定しており、大阪では今回の改正で「警察官でない者」という部分をわざわざ削除している。警察官が立ち入り調査にかかわることの問題点は、戦前の言論弾圧を連想させたりといった精神的な抵抗感もひとつにはあるようだが、通常警察官の捜査には令状が必要でまた不利益供述の強要は禁止されるという大前提があるにもかかわらず、警察官が立ち入り調査をして条例違反が発覚した場合、結果的には刑事手続がとられることにもかかわらず、令状は不用、質問及び資料提出を拒んだ者には罰則が適用されるという制度になっており、厳格な刑事司法手続きを形骸化してしまうという点にある。

各条例では有害図書の指定は知事がおこなうが、審議会への諮問が定められている。審議会は学識経験者を7から30人以内任命し過半数の出席で開かれる。任期は二年とするものが多い。図書、興業、玩具、広告の有害指定の他にも、優良なそれらの推奨、表彰の審議も行う。

(ウ)条例の存在しない長野県方式と市町村の条例

 青少年条例に相当する条例が存在しない唯一の都道府県が長野県である。しかし、これはけっして長野県民が性にたいして開放的であるとか表現の自由に寛大であるということではない。

 長野県では青少年行政において、1.住民運動、2.自主規制、3.行政の啓発努力を三本柱とし、条例にたよらない「長野県方式」がとられている。

 自主規制の例としては「書籍雑誌商組合での成人向け雑誌専用コーナーの設置(1992)」「古書籍商組合での有害出版物の仕入れ拒否(1982)」「映画館での18才未満の確認(1965)」「ピンク映画の写真ポスター禁止(1969)」「カラオケ事業者協会による中高生の利用制限(1989)」などがあり、また長野県は「トルコ風呂」建設反対の住民運動が各地で展開され、現在でもいわゆるソープランドが一軒も存在しない。「有害コミック問題」に関しては92年度から2032人の少年補導員(市)と2500人の青少年育成推進員(町村)による「青少年に有害な社会環境排除推進モデル事業」と、育成会や自動会での「校外活動活性化モデル事業」によって対策にあたっている。

 政府はコミック規制の請願の「処理意見」で各地の条例を評価し、長野県に対する条例制定の指導を言明しているが、青少年育成を「官」ではなく「民」においておこなおうとする長野県の姿勢は評価されても良いと思う。

 いっぽうで長野市には図書規制制度をもつ1978年制定の「長野市青少年保護育成条例」が存在する。この条例の制定にあたっては県内初の試みとあって「『良書』『悪書』を判断する市民の当然の権利が奪われ、長野市長が任命するひとにぎりの審議委員の考え方によって、表現の是非が決められてゆく。」といった地元紙による警戒キャンペーンが行われた。この市条例は結果としては長野市内から(現在長野県内には78台ある)ポルノ雑誌自動販売機を追放することができた。こういった成果、そして市条令では指導力が足りないといった事情から、長野市議会は1992年3月25日県議会、および知事に「青少年保護育成条例の制定を求める意見書」を提出し、県に条例の制定を求めた。これに対し知事は県議会で「条例を制定するつもりはない。」と表明し、自主規制による青少年保護をすすめていく方策を堅持した。

 この他にも青少年条例や有害図書規制条例などをもつ市長村はいくつかある。

(4)フェミニズムの観点

 この問題以前から「行動する女たちの会」etc.の女性団体は、ポルノグラフィを「性の商品化」としてとらえ批判し続けてきたが、表現の自由を規制する動きには警戒心を持っており規制推進派というよりむしろ法規制には反対する立場にいた。また「女性の裸そのものがわいせつ物で公序良俗を犯し善良なる男たちに悪い影響を与える」という「わいせつ観」も批判している。しかし漫画の50%に性表現があるとして全国のコミック規制の運動の火種となった東京都生活文化局婦人計画部の「性の商品化に関する研究」や朝日の社説「貧しい漫画が多すぎる」は明らかにフェミニズムの考えを取り入れているし、「わいせつ」に加えて「性の商品化批判」というあらたな考えが加わったため、メディアも「表現の自由」を全面に打ち出せず、逆に「性の商品化批判」を支持し、各地での「有害コミック追放運動」がこれほどの盛り上がりをみせたといえる。

