社会人パートT
 卒業後
 大学卒業後は、どのような音楽活動をしていくか考える為、しばらくの間をおく事にした。
 職人の家だったので、その技術をとりあえず覚えなくてはいけない。最初のうちは兄弟子達について現場を廻ったり、作業場での細工仕事を覚える事に必死だった。
 それでも仕事が終わると、件の応接室にこもり2時間から3時間の練習は日課であった。
 卒業して3ヶ月ぐらい経った頃、Tフィルが11月に定期演奏会を行うので、それに間に合うように入団する事にした。入団と言ってももともと退団していたわけではないので、復帰するような形になった。地元のオケなので、顔見知りが多かったのもあるし、私が初めてクラリネットを手にしたとき、手ほどきをしてくれた人が事務局長をしていたこともあり、楽団にすぐなじむ事が出来た。
 指揮者もO先生から若手のH先生に代わったばかりで、練習にも熱が入っていた。
 卒業後もS木先生の下へはレッスンに通っていたので、スケール、エチュード、オーケストラスタディ、ソナタなどの曲のほかにオーケストラで練習している曲と、とんでもないレッスンになっていった。もちろん、そのときの状況で進み具合が変わったのは言うまでもない。
 S木先生はアメリカから帰ったばかりで、ウッドウィンドというメーカーのマウスピースを吹いていた。そこで私も大口径のマウスピースに代えるよう薦められ、Bー45と言うマウスピースをS木先生と一緒に銀座のヤマハで選んでいただく。今まで5RVというマウスピースだったので、あまりにも違いすぎて面食らっていると。
 「このマウスピースは良さそうだ。試してみなさい。」
 と言われ10数本の中から先生が選んでくださったものを吹いてみる。確かに柔らかく、深い響きがする。こんなにも違う物かと改めて考え直す。
 高校時代にヤマハについてきたマウスピースから5RVに変えたときより、タイプの違いで音質や音色が違うと言う事を思い知らされた。そのときはBー45、Bー45・(ア ポイント)ともう1種類。Bー45でも3種類あったような気がする。フェイシングとティップオープニングは同じで、チェンバーの形状が違い音色が微妙に変化していた。
 私は普通のBー45を選んでいただき、オーケストラで吹くことにした。
 
 今回のTフィルの演奏曲目は、ロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師序曲」、ビゼー作曲「カルメン組曲第一番」、ブラームス作曲「交響曲第一番」だ。その時のクラリネットパートは私以外の2人は高校生だったので、全曲トップと言う事になってしまった。大学時代は吹奏楽団で吹いていたのでパワーはあったので苦にはならなかったが、いかんせん音量がありすぎる。楽団で1、2を争う音量を誇っていた。指揮者にはいつも「クラリネットうるさい。」と怒鳴られていた。確かに練習室では飛びぬけてしまうかもしれない。団員だけでは弦楽器のメンバーが少ないせいだ。
 私は常に本番を想定して練習に臨んでいる。実際、会場は大ホールで前日のリハ辺りから弦楽器のエキストラが前に並ぶ。そうなったとき、普段セーブして吹いていると、本番で大きな音を出す事は難しくなる。リハでバランスを整えて、本番リラックスして楽に吹く方が音が遠くまで飛んでいく。
 ただし、クラリネットの音色については何も言われなかった。クリアな音色をあくまでも追求していた。クラリネットバカといって良いほど、バカだった。今もバカは変わらないか。
 月2回のレッスンも、演奏曲によるオーケストラスタディに変化していった。

 合宿練習
 オケの合宿は、8月の中ごろ栃木県の北のほうにある栗山村川俣地区の民宿に滞在して、川俣地区の公民館をお借りして行われた。
 川俣湖はダムによってせき止められた湖で、夜にはその湖畔で花火などを楽しんだ。風呂は民宿にもあったが、少し歩いたところに共同の温泉があるので、そこに入ったりした。夏とはいえ、山の上なので朝夕は涼しく、練習するにはもってこいの場所だ。やはり、夏合宿は山や高原に限る。私は海が苦手なので、余計にそう思うのかもしれない。
 私がこの楽団にお世話になっていた10年間、ずっと同じ場所で合宿は行われた。最後の1年は日光で行われたが、交通の事情でそこで行われたのは、一回きりだった。
 
