大学一年パートU
夏休みの練習
僕たちの吹奏楽団は夏休みに合宿が行われる。地方に遠征して行うもので、ビータと呼ばれ今年は秋田県に行く予定だ。秋田市のホールで演奏会を行った後、田沢湖の湖畔のヴィレッジで一週間。最近はサマーコンサートとして、割と近場で行われているようだ。
とんでもない合宿の話の前に、大学生活初めての夏休みのとんでもない練習について書かなくてはならない。
7月の前半から夏休みが始まる。最初の10日ほど休みがもらえたので実家に帰ることにした。
東小金井から中央線で神田に出て、地下鉄銀座線に乗り換えて浅草に行く。その後、東武日光線で栃木で下車。利根川を渡った辺りから今でも田園風景を見ることができる。私がいた頃の東小金井付近には田んぼがまだあったが最近は町並みが変わってしまい、迷子になりそうになる。
実家に帰ってすることといえば、朝から晩までK学院高校吹奏楽部の練習に付き合う。この頃は、鈴木先生に習い始めていたので、習った事をクラリネットの後輩たちにどんどん伝えた。後輩に伝える事で、習った事を振り返る事もできた。
家から車で15分ほどかかるのだが、僕は就職する事も考えて高校3年のときに車の免許を取っていたので、親の車で毎日のように通うことができた。親としてみれば、久しぶりに帰ってきたのだから家にいて欲しかったようだ。特に祖母はそう思ったようだ。「雄士はちっとも家にいないねぇ。」としみじみと言っていたのが今も耳に残っている。
10日間の夏休みが終わり東京に戻るといよいよ地獄の練習が待っていた。
朝の8時45分に学友会館前の駐車場に集合する。駐車場で何をするかというと、ステージドリルの練習をする為に地面にテープを貼ってポイントを作る。ドラム・メジャーと呼ばれるリーダーが指示して貼っていく。これも1,2年生の仕事だ。
コマ貼りと呼ばれるそれが終わった頃に3,4年生が現れ練習が始まる。「集合。」と号令がかかり整列した後、統制局員が出席を取る。
楽器ごとに並び歩く練習が始まるのかと思うとそうではない。「足上げ。」と呼ばれる練習が先だ。その場で足踏みをするのだが、ひざをなるべく高く上げてつま先を下に向ける。ひざは直角よりも鋭角に曲げ上げた足の裏と上げていないほうの足が並ぶようにする。空手の膝当ての練習のようだ。それを延々と「1,2,3,4,5,6,7と8と」と叫びながら行う。ちょっとでも声が小さいとドラム・メジャーの竹刀がけつに飛ぶ。それがまた痛いのだ。根性を入れて続ける。汗がすごい。
足踏みをするときに上半身が動いてしまうと演奏に支障をきたす。かかとをどすどす言わせないほうが安定するようだ。30分ほど続いて休憩。その後歩く練習になる。
まずは下を見ないで一直線に歩く練習をする。並んで歩く。扇という円を描くように曲がる練習もする。一番内側はその場で足踏みして回転する。大外は大またで歩かないと間に合わない。内側は大外と中心を見ながら合わせる。顔を正面に向けたままなのでつらい。人間の視野は200度近くあるといっても、なれないと見えない。両方の目が外側を向いてしまいそうだ。列がゆがむと竹刀が飛ぶ。「僕たちは軍隊じゃない。」と叫びたくなる。
午前中はドリルの練習だ。終わる頃には汗が塩のようになる。着替えて、昼食だ。最初のうちはバテバテで食べられたものではなかった。と皆は言っていた。僕は食いしん坊なので平気で食べたけど。
食いしん坊のランクは一番がI、二番が多分僕。一番と二番の差はどんぶり3杯ぐらいかな。二番と三番の差は普通の茶碗一杯くらい、と謙遜してみる。
暑いので午後1時からのパート練習はつらい。練習場になっている229という教室は窓を開け放しても蒸し風呂のようだった。この頃コルグのダイヤル式クロマティックチューナーを買った。A=442でもとても合わない。
A大学吹奏楽団は鍵盤打楽器がA=440の物だったので、かたくなにA=440でチューニングしていた。僕のクラリネットは、タルの下を2ミリくらい、上管の下を0.7ミリくらい、下管とベルの間を1ミリくらい抜いてやっと合わせる事ができた。
練習しているメインの曲は、プロコフィエフ作曲「スキタイ組曲」より、チャイコフスキー作曲「幻想序曲ロメオとジュリエット」、ジェイガー作曲「ジュビラーテ」(この年の課題曲の一つ)の3曲だ。特にプロコのほうは今年のコンクールの自由曲なので徹底した練習だった。