(5)刑法175条による取締り

 小説・写真・映画などで「わいせつ」とされる出版物は刑法175条を正確に適用すれば合法的に存在することができない。しかしこの条文は憲法21条で認められた表現の自由に反するとこれまで様々な議論がなされており、また人々の「性」に対する考え方も変わってきている。ロマンポルノ裁判の判決の中でも「わいせつ性判断の基準である社会通念は常に変動している。」、「わいせつ性の判断にあたっては、映倫管理委員会の審査を尊重すべきである。」として法的措置ではなく自主規制を尊重するという見解を示している。

 これらの結果いわゆる芸術的なわいせつにはこの法は使われず、もっぱらアンダーグラウンド的ハード・コア作品のみ適用されるようになった。

 このように刑法175条は様々な問題を持っているが、有害コミック追放運動が盛り上がりを見せていた1991年2月22日、警視庁保安一課が、書泉ブックマート、高岡書店、まんがの森新宿店に立ち入り、刑法175条(わいせつ図画販売目的所持)違反で、自主流通本いわゆる同人誌5000から9000冊を押収し店長らを逮捕するという事件が起こった。この事件によって過剰反応した一般書店は、「わいせつ」以外のものも含めた同人誌、成年マーク付き単行本、写真集等、を店頭から一掃した。この後数カ月間、作者、発行者の逮捕、印刷業者の書類送検が行われた。

刑法175条  

わいせつの文書・図画・その他の物を頒布もしくは販売し又は公然之を陳列したる物は2年以下の懲役または5000円以下の罰金もしくわ科料に処す。販売の目的を持って所持したる物亦同じ。(原文は漢字カナ混じり文)

(6)国による圧力とはばまれた中央立法化

 この問題の勃発後国会議員は「子供向けポルノコミック等対策議員懇話会」を結成。この後出倫協を交えての懇話会で若手議員の野次が飛んだりといった問題はあったが、法規制と表現の自由などの問題点の勉強会としての色彩がつよく、業界の自主規制を評価したりと比較的穏健な会であった。

 出版社には国による文化事業の一環として、地方税の事業税(法人所得の12から13%)が免除されるという制度があったが1985年の優遇税制見直しにより非課税措置が撤廃され、経過措置として半額減免が続いていた。この問題がおこってから出版業の代表者と自民党国会議員によるこの問題に関する懇話会等がしばしば行われ、この減免措置の廃止が取り上げられていた。1992年に入ると、文部省、文化庁、出版関係者によって4回の「有害図書等に係わる諸問題に関する検討会」が開かれ、政府側はこの措置の対象となる出版物とならない出版物を区分する全国的基準の作成を求め、また文化庁による軽減措置除外図書の基準案を提示した。この基準案は出版労連の「事業税減免をてこにした文部省・文化庁の『出版・表現の自由』への介入に反対する中央執行委員会声明」などの反対により拒否され、これにかわる自主規制として業界側では、東京都以外の有害指定コミックに対しても出倫協としての勧告を実施するとした「コミック単行本に関する自主規制の申し合わせ(2)」の素案を策定。この「より一層の自主規制」によって事業税減免は1年度限りとはいえ継続されることが自民党税務調査会総会で決定された。

 憲法第16条では、国民が国や地方公共団体に対して希望する事柄について申し出ることができる請願権が認められており、各地の「有害コミック追放運動」ではこの請願運動が行われた。

 前述の自民党の「青少年健全育成のためのコミック雑誌等有害図書への『請願』への対処法について」の「コミック規制の請願の案文例」には、「青少年の保護を徹底するための法律を制定するように要望する」といった文があり、91年5月に第120回国会で採択された、衆院19件、参院4件の請願のほとんどがこの「案文例」にそって「法制化」「出版禁止」を求める文面となっている。国会で採択されたこれらの請願は内閣に送付され関係省庁が具体的な検討に着手しているが憲法21条の表現の自由との関連で「出版禁止」は困難であるという見方が強く、1992年1月28日の政府の請願の処理意見では、「青少年条例」については「必要な諸対策が推進されるよう指導」、「法律の制定」は「幅広く検討」、「出版禁止」は「慎重に検討」としている。