 合宿は2泊3日で行われる。当日朝、集合場所に集まって乗用車に分乗して出発。途中、竜王峡で一休み。私はそこで鮎の塩焼きを必ず食べる。うまいんだなこれが。ま、養殖の鮎だとは思うが、旅先で食べる物は、どんな物でも美味しく感じる。今も家族の迷惑を考えず、ドライブと称してあちこち走り回る。行った先々で、目に付いた物を食べる。美味しいと思うこと。そこに幸せを感じる。幸せの感じ方は人それぞれだが、食べる事で幸せを感じる私は、食いしんぼ。
 全行程、3時間強。ついた頃にはお昼になんなんとしている。到着早々、宿泊先の民宿の親父さんが経営している食堂に行き昼食。その後で、公民館に入り、練習場の会議室を練習できる状態にする。分奏をするので、2回の広間も練習できるようにセッティングする。
 いよいよ、合宿練習が始まる。まずは、管と弦に分かれて分奏。管はK氏の指揮で練習を始める。階下では、H先生の指揮で弦の分奏も始まった。
 皆、個人練習は充分積んできているので、木管内部での音のからみと、歌い方をそろえる練習だ。皆それぞれ、歌い方が違う。曲にたいする、思い入れが違うからだ。それをそろえるのだが、最初に出たパートが優先権を得てしまう。同じフレーズはやはり同じうたい方であって欲しい。パートがかぶってユニゾンになったとき、違う歌い方をしていると、違和感が顕著に現れる。とにかく、普段の練習で出来ない細かな部分を合わせていく。各楽器での音の立ち上がりの違い。それによるアインザッツのずれ。それもあわせる。管であっていなかったら、弦が入るとまったくといって良いほどあわなくなる。
 音をポンと出すのは簡単だ。スーッと音を出すのが難しい。音の立ち上がりの方法も一つではない。その場面に会った音の立ち上がりにする。ダブルリードでは難しそうだ。
 そのてんクラリネットは、色々な立ち上がり方が出来るので、変化をつけるのは簡単だった。

 合宿の華は何と言っても宴会。夕食後、夜練。宴会は練習後の9時過ぎに華が開く。どこかにも書いたが、私は徹夜が出来ない。それなので、たいてい2時ぐらいには切り上げて寝るようにしている。ところが、宴会の会場が自分の寝る部屋だったりすると、その隅に布団を敷くわけにも行かず、違う部屋に行ったりする。うとうとすると、いびきが聞こえたり、歯軋りが聞こえたりと、どうにも眠れない。だいたい、お酒の度も過ぎているので、半分はそのせいもある。酒は、適量なら睡眠薬代わりになりよく眠れるが、度を過ぎると苦しいだけで眠れない。私の体質がそうなのだろうか。
 2日目の練習は、大体ぼーとしている。ポイントをあわせるための練習が、確認するだけの練習になってくる。体が反応しないのだ。「出遅れた。」と思うと、「クラリネット遅い。」と、指揮者の声。
 昼食の後少し昼寝をして、午後はちょっと回復。夕方の練習終了まで何とか乗り切る。2日目の宴会は流石に盛り上がりに欠ける。疲れて早く寝るメンバーが多いのだ。
 最終日は全曲通しの練習。時には、公民館と併設されている小学校と中学校の生徒が何人か見学に来て、演奏会感覚の緊張した通し練習になる。体は疲れ果てていて、気力のみの勝負。なかなか得がたい体験だ。
 昼食を件の食堂でとり、帰途に着く。3時間強の道のりがより遠く感じるのは何故だろう。
 無事に集合した場所に到着。解散後は、有志で食事をして軽く反省会も兼ねる。11年間お世話になったが、合宿はいつも同じようだった。あるときは台風で道が寸断され、川の中の仮設道路を使った事や、川俣湖を廻る林道も走った。これまた得がたい体験だ。
 合宿が終わると、演奏会に向けて本格的な準備が始まる。

