1945年8月9日、ソ連が日本に対して宣戦布告をした瞬間、アジアに侵攻していた人たちの生活は逆転した。軍は逃げ、一般人たちは日本国から見棄てられ、置き去りにされた。そこから、日本の引揚者の悲劇ははじまる。
満州には、ソ連軍がなだれこみ、加害国の日本人は、一夜にして被害者となった。
8月12日、満州・哈達河(ハタホ)開拓団は、逃避行中、ソ連軍と満州国反乱軍に包囲される。
彼らが出した結論は、集団自決。その数、400余名。
満蒙開拓団最大の悲劇「麻山(マサン)事件」
肉親同士が殺し合うという世界史のなかでも特異で、もっとも悲惨な行為、集団自決。
なぜ、戦争の代償を、あるいは加害者たちの最後の代償を、弱者である婦女子たちが負わなければならなかったのか。
20世紀が後戻り不能として残した、負の課題としての人間の闇
加害と被害を越えた、人間の叡智、価値を見い出すための 悲しみと祈りのトータル・パフォーマンス!
|