このあとも改定東京都条例がさほど厳しいものではなかったり、各地の条例の取締りに差があるとして、規制推進派は中央立法を訴えている。

4.法規制反対

(1)性急な法規制への反対

 1991年4月25日、出版労連中央執行委員会は「自民党・行政・警察などによるコミック規制に反対する見解」を発表。

・狙いは国の指導による「有害」図書指定

・コミック規制をリードする警察の「実力行使」

・「青少年のために」の美名による文化統制

・警察の摘発・威嚇が書店を「防御」させ「流通の自由」を奪っている

・出版社は出版・表現の自由を守るために毅然たる態度を、「批判」にたいしては「議論の場」を

と、問題点を明示し、権力の介入、出版社の消極性を批判している。

5月9日には小学館労組も同様の「見解」を発表。このほか日本ペンクラブ、東京弁護士会、その他市民団体も規制強化反対側の主張を行った。

(2)ポルノグラフィ擁護論

(ア)社会学、精神医学、などによる反論

 性情報の氾濫している日本とはいえ、性非行、性犯罪に関してはさほど深刻な状況ではないといえる。ここ数年強姦の認知件数は減少を続けており、また強制わいせつに関しては最近増減を繰り返しているものの1960年代に比べれば確実に減少している。ちなみに日本は先進国のなかでも強姦発生率がもっとも低い。また性非行で補導された少女は減少、20歳までに性体験をもつものは80年代では横ばい状態。人口妊娠中絶数は増加してるとはいえ十代の少女一万人に数人ときわめて少ない。

 問題となったコミックが出回り始めたのが1980年代後半と最近のことでこの後の数字の変化も考慮に入れなければならないとも思うが、日本では性表現が氾濫しているとはいえ実際の性行動は極めて少ないといえる。

 外国をみてみると、性教育先進国でありポルノグラフィが解禁されている北欧諸国ではその解禁前に比べて性犯罪は減少している。また、逆に儒教の倫理観が強く、日本ではポピュラーな「ドラゴン・ボール」のようなコミックをも「著しく暴力的、残酷、性的」と有害指定した韓国では強姦の少年人口比発生率が最も高い。アメリカで多数の性犯罪者に面接したゲプタルトの調査によると性犯罪者の多くは性について非犯罪者より無知であり、性にたいして抑圧的、清教徒的な雰囲気の家庭に育った者が多かったという。

 ちなみに、「大人には無害なこれらのコミックも、純粋無垢な子供には有害だ」とするおおかたの意見も実は発達心理学上そのようなことはいえないという。

こういった事例から「得られる性情報量と性犯罪の発生数は反比例する」という見解がなされた。しかし、この意見が出されたころにはいわゆる運動は治まりつつあってあまり論議に登らなかった。また「性表現が犯罪を誘発する」ことは否定できても、「性の商品化ではないか」という意見には答えられない。

(イ)漫画記号論での反論

 漫画記号論は手塚治虫の「ジャングル大帝」でのステレオタイプな黒人像が差別的だという意見への反論として、「漫画とは記号による表現であり、誇張された黒人像もマンガの手法としての一種の記号である。」という論が展開されたことにより有名になった。黒人問題に関しては「個人としての黒人ではなく、個性ない黒人として描かれることに差別の本質がある。」として漫画記号論は退けられた。

 「性表現」での記号論は、規制側の「年少者の性行のシーンがある。」という批判に対しての反論としてでてきた。そして、手塚治虫→石の森章太郎→吾妻ひでお→現在の美少女漫画家、という経路で絵的に「少女」という記号化が進められてきたこと、性描写を描きつつ性交の主体である登場人物は記号化され本質的に登場人物と読者にはディスコミニケイションしかなく、読者は第三者的に作品を見ていること、つまり読者は登場人物と自分自身を混同しないこと、などが論じられた。

 しかしこのような難解な議論をせずとも、「フィクションのなかで年少者の性行のシーンがある。」→「現実の読者がそれを見て真似をする」という理論(コピーキャット理論)は論理的に考えると無理がある。かりに読者のひとりが性犯罪を犯したとしても、全読者の何パーセントになるというのだろう。前項の「精神医学による反論」の続きとなるが「漫画の性表現だけが原因で性犯罪をした人はいない。」という分析もある。

(ウ)漫画不良文化論

 基本的に性表現を確信犯として描き続けてきた漫画家からの意見は「汚いもの、愚かなもの、はみ出すものをタブーなく描いてきたために漫画はここまで発展した。」(山本直樹)というものが多い。また、文化人のなかにも「漫画は、不良文化として革命性を持ち続け、法と良識を逆上させ続けねば、漫画のアイデンティティを失ってしまう」(中島梓)という意見が多い。