 定期演奏会
 ここまで準備をしてきて、上手くいかないわけがない。執行部の皆さんの努力の賜物だ。
 というわけで、第11回の定期演奏会は大盛況のうちに幕を閉じる事が出来た。「ってもう終わりかよ。」と突っ込まれそうだから、もう少し触れてみる。
 前日は午後から舞台セッティング。セッティング終了後音だし。この頃の会場は市民ホールなので、反響板というものもなく、脇には垂れ幕と、響かない事この上ない。幸いな事に、普段の練習会場がそこの舞台だったので、メンバーはいつもの感覚で吹き始める。あとは客の入りによって、どれだけ響きがデッドになるかと言う事。私の音は、若々しくパワーもあったので、今ほど真剣に響きを確認してはいなかったと思う。
 次の第12回定期演奏会からは、新設されたT市文化会館大ホールでの開催となった。ここには反響板も完備され、会場の残響までコントロールできる回転板が会場の壁に取り付けてある。もちろん、最長の残響時間にする。
 私は今までとは違う場所と言う事もあり、最初に楽器の響き具合を確かめる。ピアニシモで柔らかい音が、会場の一番後ろまで届くように注意をしながらロングトーンをしていく。場所に関係なく、何時もの通りに音を出し、譜面の練習を始めるメンバーもいた。
 第11回の曲目はソリストを迎えるものがないだけ楽だった。普段の練習どおりに吹けばよい。変わったところは、各楽器にエキストラが入り人数が増える事。プロのオケで活躍している先生方がエキストラにいらしたりして、団員も緊張する。と思いきや、学生時代団員だった方達が出世して出演してくださるので、皆は気心が知れていて緊張しない。久しぶりにオケの舞台に立った私は、知らない方が隣に座って全曲吹くので緊張の連続。その方はファゴットのトップに招いていたのだ。リハ終了後「へー上手いもんだね。習ってるのかい。」と聴かれ、「S木先生にレッスンしてもらっています。」と答えると、「凄いね。」と言っておられた。そのときのフルート、オーボエのトップは音大を出た方で、フルートの方は高校の吹奏楽部の顧問で、現在もお世話になっている先生。オーボエの方は私の息子達が合唱団でお世話になっている先生で現N響のI部先生達と現在もアンサンブル活動を続けていらっしゃる。そこへそのファゴットの先生が加わり、クラリネットのトップが私。レッスンしてもらっている通りに吹ければ、言う事はないはず。もちろん本番も練習同様吹けました。学生時代にブラスでしたが、トップと言う事でソロが出てくるのも当然。ソロだと言って力んで吹いては失敗するし、音も飛んでいかないのが分かっていたので、実にリラックスしていたと思う。
 全曲トップを吹いても、演奏会終了後は吹き足りないと思うこともしばしば。パワーがありましたね、あの頃は。
 しかしながら、二回目の私のリサイタルでは、まだ吹き足りないと思ったのだから、まだまだパワーはあるのかもしれない。
 そういったそうそうたるメンバーの中で、11年間お世話になって腕が上がらないはずがない。その間にはそうそうたるソリストたちも見え、自己満足になってしまうが、素晴らしい演奏会が多かったと考えている。退団する前の何年間かは事務局長までやらせていただき、マイペースの事務局長だったため多大なる迷惑をかけたことと思う。

 ところが私の探究心はそこにとどまらなかった。「もっと上手くなりたい。」と言う思いが溢れ、クラリネットを追求する為に楽団を離れる事にした。人間関係でギクシャクしたのもそれに追い討ちをかけていたのだが・・・。

 最後の演奏そして新しい師匠そして・・・
 私のTフィルでの最後の演奏会曲目は、「マイスタージンガーより前奏曲」、「シューベルトの未完成交響曲」、メインは「ブラームスの交響曲第一番」だったと思う。私は、先のことを考えて、1曲目のトップを吹き、次の2曲のトップは、次のパートリーダーと目される2人の女性奏者に任せた。私はどちらの曲も、吹いたことはあったが、他の人がどのような吹き方をするかも興味があった。2人とも、実に堂々たる演奏且つ女性らしい繊細さも感じさせ、新しいクラリネットパートの到来を感じさせた。
 演奏会終了後、年明け最初の練習の前に、クラリネットのS女史から電話があったとき、「ゴメン、私はオケ辞めるから、後はヨロシク。」と伝えると、全くもって寝耳に水という感じで、「えー」と言う声が聞こえたが、今までのことに少し触れると、納得してくれたのか、話はそれで終わった。

 群響のK先生のリサイタルを聴きに前橋まで行った。今から10年ほど前(1994年4月4日)だ。先生が鹿沼のE音楽院の講師に招かれている事は知っていたが、どのようにクラリネットを吹く方なのか知らなかった。鹿沼のオケで吹いていたとき、私の周りのクラリネット奏者は皆、K先生の教えを受けていた。それで、興味津々前橋まで出かけた。
 私が吹く音と全然違うのだ。
 その頃の私は、ドイツ系の音を目指してはいなかった。フランス系のギィ・ドゥプリュ氏の音色を目標にしていた。大学時代にパリ8重奏団の演奏会に行き、その音を目の当たりにしてきた。そのときの印象が強烈だったのだ。
 それと同じ衝撃を受けた。楽器の違いから来る音色の差。上品な響き。
 最初は、フェスティバルでレッスンを受けていた。せっかくドイツ系の先生に習うのだから、楽器も変えてしまおうということで、ヤマハのドイツベームを友人が経営する楽器屋に頼んで、待つこと数ヶ月。製作本数が少なく、選定もママならない状態。新しい楽器を手に入れるのも至難のことだった。
 最初は、マウスピースもリードも違うので、かなり戸惑った。ツィンナーのマウスピースを何本か試したが、ヴィオットーのマウスピースを吹いたときの衝撃は忘れられない。ドイツトーンに近づいたかどうかは、よく分からないが、かなり自由に吹くことが出来た。
 2004年4月7日にK先生のクラリネット演奏会が、やはり前橋で開かれ、私も聞きに行ってきました。クラリネットと弦楽の4重奏、5重奏を演奏しました。こちらも、素晴らしい演奏でした。
 
 そんなこんなで、クラリネットを吹き始めて32年たってしまいました。
 第一回、第二回のリサイタルを経て第三回は弦楽合奏とクラリネットの室内楽を演奏したいと考えています。これからのマメの活動をご期待下さい。

                                            とりあえず、終了かな。
トップページに戻る。