4 高校時代後編
4−1 コンクール
いよいよコンクール当日が来た。県外から通っているものもいるので、僕たちは前の日から合宿に使う宿舎に泊まっていた。6時起床で準備が始まった。昨日のうちに梱包し準備していた楽器をトラックに積み込み、細かい楽器と手荷物を持ってバスに乗り込む。出発だ。
バスの中ではF先生の話の後、K学院ブラスバンド部恒例の課題曲と自由曲の合唱が始まった。タタタとかラララとかで自分のパートを歌うのだ。時には、一人づつ歌わされる事もあった。この方法で自然にソルフェージュの力が養われていった。合唱団よりいい響きを作れるときもあった。
U市のT会館まで僕たちの町から1時間ほどかかった。楽器を下ろして会館のロビーにK学院のために用意されたスペースに楽器を並べた。ロビーは参加団体のために割り振られてあり、そこらじゅうに楽器が置かれていた。
整然とおかれている団体、ごちゃごちゃおかれている団体と様々だ。僕たちは限られたスペースを有効に使う為に楽器ごとにまとめて並べた。見張りは一年生の仕事だ。
出番が近づいてきた。楽器を出し、会館の前の公園で音だしをしてチューニングルームに入った。チューニングルームと言うのは、その名の通り音を合わせるために割り当てられた部屋だ。各団体15分くらいの時間を与えられていてこの時間をうまく使える団体ほどレベルが高いようだ。チューナーなど無い時代、自分たちの耳で音合わせをして、課題曲と自由曲をあわせる。さらいこんであるので自然と暗譜していた。
「課題曲頭から。とか自由曲練習番号Cから。」と言う先生に即座に対応できる。チューニングの時間が終わり袖に待機していると、嫌でも前の団体の演奏を聴くことになる。僕たちの前の団体はコンクール常連のM高校だった。袖で聞くとどこの団体でも上手に聞こえる。それがプレッシャーとなって、自分のときがんばりすぎてしまう事もあった。
M高校の演奏が終わり、反対側のそでに引っ込むと、僕たちは楽器を舞台に運び入れた。準備が整って着席する。
「次はK学院栃木高校吹奏楽部課題曲Aに続きまして何たらかんたら。」と紹介され、運命の12分間が始まった。
初めてのコンクールで無我夢中だったためか、途中の事などひとつも覚えていない。あっという間に演奏は終わり、拍手をもらいあわただしく楽器とともに退場する。女の子にクラを預けるとパーカッションの方に回った。あらかじめ担当する楽器が決められていたので、全ての楽器を出て来た側と反対の袖に引っ込めるのにたいした時間はかからなかった。
先に楽器をトラックに積み込んで、会場に戻る。演奏はまだ続いている。やがて全ての出場校の演奏が終わり、審査結果の発表を待つ。この頃は、高校の部はまだ1部門しかなかった。僕たちの部は初出場なので、期待してはいなかったが審査の結果は気になっていた。
吹奏楽連盟のお偉方と各学校の生徒が舞台に並んでいた。いよいよ発表だ。ざわついていた会場がシンと静まり返った。出演順での発表だ。「何たら高校、銀賞です。かんたら高校銅賞です。あかんたれ高校金賞です。」と続いていく、発表の瞬間ワーだのキャーだのうるさい。いよいよ次だ。
「K学院栃木高校、優秀賞です。」優秀賞って何だ。。金、銀、銅、優秀賞の順だそうだ。このときの優秀賞はK学院ともう一校だけだったとに思う。「金賞のM高校とS学園は、10月に行われる関東大会に栃木県代表として推薦いたします。」と発表された。
全ての出場校が何らかの賞をもらったかどうかは覚えていないが、金銀銅以外の賞をもらったのだけは覚えている。ここでは優秀賞と書いたが、違う賞だったかもしれない。
来たときと同じバスで学校に戻る。途中のバスの中では別に気落ちした様子もない。初めての経験でみな疲れていた。学校に戻り、音楽室に楽器を搬入するとその日はもうくたくたで、梱包を解き楽器を棚に収めるのは次の日に持ち越された。
次の日の朝、授業が始まる前に楽器の梱包を解き、全ての楽器を棚に収めた。授業で音楽室も使うのでそのままにしては置けなかったのだ。
放課後音楽室に集まると、昨日の反省会となった。初出場と言う事で栃木県内の高校バンドの中で、どの位のレベルにいるかが分かったとか、自分があそこで失敗したとか、悔しかったとか様々な意見が出た。また、行動面でも先輩に楽器を運ばせてしまい申し訳なかっただとか、あそこでよく動けなかったと言う意見も出た。
このときが僕もコンクール初出場だった。この後大学4年までの計7年間コンクールに出場する事になるが、記念すべき初めてのコンクールが終わった。
高校時代のコンクールは、学年での立場は違っても似たり寄ったりだった。違う事と言えば、僕が3年生のとき高校の編成がA部門とB部門に分かれたことだ。
僕の高校は32名と小編成だったので、この年はB部門に出場することにした。初めての部門で始めての金賞をいただいた。
4−2 文化祭
8月のコンクールが終わると9月に行われる文化祭の練習が始まる。
文化祭では、体育館を使ってブラスコンサートと銘打っての演奏会を開くのだ。コンクールが終わってから一ヶ月ちょっとで、10曲以上の曲を仕上げなくてはならない。
