高史明 岡百合子 インタビュー
本公演パンフレットより抜粋

 一番最初の出発点は、自分たちの子どもがあまりにも早く死んじゃってね。この子のために、こういう子もいたということを、ひとりでも知ってほしい、そういう感情があったんですね。だから、香典返しのように自費出版して、こういう子でしたと。彼の残したものは。詩の手帳ぐらいなものでしたからね。あとは、ほとんどなにもやらないうちに死んじゃったからね。

 息子が生きていれば、いま45歳ですけどね。いまのような世の中で、まともにいくタイプじゃないから、何をやっていたかしらと思いますね、ほんと。

 われわれ二人が話をして、あの子はいつも聞き役なんだ。だから、すごく背伸びを自然にしてね。そうでないと、自分が話のなかに入れないからね。
 ときどき怒鳴ってたわね。「ねずみだ!」って。
 自分の存在を認めろって、怒ってた。こっちはね、二人とも頭に血がのぼってるから、一生懸命話してるけど、あの子はいつもお客さんになって。だから、ものすごく背伸びしてたんだ。
 身体性がなくて、アンバランスだったんでしょうね。
     *
 悲しみというのはね、心が割れるというのはね、仏教の場合では、「慈しみ」にこの字をつける。これは、増やしていくという意味なんですよ。心が割れてどうにもならなかったのと、生んで増やしていくという字がひとつにならないと、仏教にならない。

高 史明 Ko Samyong [作家]
1932年、山口県に生まれる。在日朝鮮人二世として、さまざまな困難の中、多くの職業を経験、その間独学。最初の小説『夜がときの歩みを暗くするとき』(筑摩書房)を発表し、以後作家生活に入る。
1975年、一子真史君自死。死後発見された真史君の詩を夫人岡百合子氏とともに『ぼくは12歳』(筑摩書房)に編み、若い人々に大きな反響をよんだ。

岡 百合子 Oka Yuriko
東京に生まれる。1854年お茶の水女子大学史学科卒業。公立中学・都立高校の教師として1986年まで勤務。1955年高史明氏と結婚。朝鮮史研究会、歴史教育者協議会に所属する。著書に『大空に舞った少年よ』(編著・筑摩書房)、『白い道をゆく旅―私の戦後史』(人文書院)、『朝鮮・韓国』(岩崎書店)がある。