 このような漫画不良文化論は「漫画はこんなにも素晴らしいものだから擁護されて当然だ」という他の漫画擁護論と共存できない。

 1991年8月26日朝日新聞に漫画不良文化論の側としての規制批判として高橋源一郎氏の文芸時評が掲載される。ここで氏はサド侯爵の著作をポルノグラフィの本質としており、「決して許されない、人をモノとして辱め、絶望させることによってのみ、回復される自由」が、「どんな肯定的自由よりも大きな解放感を人に与えることができる」とし、ポルノグラフィの必要性を訴えている。これはあきらかに極論なのだが、このような視点からでなくては、不良文化としての漫画は擁護できないのかもしれない。

(3)コミック表現の自由を守る会

 「コミック表現の自由を守る会」は漫画に対する法規制反対を目的に92年3月13日に発足した。発起人に有名漫画家が名を連ねていることもあって、記者会見にはマスコミが殺到し大体的に報道された。この「守る会」の基本方針は

(1)出版・表現・流通に何らかの関わりを持つものなら誰でも自由に参加できることとする。

(2)コミックの性表現についてはは、今後積極的に論議していくこととする。

(3)表現を法的に規制したり、行政・警察が取り締まることに対しては反対していく

とした。

 この会は、漫画家の中には行きすぎた性表現に批判的な声も少なくなく、また市民団体・女性団体などのなかにもポルノグラフィに寛容な声もあるなかで「性表現に関しては今後積極的に議論」するものとし、「法規制反対」を一致点に大同団結をおこない、表現者の側から積極的にアピールをするという点で画期的であった。この会の発足後、朝日の社説の「コミック論議は柔軟な発想で」などに象徴されるようにマスコミの論調がかわり、規制反対意見の存在を積極的に報道するようになった。発足直後、東京都で「守る会」世話人の山本直樹氏の単行本「Blue」が不健全図書の指定を受け、東京都では大手出版社の本でははじめての指定であったため話題となるという事件があった。この後山本氏はマスコミに登場することとなるが、ここでも彼に好意的な見方をされることが多かったのは「守る会」が世論を動かしたためであろう。

 「守る会」はこの後、コミック各誌に「アピール広告」を掲載し、また漫画家たちも各方面で積極的に活動した。静岡の条例改定にあたっては反対意見を提出し、結果的にコミックを包括指定制度の対象としないこととすることに成功した。

 1993年以降「コミック表現の自由を守る会」は闘う相手がいなくなってきたせいか、集会等の頻度も減り実質的に休眠状態になる。

5.その他の出版物をとりまく環境

(1)性表現以外の出版のタブー 

(ア)出版への圧力

 ある図書が、制度、団体、宗教を批判する内容の場合その図書の出版を中止させるため出版社、流通などに圧力がかけられることがある。NHK批判により「王国の芸人たち」が書店から姿を消した事件は、NHKの外郭団体で教育テキスト類をつくっている日本放送出版協会が取次に圧力をかけ、またテレビ小説「北の家族」の出版権とからめて講談社が圧力をかけたとされ、国会でもこの問題がとりあげられたが、真相は明らかにされていない。また電力会社が「危険な話 チェルノブイリと日本の運命」をはじめとした反原発の本を買い占めている、といううわさもあった。日本の出版流通システムは新刊書籍を委託販売するシステムを取っているので、発売後すぐに書店に並ばないとその書籍は確実に売れにくくなるので、前述のような圧力を可能にしている。また「悪魔の詩」問題、昭和天皇重体の際の天皇批判書の「自粛」的な排斥などさまざまな問題がある。

漫画においては扶桑社「SPA!」連載の「ゴーマニズム宣言」(小林よしのり作)が天皇制をテーマにしたため扶桑社上層部の圧力で掲載できなくなったり、またポルノ系の作品ではダーティ松本氏の「女教師を集団レイプして、校長、教頭等の頭の毛から下の毛まで剃り落とす漫画(タイトル不明)」のはずが雑誌がでてみると教師がすべてただの通行人というふうにネーム(セリフのこと)が勝手に変えられていた、といった具合に出版社のほうで自主規制をしてしまい問題となることは少ない。しかし作者の表現に介入し「表現の自由」を奪っているので問題がある。