8月中は夏休みなので、練習もはかどるが、9月に入り授業が始まるとそうは行かない。朝練と放課後と練習する時間も限られてくる。僕たちは毎日暗くなるまで練習した。
3年生になったとき、親が新しい楽器を買ってくれた。クランポンのR−13だ。銀座の楽器屋さんで7本ぐらい吹いて一番吹きやすいものを選んだ。同じ機種でも、吹き心地や音色が違う事をこのとき初めて知った。マウスピースは去年5RVに替えていた。このときもマウスピースで大分違うと感じた。
しかし、リードはリコーの大箱を卒業して、ラ・ボーズというリードの真ん中に緑色のロゴマークの入ったものを吹いていた。バンドレンが買えるようになったのは、3年の終わりごろだったような気がする。
僕が楽器を買うと、同級生の女の子たちもこぞってR−13を買った。ここからK学院ブラスのクラはR−13一筋になる。
卒業後、社会人になり違うメーカーのクラリネットを持っていって、生徒と一緒に吹いていると、先生に「マメ君、そのぼっこれ(壊れていると言う意味の栃木弁)クラは何。」とよく言われる。私は自分の出したい音が出せそうな楽器を吹くことにしているので、あまり気にはしないが。
フェスティバルを吹いていても、音が違うと言われてしまう。同じクランポンだが、楽器の特性がかなり違うようだ。
9月の第二土曜日と次の日曜日が文化祭だ。前日に舞台の設定をする。会場の体育館に重たいシートを敷き詰めそこにパイプいすを並べる。何脚ぐらい並べたのか覚えていないが、部員たちだけでは人数が足りないので、生徒会の役員さんにも手伝っていただいた。私が3年で部長のときは、吹奏楽部は本部直属で生徒会長と仲が良かったので色々便宜を図ってもらっていた。生徒会で使う録音の機材を運ぶのを手伝った事も有るし、生徒会室に部活が終わると入り浸っていたので、生徒会役員の一人と間違われた事もある。
ひな壇用の教壇も教室から運んできた。
話が飛んでしまって申し訳ない。元に戻す事にする。
体育館では吹奏楽部のほかにギター部や体育会系の少林寺拳法部(この頃部に昇格した。)や居合道同好会(私が3年のとき発足したように思う。)などの演武が行われるので、使用時間が決められていた。土曜日は午後で日曜日は午前中だった。人数は32名と少ないが体育館と言う事でワンワンした響きでお客さんの耳をごまかせた事だと思う。計2回のステージが無事終了した。
文化祭が終了すると後片付けがまた一苦労だ。楽器を部室に片付けた後、教壇やいすをあったところに戻し、シートを丸めて準備室に納める。丸めたシートがやたら重いので4人がかりで運ぶ。体育館に敷き詰めたシートだから何回運んだか分からない。最後の頃はよろけながら運んでいたと思う。真っ暗になった頃、学校を後にした。
4−3 進路と受験勉強と卒業
文化祭、体育祭が終わると3年生は引退して受験に備える。僕はこの年の全国大会で2秒オーバー失格となったA大学に興味を持った。全国大会に進出していながら、なんとも間抜けな話だが、演奏自体は鳥肌が立つほど素晴らしいものであった。自由曲の「ラ・ヴァルス」はすごいとしか言いようがない演奏だった。
と言うわけでA大学を受験し、一応合格したので入学する事になったのだが、僕は理科系進学クラスにいて文科系を受けた事でかえって難しい選択をしてしまったようだ。ここでも間抜けぶりを発揮している僕だった。
僕の同級生には、何たら大学医学部とか、かんたら大学歯学部とかに進んだ者がいて文科系に進んだ者は数える程度だった。
今でも、私のことを「A大学吹奏楽部吹奏学科の卒業生だったよな。」というやつがいる。勉強をそっちのけでクラリネットばかり吹いていたので、私としては光栄な事だと思っているのだが・・・。
卒業式を迎えた。式自体はどこも皆同じことだろう。卒業式が終わり、午後になると吹奏楽部の追い出しコンパならぬ追い出しコンサートと言うものが吹奏楽部のメンバーが卒業生の父兄を対象に、生徒会館大ホールで開催された。開催と言っても内輪の会なのでテーブルといすが用意して有って、サロンコンサートのような雰囲気だ。卒業生も演奏に加わり、高校最後の演奏を行う。とても感慨深い演奏である。女の子たちは、最後の曲である「マイ・ウェイ」が始まると涙で楽譜が見えず、息も絶え絶えになりとても吹ける状態ではない。と言っている僕は涙よりも風邪を引いていたので鼻水が出て困った。女の子に「マメ君でも泣くんだ。」と言われてしまった。僕は感動と言う言葉に、きわめて程遠い人間だと思っている。芸術を志すには向いていない性格かもしれない。誰かが「芸術は、爆発だ。」と言ったが、爆発には自信が有るのだが、感動、感激と言うのにはこの頃は無縁だったと思う。最近、年を取ったせいか涙もろくなったり、お酒を飲むと情熱的な話をするようになった。「しつこくなった。」と言えるのかもしれない。
このあとの大学時代編は、もう小僧とは言えないのでどのようにしたら良いか迷っています。とりあえず「クラリネット小僧の冒険」は一段落といったところでしょうか。また、思い出したことがあったら内容を更新するかもしれません。
ここまで読んでいただきありがとう御座いました。
クラリネット大像の〜につづくかな?
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