空手、柔術を通して
 1.何故武道をやっているのか。
 護身術講座のほうに「自分の身は自分で守る。」と書きました。しかし、私が武道をやるのはそれだけではありません。
 私は人と仲良くしたいのです。それは人に媚を売ってよく見せるとか、ジャイアンのように、無理に言う事を聞かせるというのでもありません。どんな人とも対等でいたいからです。対等でなければ、自分の考えをはっきり言葉に出して伝えられません。変に遠慮してみたり、命令的になったりします。もちろん目上の人や、師に対してはそれなりの心遣いも必要ですが、やはりここでも自分の言いたい事をはっきり言えないと信用にかかわる事もあります。
 空手と柔術をやってきて、未だに腕力には自信がありません。しかし、勝てないまでも、負けないという自負はあります。
 この辺りが武道の哲学的はところで、私の道場に通ってくる子供達には分からない事のようです。子供達には「負けない事イコール勝つ事。」という式が成り立つようで、「勝たなくてもいいんだ、負けなければ。」という私の言葉に首をひねるばかりです。

 2.水の精神
 武道の心得ばかりでなく、人間的なことにもこの精神は大切な物です。
 ・水は高いところから低いところに流れる。
  これは、「実るほど頭を垂るる稲穂かな。」に通じます。
 ・水はどんな器にも収まる。
  柔軟性をあらわしています。どのような世界でも生きていけるようなたくましさ。
 ・水と油の関係。
  どんな器にも収まるが、根本的に違う物は受け入れを拒む時がある。
 ・石をも砕く。
  水は流されやすいといわれますが、表面張力でその場にとどまっているときもあるし、雨だれのような水滴が、一点に集中する事で石に穴を開けてしまうように、意志の強さをあらわします。最終的にはつららとなって突き通します。
 ・いろいろなものを溶かす。
  包容力が豊かと言う事です。どんな物も自分の中に取り入れることができます。油もシェイクすることで混ざったようになります。最終的には分離してしまうけど。
 ・姿を変える。
 雨、霧、霞、露などに姿を変え、存在していたと思うと、いつの間にか蒸発してしまう。神出鬼没。
 とらえどころの無い、底の深さ。

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