(イ)差別表現

 筒井康隆氏の「無人警察」がてんかん協会から抗議をうけ話題になったが、コミックにおいても差別表現を問題とされることは多い。1960から1970年代は被差別部落、朝鮮人等を描いたことによる抗議が多かった。1989年、大阪の一家族がつくった「黒人差別をなくす会」が「おばけのQ太郎」に腰蓑スタイルの黒人が登場することを指摘、小学館はこの巻を回収した。集英社も多数の漫画の差別表現を指摘され、謝罪したうえで修正を約束した。

 もっとも世間の注目をあつめたのは、故手塚治が「ジャングル大帝」でステレオタイプな黒人の描き方をしているとされたことであろう。この事件では出版社は結局「黒人差別をなくす会」と折り合いのつかぬまま、こういう指摘があるのだという解説文をつけて本を出版していくこととなった。

差別表現のほとんどは表現者の無自覚のもとに生まれるものであり、回収および修正の措置は正しいものといえるが、作者が故人であり、しかも絶版にすべきでない「名作」の一部に差別表現がある場合はどうするのかという問題がとわれた。また、とにかく抗議を恐れる出版社によって、作者がどう考えていようと「被差別者」を題材としてあつかえなくなってしまうという面もある。これらはこれからも議論されて行くべき問題である。

(2)海外での出版規制

(ア)アメリカにおける「ホラーコミック」規制

 アメリカにおけるコミックブックは「スーパーマン」などのヒーロー物が主流であったが第二次世界大戦後あらたなジャンルの模索が始まり、「ホラーコミック」というジャンルもその中から生まれた。ホラーコミックとは読み切り短編でひねった結末をもつという形式をもち、日常に潜む恐怖を題材にしヤング・アダルトを中心に人気をはくした。しかし残酷描写や犯罪の手段が載っており少年非行の原因となるとして、また一部ではキリスト教の冒涜として、各地でコミック追放運動がおこった。校庭でコミックを焼き払ったりといった過激な光景も各地でみられた。

議会でも少年非行調査委員会の上院の小委員会が「コミックの有害性と少年非行に関する公聴会」をひらき、コミック制作者や、「無垢の誘惑」でコミックが子供に悪影響をあたえるとした精神科医フレデリック・ウァーサムらが証人として招かれた。この場で、制作者側は「O・ヘンリー式の結末」の工夫が作品の眼目であることを主張したものの結局コミックは社会的悪影響が懸念されるとして糾弾された。

 この結果業界は「コミック・コード」を作成。この結果ホラーコミックは消滅し、またコードのきびしい制約によりアメリカンコミックのこれ以降の発展が妨げられた。

 ベトナム戦争後、社会不安からか反体制的アンダーグラウンドコミックが台頭し、<成人向け>指定のもとで堂々と販売されることとなる。しかし新聞連載漫画などはまだこのコードの影響下にあり、また日本から輸出される人気漫画のいくつかもこれにより<成人向け>指定を受けている。

コミックコード

一般基準(a)犯罪関係<省略>

一般基準(b)恐怖、残虐表現関係<省略>

一般基準(c)その他

対話・宗教<省略>

服装

(1)いかなる形でも不体裁な、または不当に露出した裸は禁じられるべきである。

(2)誘発的でわいせつなイラストレーションや、誘発的姿勢はは受け入れられない。

(3)人物はすべて社会に受け入れられるような適切な被服をつけて描かれるべきである。

(4)女子はいかなる肉体の特徴も誇張されることなく現実的に描かれるべきである。

結婚およびセックス

(1)離婚をユーモラスに扱ったり、好ましいものとして表現してはならない。

(2)不義の性関係を暗示したり描いたりしてはならない。暴力的なラブシーンは性的異常と同様に受け入れられない。

(3)両親や道徳律に対する敬意、名誉な行動に対する敬意は助長されるべきである。愛の問題を行為的に理解し、これを不健全な形に歪曲してはならない。

(4)ラブロマンスのストーリーは家庭の重要さと結婚の神聖さを強調するよう取り扱うべきである。

(5)情熱とかロマンチックな関係は、下劣な衝動をかきたてるような取扱いをしてはならない。

(6)婦女誘拐や強姦を描写したり連想させてはならない。

(7)性的倒錯またはこれを類推せしめるような表現は禁止する。

このほか広告に関するコードがある。

(イ)イギリス

 イギリスでは第二次世界大戦後アメリカ駐留兵によりコミックが普及した。「古き良き伝統」を持つイギリスでは、アメリカの”低俗な”コミックが問題化するのも速かった。コミック・キャンペーンが行われ、教育団体、女性団体、教会、労組、共産党、マスコミを巻き込んで大運動に発展した。この後「青少年に有害な絵入り出版物の普及を規制する法案」が可決された。

