2009211日[水・祝]  
  16:00 Start [open 15:30]


  
  前売 \2,000 当日 \2,300[全席自由]
  テルプシコール [map]


  
  Stage coordinate:二瓶龍彦 Nihei Tatsuhiko
  舞台監督:田中克季 Tanaka Katsuki
  フライヤーデザイン:オータ・ナオ Ohta Nao
  パンフレット制作:猫柳けいたNekoyanagi Keita
         +二瓶龍彦 Nihei Tatsuhiko
  企画・制作:PHILIA project

  【お問合せ】PHILIA PROJECT
  携帯 090-6517-0809
  E-mail:philia_project@yahoo.co.jp



黒田オサム ロングインタビュー「ホカイビト」 第3部 [パンフレット所収]

彼(大川美術館館長大川栄二氏)が言うにはね、お金に焦点を当てて画を描いている人たちがいてね、それを、パン助絵画と言ったんですね。「パン助」と言ったんですねえ。で、僕は噛みついたわけじゃないけど、手紙出したんですよ。そういう言葉は、パン助に対してね、申し訳ない言葉だからねえ、そういう言葉はやめてくれ、ってね。それ以降、大川さん使わなかったですね、
ジキパンね、ジキパンっていうのはね、普通のお客さん引っ張ってホテル連れていくような、そういう人じゃなくって、まあ、江戸時代でいうね、夜鷹ですね。夜鷹。ジキパンって、いったですねえ。惨めな格好しててねえ、お客さん引っ張って、トイレでねえ。男娼もそうだったですね、酔っ払い相手にねえ。むしろジキパンの場合はねえ、浮浪者を対象にしてたんです。そのジキパン見たときにねえ、なんか尊いもんがあるような気がしてね。
あのねえ、上野に博物館あるでしょ。博物館の隣りになんかお寺みたいのありますね。そこんとこにね、うどん粉っていうね、ジキパンが出てたんですよ。みんな「うどん粉、うどん粉」って、「うどん粉、出てた」って。舞踏の人たちの白塗りみたいなもんですよ。厚く塗ってたからね。それで、みんながねえ、うどん粉塗ってるだろうから、「うどん粉、うどん粉」って言ってね。それがいつもあそこに出てたんですよ。彼女、ちゃんと和服でね、もう汚いですけどね。近寄ると、蚊の鳴くような小さな声でね。それが、優しい上品なね。一晩立ってても、お客がとれたのかとれないのかねえ。
噂ではね、いいとこの奥さんだったとか、良家のお嬢さんだったとか、そういう伝説がつくられるわけね。
媚びないっていうかね。媚びる技術もってなくてね。何にもないんですね。そういう人たちをね、パン助としてね、片付けちゃ申しわけないような気がする。
黒田オサム
1931年 群馬県生まれ
子どもの頃、川に流され肉屋のヨネちゃんに助けられる。 二度も空を飛ぼうとして墜落、二度とも左腕骨折。以後、 左腕曲がる。学業劣り無口でおとなしすぎ、知能が低いと言われ、 絵画に熱中、子ども心に画家になることを決心。上京するも、 就職むつかしく山谷を中心に底辺をさまよう。 (山谷はボクの芸術大学だった!)踊りの師匠・流派なし。 我流のへんな踊りを、天才的舞踏思想家ドンちゃんに見出され、 パフォーマーの道を歩み始める。この1〜2年来、 にわかに海外からの出演要請が増え、 ヨーロッパやアジア各国でもへんな踊りが好評とか。
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