1時から1時間ほど個人練習の時間が与えられる。この時間内に先輩から指示された箇所を吹けるようにするのだが、のんびり屋の僕はロングトーンから始める。ロングトーン、スケール、エチュード、そのあと曲の練習になると集合の時間になり、いつも曲の個人練習をする時間が足らなくなった。
しかし、スケールとエチュードの練習は地道にやっていると力がつく。僕が一番安定した吹き方をしているとコーチの先生にほめられた事もあるし、クラのパートリーダーのK先輩でさえ、「吹き方にむらがなくて良い。」と言ってくれた事がある。
午後3時からは木管セクションでの練習になる。木管リーダーのK先輩が指揮をするのでクラリネットのトップがいなくなってしまう。4年のT先輩と2年のM先輩がファースト、僕と同じ1年のMがセカンド、残りはサード。といっても難しい部分は分けて吹くので、パートもあるようでないような物だ。
K先輩が「お前は吹けるのだから全部吹け。」といったので全部吹くことになった。
この地獄のような練習が後々大きな影響を及ぼす事になる。
5時から6時半までが夕食の時間だ。夏とはいえ、今のように40度を越える事は無かったので夕方は涼しくなった。夕涼みをしていよいよ合奏の時間だ。
6時半からコーチの先生の指導の下、合奏が始まる。僕が1年のときはS原先生が常任指揮者だった。各パートのコーチの先生方が前に座って聞いているときもあった。重箱の隅をつつくように、様々な注意点を指摘され次の練習課題を与えられる。コーチの先生方は週に2回ほど来て下さるので、その間に練習課題をこなしておかなくてはならない。のんびり屋の僕には結構きつかった。
8時50分に練習が終わり、ミーティングをして解散。定刻の8時50分に終わらないときもあり、学内にいられず外でミーティングをすることも多かった。栃木の吹奏楽団が練習場の外で終わりのミーティングをすることが多いのはここに端を発しているのかもしれない。
という具合に、夏休みの練習は朝の9時から、夜の9時過ぎまで。本番間近になるとお昼と、夕方の休憩時間も縮められた。時には朝7時半音出しの時もあった。最近も練習する事は苦にならないが、年とともに長時間吹くのは疲れてしまう。困った物だ。
ある朝、授業が始まる前に教室でロングトーンをしていると、掃除のおばさんに「曲でも吹けば良いのに、ビービー、キャーキャーうるさくてしょうがないょ。」と言われたことがある。「基礎練習だから仕方がない。」とそのときは思ったが、「ロングトーンでも音楽的に吹けるはずだ。」と考え直した。スケールでも何でも機械的に練習する事と音楽的に練習する事の2つが大切だと気がついたのはあのおばさんのおかげだ。あのおばさんに感謝したい。
練習が9時過ぎまでなので、まかないつきの下宿にしたのに下宿で夕食を食べる事はほとんど無かった。外食をするのはもっぱら、武蔵境の駅前の東大楼という中華料理店か信濃という牛丼屋だった。今もあるのだろうか。
演奏旅行と夏合宿
いよいよビータとよばれる演奏旅行に出発の日が来た。夕方にトラックに楽器やら荷物やらを積み込み、僕たちはバスに乗り込んだ。秋田までバスで14時間ぐらい。夜通し走って明け方に秋田市に着いた。
秋田市民会館での演奏。一年生だったので訳の分からないうちに終わっていた。A大学の同窓会秋田県支部と吹奏楽団のO.B.で秋田在住の先輩がたのおかげで滞りなく終演を迎え、演奏会終了後レセプションとなった。ここでも秋田出身のNが一人で盛り上がっていたようだ。
レセプション終了後、僕たちはバスに乗り込み合宿所である田沢湖畔のロッジへと向かった。
演奏会終了の興奮冷めやらぬまま、合宿初日になだれ込んだ。朝5時50分起床。ロッジの外の草原でラジオ体操をする。夕べは暗くてよく分からなかったが、田沢湖畔といっても山の上だった。田沢湖は遠くに見下ろす事が出来る程度だった。
都会とは違い車など走っていない。すがすがしい朝だ。朝の空気を思い切り吸って、「今日からの練習頑張るぞ。」と決意を新たにする。それにしてもお腹がすいたので朝食の時間が待ち遠しい。地獄のような食事が待っているとも知らなかったので、そのときは本当に待ち遠しかったのだ。
体操が済むと部屋に戻って布団を片付ける。1,2年生は大きな座敷に寝ているので大変だ。この部屋は木管や金管の分奏にも使うのできちんとしなければならない。
片付け、掃除が終わった頃一足先に食堂で朝食の準備をしていた食事当番が、「朝食の準備が出来ました。」と知らせに来る。さっそく食堂に飛んでいくと、テーブルに並んでいるのは丼飯だった。プラスティックのどんぶりに山盛りになっている。
