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皆さん想像してみてください。
ここに一つのレーズンパンがあります。
どこのパン屋さんにも売っている、コンビニエンスストアにでも置かれている、
人気のあるパンです。
このパンが苦手な方がいても、食べたことが無い人はいないでしょう。
(上の絵は僕のセンスを疑ってください。)
このレーズンパンについて、あなたは真剣に考えたことがありますか?
Yes or No?
大多数の方はNOと答えるでしょう。
しかし大多数の含まれたからといって喜んではいけません。
イレギュラーが悪いと思うことは、日本人の悪いところです。
そんな多数派のあなたのレーズンパンに対して考えは、
味、食感程度、そして値段を考える程度でしょう。
しかし、そんな上辺だけの関係をレーズンパンは望んでいないはずです。
もっともっとレーズンパンについて考えてあげてください。
そしてもっとレーズンパンを愛してあげてください。
YESと答えた方。
僕と考え方がとても近い人です。
レーズンパン愛を通じて、お友達になりましょう。
ここではそんなレーズンパンを徹底的に考えてあげることにします。
さて、レーズンパンは『どこまでレーズンパンなのか?』というのかが今回の哲学です。
え?意味がわからない?
まぁ先まで読んでみてください。
では早速、レーズンパンに色々してみましょう。
Let's start considering.
* * * * * * * * * *
まずレーズンパンを潰してみました。

「あーあー。やっちゃったよ。」
という声が聞こえてきそうですね。
しかしこれもレーズンパンを愛しているからこその行為なのです。
さて、皆さんはこれをレーズンパンだと思いますか?
潰れていて原型をとどめていない彼女。
食べるのに躊躇してしまいそうな外見をしています。
しかし、これもレーズンパンです。
変形をしているものの、パンとしての機能もレーズンとしての機能も残っています。
これを見た人は「潰れたレーズンパン」というでしょう。
「潰れた」という形容詞がついていますが、レーズンパンです。
* * * * * * * * * *
つぎにレーズンを全て取り払ってみました。

「これはさすがにレーズンパンじゃないだろう」
という声が聞こえてきそうですね。
しかしこのレーズンを取り払ったパンもレーズンパンなのです。
確かにレーズンパンの肝となるレーズンは見当たりません。
でもほら、匂いを嗅いでみて下さいよ。
かすかなレーズンの香り。
そう、大事なことは、3分前彼女は何であったか?ということです。
バレリーナが引退したら『元バレリーナ』であったように、
レーズンがどこかにいってしまったレーズンパンは『元レーズンパン』なのです。
よってこれはレーズンパンと言えます。
* * * * * * * * * *
もうパン食べました。

「ちょ、お前これは絶対レーズンパンじゃないだろう」
という声が聞こえてきそうですね。
しかし、このパンという身体を持たないレーズンもレーズンパンなのです。
もはやパンではありません。
残っているのはレーズンとパンくず。
レーズンをつまんで食べる以外、彼女を食べる方法はありません。
もし他の食べ方があっても、
彼女はレーズンパンとして生きていけないでしょう。
突然話が変わって申し訳ないのですが、
人間の精神(心)はどこにあるでしょうか?
現在の医学的な見解からは、人間の精神は脳にあると考えられています。
脳が全てを判断し、脳が感情を支配しているという考えです。
しかし死んだ人間にも脳がありますが、精神がありません。
もし脳だけ医学的に生かしたとしても、果たして正しく機能するのでしょうか?
脳があり心臓が動いていることだけでは、生きている証拠にならないと僕は考えます。
人間生きているという証…。
それは精神です。
つまりこの状態ではレーズンパンの『パン』という肉体は失われても、レーズンが生きています。
精神が生きているのです。心が生きているのです!
これをレーズンパンと呼ばずなんと呼ぶのでしょう!
よってこれはレーズンパンです。
レーズンパンに対する愛情が深ければ深いほど、
このレーズンパンの残骸をレーズンパンとして見れますね。
これは現実世界でもあるのではないでしょうか?
愛が深ければ深いほど、彼女がどんな姿になっても愛し続ける。
そんな純愛を訴えかけた哲学でした。
コメント:
哲学とは、なんだかわからないまま押し切れば勝ちだと思う。
というかこの話は哲学じゃないですよね。
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