以下は、『落語手帖』(矢野誠一/駸々堂/1988)から(適宜フリガナを振った)。
独り者の八五郎の所へ縁談があった。器量は十人並み以上、夏冬のものもそろえているが、言葉がていねいすぎるのが欠点だと聞いて、八五郎は喜んで祝言をあげる。八五郎が花嫁に名をたずねると、「自らことの姓名は、父は元京都の産にして姓は安藤名は慶三、あざなは五光、母は千代女と申せしがわが母三十三歳の折、ある夜丹頂の鶴を夢見てはらめるが故に、たらちねの胎内を出でしときは鶴女と申せしが、それは幼名、成長ののちこれを改め清女と申しはべるなり」と答える。翌朝、出入の八百屋をこの言葉で悩ませたあげく、「ああらわが君、日も東天に出でまさば、御衣になって嗽手洗に身を浄め、神前仏前に御灯明を捧げられ、看経の後、御飯召し上がってしかる可、恐惶謹言」「冗談言っちゃいけないよ、飯を食うのが恐惶謹言?あははは、じゃあ酒を飲んだら『酔ってくだんのごとし』か」
この中で、八五郎が新婚生活を夢想して――
かみさんは象牙の箸に小さい茶碗だからチンチロリン、俺のは大振りの茶碗で太い箸だからガッチャガチャだよ。メシの喰い方だって違わぁな。かみさんは上品にサクサクとこうだ。俺はってぇと豪快にザクザクだ。沢庵もかみさんはポリポリ、俺はバリバリだ。チンチロリンのガッチャガッチャ、サクサクのザクザク、ポリポリのバリバリ。あー嬉しいなぁ。チンチロリンのガッチャガチャ、サックサクのザックザク、ポーリポリのバーリバリ、あ、チンチロリンのガッチャガチャ、サックサクのザックザク、ポーリポリのバーリバリ……
と騒いでいるところを隣人に聞かれてしまうというシーンがある。