「いただきます。」と挨拶したあと4年生の先輩から「なんだこれは。」という叫びが聞こえる。食事当番も1,2年生なので、4年生や3年生のテーブルのどんぶりに仕掛けがしてある。どんぶりをかぶせたような盛りの中が、ぎゅうぎゅう押し詰められていて、表面にかるくご飯が載せてあったのだ。箸も刺さらないようなご飯をその先輩は文句を言いながら食べてしまった。残してはいけないからだ。昼食になると午前中うまく吹けなかった後輩は、「腹が減ってるからうまく吹けないのだ。」と先輩に言われ山盛りご飯を食べさせられる。動けなくなるほど食べさせられて「腹が一杯で苦しくて吹けないのだ。」と言い返したくなる。けれど苦しくて何も言えない。昼食後の休憩時間も横になれないのだ。横になると「出る〜〜。」となってしまう。
おかずはありふれた物で、記憶には残っていないがご飯だけは「イヤ。」というほど食べさせられた。
僕が4年になったとき後輩が「先輩お替りいかがですか。」と聞いてきたので「半分で良い。」と頼んだところ、例の山盛りご飯が縦半分によそられて来たのにはびっくりした。テーブルの上におくと、どんぶりの片側半分が重いのでひっくり返ってしまいずっと手で持っていなくてはならない。崩して平らにしたいのだが、のりのように押し詰められているのでなかなか崩せない。こういう手を考える後輩たちに敬意を表する。僕も先輩に良く盛り付けをしてあげたので、これも仕方が無い。僕たちはどんぶりの上に山盛りになったご飯を「ご飯フラッペ」と呼んだ。
食事のあと、午前中は個人練習だ。楽器を持って外に出る。すがすがしい空気を吸いながら、山に向かってロングトーンをする。
ここで蟻騒動の話をしなくてはならない。
高原にいる蟻は大きい。私は蟻について詳しくないので、なんと言う種類の蟻か分からないが、サンダルで練習していると足に這い上がってくる。くすぐったくて、吹けたものではない。パート練習のときなど、誰かが突然ブブッと変な音を出す。蟻のせいでくすぐったくて我慢できずに噴出すのだ。
それだけなら蟻のいたずらでかわいいのだが、蟻は咬みつくのだ。咬みつくだけならいい、蟻酸というのを出すのか咬まれたあとが腫れる。単にばい菌が入っただけかもしれないが、この事件のあと外では素足でサンダル履きで練習してはいけないことになる。
お昼ごはんもまた沢山食べさせられる。一週間の合宿でよく太らなかったと思う。体質的に太らないようだ。
午後は木管と金管と打楽器に分かれて分奏をする。打楽器に関して言うとパート練習も分奏も変わりが無いのか、何をしているのか良く分からなかった。こんな事を書くと諸先輩に怒られるような気もするが、フィクションとして読んでいただきたい。
というわけで、木管分奏。ここでもK先輩が指揮に回るのでクラリネットパートは弱くなってしまう。クラリネットの人数が足らなくて、他のパートからコンバートされてきた連中はいずれは吹きたい楽器を演奏するのを目標に我慢しているが、あまり色々な事を言われると我慢できなくなり爆発する。合宿から逃げ出す事は出来ないので、合宿が終わって大学に戻ってから逃亡事件が多発する。
こういう連中をまとめなくてはならないリーダーたちは、音楽面以外でも苦労する事が多いようだ。
お昼ご飯をたらふく食べて、高原の、真夏とは思えないぽかぽかした暖かさの中、ほとんどのメンバーが楽譜より睡魔との闘いになる。ボーっとした状態のまま演奏しているので間違え、指揮者に捕まって個人攻撃を受ける。周りのものは、暇になってより激しい睡魔に襲われる事になる。同期の仲間なら皆知っている事だが、僕は目を半開きのまま眠る事が出来る。練習中寝ていてもばれない。眠りも浅く寝不足には弱いが、こういうときには便利だ。午後2時から3時にかけてが一番眠い。何をしても睡魔にはかなわない。ばれたらそれまでとあきらめて、睡魔に身をまかす。ばれなければその後の練習がとても快適になる。2,3分でもその効果は絶大だ。
このような練習を1週間続けて、最後の日にコンクールの課題曲と自由曲を練習して合宿は終了した。
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コンクール編に続く。
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