 1990年代に入ると、コミック「True Faith」が問題となった。これは妻子を死なせてしまった主人公が神に恨みを抱き教会を襲撃し多くの牧師を殺すといった内容で、教会関係者による抗議で回収、断裁された。これに関した記事を載せた「Economist」誌は「もしもこのテーマが小説であつかわれたなら、まったく問題にされなかったであろう」としている。

 コミックは終始「価値基準を破壊する」として悪役にされたのである。

(ウ)日本の運動との比較

 日本の運動との共通点は「純粋無垢な子どもを守れ」というロジックが使われた点、またなにが「有害」かという論点が不在のまま運動が進められて、結果さまざまな形の規制を残すこととなった点があげられる。

 相違点は日本の漫画がある程度高い水準を持っており、「悪い漫画もあれば善い漫画もある」という認識を多くの人が持っていたことであろう。またアメリカの場合、公開討論の場がもうけられて表現者と批判者が直接討論できた点は評価できる。

(3)子供の権利条約

 子どもの権利条約は1989年11月に国連で全会一致で採択された。

コミック問題と関連しているのは、規制側に関してはこの問題で槍玉に上げられた漫画の多くが年少者の性を題材にしているという点で第34条の(c)項が上げられる。反規制側に関しては、情報を受ける自由(13条)、17条(e)項の「適当な指針」とは法規制とあいいれないものであること、大人の一方的な規制ばかりが進み実際に表現の受け手にある子どもの意見表明(12条)がなされていないこと、この条約の骨子は子どもを”保護”の対象としてみるのではなく独立した権利者としてみることにあり、そもそも青少年”保護”条例と対立するものであることであるということ、などがあげられる

 ちなみに、この条約の批准を推進する運動を行っている団体は反規制側にたつ主張をしている。

子供の権利条約

第12条 意見表明権

1.締約国は、自己の見解をまとめる力のある子どもに対して、その子どもに与えるすべての事柄について自由に自己の見解を表明する権利を保障する。その際、子どもの見解が、その年齢および成熟に従い、正当に重視される。 

2.この目的のため、子どもは、とくに、国内法の手続規則と一致する方法で、自己に影響を与えるいかなる司法的および行政的手続きにおいても、直接的にまたは代理人もしくは適当な団体を通じて聴聞される機会を与えられる。

第13条 表現・情報の自由

1.子供は表現の自由への権利を有する。この権利は、国境に関わりなく、口頭、手書きもしくは印刷、芸術の形態または子どもが選択する他のあらゆる方法により、あらゆる種類の情報および考えを求め、受け、かつ伝える自由を含む。

2.この権利の行使については一定の制限を課することができる。但し、その制限は法律によって定められ、かつ次の目的のため必要とされるものに限る。

(a)他の者の権利または信用の尊重。

(b)国の安全,公の秩序または公衆の健康もしくは道徳の保護。

第17条 マスメディアへのアクセス

締約国は、マスメディアの果たす重要な機能を認め、かつ、子どもが多様な国内的および国際的な情報源からの情報および資料、とくに自己の社会的、精神的および道徳的福祉ならびに心身の健康促進を目的とした、情報および資料へアクセスすることを確保する。

(a)マスメディアが、子どもにとって社会的および文化的利益があり、かつ第29条の精神と合致する情報および資料を普及することを奨励すること。

(b)多様な文化的、国内的および国際的な情報源からの当該情報および資料の作成、交換および普及について国際協力を奨励すること。

(c)子ども用図書の製作および普及を奨励すること。

(d)マスメディアが、小数者集団に属する子どもまたは先住民である子どもの言語上のニーズとくに配慮することを奨励すること。

(e)第13条および第18条の諸事項に留意し、子どもの福祉に有害な情報および資料から子どもを保護するための適当な指針の発達を奨励すること。

第18条 親の第一次的養育責任と国の援助<省略>

第29条 教育の目的<省略>

第34条 性的搾取・虐待からの保護

締約国は、あらゆる形態の性的搾取および性的虐待から子どもを保護することを約束する。これらの目的のため、締約国は特に次のことを防止するためあらゆる適当な国内、二国間および多数国間の措置を取る。

