Adam Stedman

Diary

Adam stedman

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my friend


「一期一会」

一足「旅」に出れば様々な人達と出会うことになる。

旅を続けていくには「人」と関わる事は不可欠であり

また、出会いがあるからこそ「旅」はおもしろいのだと思う。

最初「彼」とはバンコクの安宿で知り合った。バンコクに長居しているバックパッカーの多くは

「昼頃にやっと起きだし、昼飯を食ったあとは日陰やエアコンの効いた場所でじっとしていて

活動できる夜になるのをウダウダ待っている…」といった連中ばかりだったが

そんな中、朝から宿の食堂の片隅で本の読んだり日記をつけたりしているのが「彼」だった。

俺はそんな「彼」に興味を持ち「どっから来たんだい?」と尋ねると「アメリカのフロリダからだよ」

という答えが返ってきた。白人バックパッカーの殆どはヨーロッパ人だったからアメリカから来ていた

彼は珍しかった。俺が「どこまで行くの?」と聞くと彼から「タンザニア」という答えが帰ってきた。

「タンザニアってアフリカだろ?なんで?」って俺が聞くと「語学の為なんだ」って彼は笑って答えた。

聞けば、彼はフロリダ大学で「言語学」を専攻している学生で、アジア各地を旅しながら
アフリカのタンザニアを目指し、

そこで「スワヒリ語」を学びたいとの事であった。

偶然にも同い年という事もあって意気投合し「日本のこと」「アメリカのこと」「映画の話」「Rockの話」

そして他愛もない「女性の話」なんかで盛り上がった。

それからも「彼」とは宿の食堂で顔を合わせることが多く、プールバーでビリアードをしたり
宿の食堂で甘ったるいジュースを飲みながら映画を見て共に楽しい時間を過ごした。

ある朝、「彼」は2週間後にインドに向かう為、バンコク市内のインド大使館に「ヴィザ」を取りに行ってくると

出て行ったものの、昼過ぎに元気をなくした表情で宿に帰ってきた。俺が「どうしたんだよ」って聞くと「彼」は

インドのヴィザ代が予想より高く、そして実家からの送金が送れているため「ヴィザ」が取れなかったと俺に言った。

そして「3日後には返せる。タカ…、800バーツほど貸してくれないか…?」と俺に尋ねた。

正直、迷った。800バーツといえば日本円でたかだか2000円ちょっとである。

しかしここでは3日間位滞在できるほどのお金である。旅人同士でのお金の貸借りはタブーだったし

それに明日から俺は1週間ほどバンコクを離れる予定だったから。

しばらく考えたが、悩んでる「彼」の顔を見ているうちに「自分が信用した相手だ、貸そう」
という気持ちになり、

彼に800バーツを手渡した。「彼」は「ありがとう、すまないな、タカ…。必ず返すよ」と言った。

俺が1週間程バンコクを離れる旨を伝えると、「彼」は「1週間後、またこの宿で会えないか?」と言った。

俺は「わかった、そうしよう」と言って、次の日の朝、バスで南に旅立った。


南の島で一泳ぎしバンコクへ帰るバスの中、ふと「彼」のことを思い出した。

果たして「彼」は、宿で待っていてくれるだろうか…?俺はお金なんかどうでも良かったが

自分の信じたものに裏切られるのが嫌だった。

一週間ぶりにバンコクの安宿に戻るとそこで働くメーレックは「あんた、久しぶりじゃない?」と出迎えてくれた。

そわそわしながら食堂へ行ってみると…、「彼」は食堂のいつもの場所に居た!

俺の顔を見ると「今帰ってきたのかい?待ってたぜ」と800バーツを返してくれた。

そして「飯食いに行こうぜ」と誘われ、久しぶりに「彼」と飯を食いに出かけた。

そこではお互い一週間の出来事を話した。

会計の時になると「今日はタカの分はおごるよ、君は俺のGood friendだ」と言った。

うれしかった。「Good friend」と言ってくれたことにうれしかった。

その後「彼」とはインドのカルカッタで再会することになる。実は「彼」がバンコクでインターネットの

「Hotmail」を教えてくれたから、お互いの居場所を知ることができたのである。

カルカッタの食堂で「彼」は、将来は英語の教師として日本に行ってもいいなと笑って言っていた。

「お互いまたどこかの街で会おうぜ、Good luck!」

「彼」はタンザニアに旅立つ為列車でボンベイに向かったのであった。


その後も「彼」からたまに写真付きのメールが届く。「彼」は今、実家のあるカリフォルニアに帰り

海の見える丘に友人達と別荘を借りビーチでHappyな生活を送っているらしい。

街の美術館で働いているそうだ。
因みに…。俺はそこまで英語が話せるわけではない。

言葉は意志を伝える有効な手段である。

だが、あくまで有効な手段でしかない。

ということである。