私のクラリネット歴 栃木のクラ吹きのマメ、こと大豆生田雄士(オオマメウダ・ユウジ)です。私のクラリネット歴を紹介いたします。所属団体及び師事した先生方のお名前はトラブルを避けるため頭文字をアルファベットに変えました。とは言え、分かる人には分かってしまうと思いますが・・・。
中学時代(クラリネット小僧中学編参照)
Tフィルハーモニー交響楽団が創設されると同時に入団。ヤマハのYCL−32というモデルを親に買ってもらう。
練習をしなかったのでぜんぜん上手にならず、このクラはしばらく吹かれる事がなかった。
高校時代(クラリネット小僧高校編参照)
K学院大学栃木高校へ入学。入学と同時にブラスバンド部に入部。ロングトーン、スケール等の基本練習を徹底的に仕込まれる。基礎練習の大切さを身をもって知る。大学に入り、S木先生の最初のレッスンでも「基礎は出来ているね。」と言われたほど。
ヤマハのYCL−32から3年の初めにクランポンのR−13を買い替える。マウスピースは5RV。
大学時代(クラリネット野郎大学編参照)
A大学経済学部経済学科に入学。入学と同時に同大学吹奏楽団に入団。入団と同時に同団パートコーチの元S日フィル(現楽友)のS木良昭先生の下にレッスンに通う。1年次と4年次のとき吹奏楽コンクール全国大会金賞受賞。S木先生がアメリカのR・マルセラス氏の下に研修に行った1年の間、師の紹介でH野正先生に習う。H野先生に習ったアメリカじこみの数々のテクニックは今尚健在です。
4年次の初めにS木先生にR−13を選定してもらい、古いのは後輩に譲る。
卒業後(クラリネット野郎社会人編参照)
学生時代しばらく離れていたTフィルハーモニー交響楽団(Tフィル)に戻る。卒業後4年間S木先生の下にレッスンに通い、オーケストラでのクラリネットの吹き方を習う。この辺からマウスピースをB−45、11.6、11.1と変えていく。フェスティバルのB管を選定してもらう。その上で、スケール、エチュード、オーケストラ・スタディ、等の勉強をしてウェーバーのグランド・デュオや変奏曲などのレッスンも受ける。11年間Tフィルで吹いたあと、退団。大学時代の後輩が指揮をするT市民吹奏楽団の木管トレーナーに招かれる。
その後元G馬交響楽団のK幡仁清先生のドイツ管の音色に魅せられ、先生が鹿沼のE音楽院の講師もしていたことからE音楽院に通い始める。また、室内楽を院長のS藤先生に習う。
ヤマハのドイツベームABを購入。5年ほど試行錯誤を繰り返し、やっと求める音が出始める。マウスピースをViottoのものに変えP+4、P+5を使用し始める。
2002年3月T市民吹奏楽団を退団、同年6月23日(日)に長年温めていたリサイタルを栃木市文化会館小ホールで開催。好評を博す。
2003年2月11日(祝)下倉楽器(株)主催、第9回ソロコンテスト、大学一般部門において金賞受賞。併せて下倉賞、審査員特別賞も受賞。
同年11月9日(日)第2回目のリサイタルを栃木市文化会館小ホールで開催。好評を博す。
2004年2月15日(日)下倉楽器(株)主催、第10回ソロコンテスト、大学一般部門において金賞受賞。併せて優秀賞、審査員特別賞も受賞。
2005年2月11日(祝)下倉楽器(株)主催、第11回ソロコンテストで3年連続の金賞を受賞。
2007年2月11日(日)第3回目のリサイタルを栃木市文化会館小ホールで開催。好評を博す。
2007年6月末〜T県交響楽団クラリネット奏者。
下はリサイタル風景です。
![]() |
第1回目のリサイタル 1部のステージ写真です。メンデルスゾーンのクラリネットソナタ変ホ長調とブラームスのクラリネットソナタ第一番を吹きました。 |
![]() |
3部のスィングへの誘いのステージ写真です。 ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーの冒頭からアイ・ゴット・リズムへ。メモリーズ・オブ・ユー、サクラ、星に願いを、を吹きました。 |
![]() |
リサイタルVol.Uの1部の一コマ。ブルグミュラー「デュオ」、プーランク「ソナタ」、サン・サーンス「ソナタ」を吹きました。 |
![]() |
上と同じ3部の一コマ。ポップスとジャズのステージです。 |
![]() |
![]() |
リサイタルの記念C.D.も三枚目になりました。演奏した曲はウェーバー「グランドデュオ」、ブラームス「ソナタ第2番」、シューマン「幻想小曲集」その他です。 3組とも非売品です。 |