(a)何らかの不法な性的行為に従事するような子どもを勧誘または強制すること。

(b)売春または他の不法な性的行為に子どもを搾取的に使用すること。

(c)ポルノ的実演または題材に子どもを搾取的に使用すること。

7.結論

 日本の出版は出版・取次・書店の連携によって成り立っているのであり、そのいずれかが圧力に屈してしまうと出版の自由は守られない。特にその圧力が法律による刑事事件という形をとるとするといまだに「お上」と「民衆」が対立もしくは支配、被支配しているという社会観が持たれている日本では問題が大きい。私は、ポルノグラフィを見る自由とともに、見ない自由を得るために、公共の場でのポスター、カレンダーなどが、ある人に不快な感情を与えることは避けなければならないと思っているが、個人が見たくて買う図書類は基本的に自由にしておかねばならないと思う。その本が有害かどうかはそれはその人が判断しなければならない問題だからである。つまり法律が個人の価値基準となるのではなく、個人の価値基準が法律になっていくのに、私たちは国の基準によって善悪判断してもらわねばならないというのだろうか。

 今回あまり触れなかった「写真集」類はかつてほど騒がれなくなり最近出版数が減少気味だそうだ。やっと「裸と隠毛がでてれば売れる」という状況から脱しつつあり、これからやっと本当の良品が売れていくことと思う。私は漫画についても、このような正しい競争により良作が生き残り駄作はわすれさられるというシステムが理想であると考えており、そのためには、メジャーがよくてマイナーが悪い、正規の業者がよくてアウトサイダーは悪い、性表現がないのが良くてあるのは悪い、といった先入観は捨てなければならない。その前提として、ある本を見ることができないという状況はなくさなければならないし、良作を見きわめる読者ひとりひとりの見る目が養われていかなければならない。そして表現の責任者を明確にし、出版・取次・書店はあくまで流通機関として存在し、表現に問題がある場合は、抗議者と表現の責任者による議論を行うのがあるべき姿であろう。よって現行の刑法175条や青少年条例が「販売者」を罰則の対象にしたり、今回見られた表現者には何の連絡もなしに出版社が問題化した本を絶版にしたり、書店が扱わなかったりというのも問題がある。

 性表現が青少年に与える悪影響はないという分析があったとしても、低俗でモラルに反する情報を見せたくないというのが親心なのであろう。しかし、反モラルなくしては正しいモラルは存在しえないし、そういった反モラルを親が教育権、教育の義務を発動して悪いものとして教えていけばよい、特に「性」という人間の存在そのものに関わる問題は。親に「教育」されても、子どもが反モラル的な本を読んでいる場合は、それは、子どもがそれが悪いものだという意見を得たうえで自分の意志で選んだ本なのだから干渉してはいけない。

 さて出倫協前会長の「悪書刈り5〜6年周期説」によれば、次にこのような問題が起こるのは再来年頃になる。そのときには私個人としてなにができるだろう。誰もやらないようだったら規制反対の先頭に立って論議に参加しなければならないが、研究対象として客観的になりゆきを楽しんみるのもいいかなと思っている。いずれにしても、それまでにもうすこし理論武装しておかなければ。なにしろ私は無知だし、この研究だって、労力を費やすのみならず大学の図書館に出かけていったり専門書を買ったりと金銭的にも消耗したわりには、結局関連書籍を切り貼りしたようなものになってしまい反省している。結局この研究では、厳密な社会科学の方法を学ぶ必要性を確認できたことが唯一の収穫だったかもしれない。

<参考文献>

「有害コミック問題を考える」創出版

「誌外戦」コミック表現の自由を守る会

「法と民主主義 92年6月号」日本民主法律家協会

「子供というレトリック」中川伸俊・永井良和

「青少年白書」総務庁青少年対策本部

「総合ジャーナリズム研究 '90秋以降」東京社

「青少年条例」清水英夫・秋吉健次

「現代用語の基礎知識 '88以降」自由国民社

「まんが文化の内幕」水野良太郎

「『言葉狩り』と出版の自由」湯浅俊彦

「戦後漫画の表現空間」大塚英志

「解説・子供の権利条約」永井憲一

「レディスコミックの女性学」衿野未矢