〜SMについて パート1〜

 

SMについて、皆さんは、どのように考えているだろう?

 

一般的に、SMといえば サディズム(異性をいじめる、暴力を加えることで性的興奮を感じる)

とマゾヒズム(異性からいじめる、暴力を加えられることで性的興奮を感じる)の略称になると

思う。

 

簡単にいえば、「サド」と「マゾ」になると思う。

 

イメージでいえば、

 

中年おやじが、若い女性をロープで縛り、鞭でたたく。

 

または

 

ボンテージ姿の女王様が、若い男をハイヒールで踏みつける。

 

これが、一般的?だと思う。

 

もちろん、わたし個人の意見だが・・・中には違うイメージを持っていると思うが・・・・

 

ここからは、自論だが・・・・

 

ただ、SMという言葉の中にもうひとつの意味があることを

みなさんは、ご存知だろうか?

 

スレイブ(奴隷)とマスター(支配者)の支配と服従関係の意味である。(我流論)

 

たとえば、一方的にサド男(以降 S男)がマゾ女(以降 M女)を鞭や蝋燭で責めたとしても、

「SM」という行為にあたらない。

ただの暴力であり、犯罪である。

 

二人(もしくは多数)の関係の中に「支配」という強い信頼関係が無ければ、

SMという行為は成立しないし、楽しみ(快楽)は存在しない。

 

・・・・とわたしは思う。

 

だからこそ、「SM」ということを考える上で、

まず初めに考えなければならないのは、支配関係の確立と維持である。

そのあとで、各種のいろんな行為をするべきである。

 

だからこそ、

S男(S女も)は、より良い支配を考えねばなら無い。

Mに対する思いやりと優しさ、支配を確立させる行為(鞭や蝋燭など)を実行すべきである。

いわゆる、「アメと鞭」の使い分けが大切である。

 

また、

M女(M男)は、完全なる服従と支配者への思いが重要

支配者を喜ばせ、かわいがってもらうための行為(鞭や蝋燭など)常に考えなければならない。

 

話は、少しそれるが、

支配と服従関係を恋愛の中に求める場合も多い。(いろいろと調べた結果)

M女の中には、支配者(ご主人様) 兼 恋人(ダンナ)を求めている事が多い。

 

また逆に、一切関係なしを求めている場合もあるので

これは、個人の考え方の差だと思う。

 

で、

そろそろまとめを。

 

 

結論

 

支配関係の無い、SM行為は、SMではない。

SMという行為を真似した、暴力である!!

SMで何より重要なのは、行為でなく、支配と服従関係である。

 

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