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東海道53次を歩く
2001年は徳川家康が江戸幕府を開いて、400年。同時に 東海道 中仙道、など 5街道を整備し、今日に至るまで、日本の大動脈として政治、経済と大きな役割を果たしてきた街道。ウォーキングのブゥームに、弥次さん 喜多さんでお馴染みの 東海道53 次宿場を歩いてみた。今でも道路の基点である日本橋から。


4月22日(日) 日本橋〜川崎 17.6Km
四国を歩いてから久し振りの旅である。昨夜は上野のカプセルホテルに宿泊、サウナブロに入り一夜を過ごす。五街道の基点日本橋をAM8:00出発する。江戸時代は「お江戸日本橋七つ立ち・・・」と言うから朝の4時頃か。かつて私が入社した時の本社が橋のたもとにあり、首都高速道も無く水面には時折筏が下り東京のど真ん中でアンマッチの風景を記憶している。朝の静かな通りを暫く歩く。泉岳寺に立ち寄り赤穂浪士の墓に線香を手向ける。ここから品川宿はすぐだ。日本橋からは8Km前後で特別見る所も無く、初日の足慣らしとして1時間4Kmのペースで歩く。ビル群の殺風景な街道を歩き多摩川を渡ると、川崎宿である。今日の宿泊地とした。


4月23日(月) 川崎〜戸塚 23.4Km
川崎駅前は大変な変わりようだ。古では名物の奈良茶飯で大豆、小豆、粟、栗、等をお茶で炊き込んだ飯に、蜆の味噌汁が栄養補給で役立った宿場と言う。本陣宿の案内板が肩身狭しとあり、面影も浮かばない様変わりだ。暫く歩くと、生麦事件の碑がある。薩摩藩主島津久光の行列の前を横切ったイギリス人3人が斬られたと言う。そのまま、真っ直ぐに進むと神奈川宿である。今や大都市横浜である。ここまでが1日目の宿場になったとか。息子が戸塚にいるので、今日は戸塚に泊って一緒に飯でも食べようと、名所、旧跡もそこそこにひたすら歩く。保土谷宿で帷子川を渡り、街道は所々にマンションが並ぶ中、本陣跡、付近一部に古い建物が残っている。権太坂はなだらかな坂が続き、なかなかキツイ所だ。戸塚は今では大手電気メーカーの町で、開発が進み、旧道すら見当たらなく面影も全くない所だ。東京のベットタウン化した町だ。疲れた足を引きずり宿探しをした所、宿もないと言う。タクシー運転手からやっと宿をゲットする。息子と楽しい夕食の時を過ごし明日への活力とした。


4月24日(火) 戸塚〜平塚 21.5Km
今朝は少し足の疲れを感じる。JR東海道線の線路を渡り、旧道に帰して歩き、戸塚を後にする。藤沢は遊行寺の門前町として、又、江ノ島の参詣の拠点として栄えたと言う。街道には所々に松並木があり、歩きやすく、時代劇で見る大名行列が似合う道風情だ。名所、旧跡も見飽きたのか、ひたすら歩く。平塚宿は東海道でも、有数の宿場であったとか。また 平の真砂子の墓があり、平塚の地名の言われとか。広重の描いた高麗山が有名。今も街道から変わらぬ古の姿を望む事が出来る。現在はサッカー、七夕が有名である。宿に着くや食事も摂らず、すぐ休む。


4月25日 (水) 平塚〜小田原 18.5Km
さすが腹がへった。朝食だけでも、お願いしとけば良かったと、反省する。朝定食屋がないかと、早目に宿を出る。商店街を捜すが見当たらず、仕方なく街道を歩く。小雨模様でもあり、気分も晴れない。喫茶店を捜し当て、飛び込んで腹ごしらえをする。コーヒーの旨かった事。店では朝から年配客が競馬談義、平塚は競馬も盛んとか。大磯宿には大した時間もかからず着いた。昔の面影は松並木のみ。広い一角に吉田 茂邸のある所。相模湾が望める。気分転換に海沿いの道を歩くが、すぐ国道に合流し単調な街道歩きになる。長い酒匂川を渡ると、小田原宿である。北条氏の居城として発展した所だ。カマボコ、梅干が特産。箱根駅伝の中継所近くの鈴弘のカマボコは特に有名である。今日は街道筋の老舗旅館に宿を取った。結婚式も行うと言うが格式が滲むようだ。同宿客に宇都宮より坂東札所巡りの夫婦がおり、話が弾む。


4月26日 (木) 小田原〜箱根 16.5Km
天気は快晴。小田原城を見学してから歩こうと、ゆっくり宿を出る。城の会館は 9時である為、街なかを見聞しながら城に向かう。途中、元 勤めていた会社の事務所が城の近くにあり、近親感を覚える。天守閣から見るからに、小田原の町は戦国時代から交通の要衝として重要な所であった事が良くわかる。鈴広カマボコの店に立ち寄り、カマボコの土産を自宅に送る。店は広い駐車場に囲まれ、観光客で賑わっていた。いろいろな試食品も並べられ、店員の声も弾む。試食品を口にいれ、いよいよ箱根八里の峠越え歩きである。箱根登山鉄道の線路を越えたあたりから、古い町並みが残っており面影が偲ばれる。湯本へと緩やかな上り坂が続き、やがて温泉街に。三枚橋を渡ったあたりから、箱根東坂となる。温泉街を進み、観音坂、女転がし坂、と苦しい難儀な坂である。すぐ割り石坂の石畳の道になり、暫くすると間の宿、畑宿、となり 有名な寄木細工の里である。会館で土産の寄木箱を購入する。畑宿の一里塚を過ぎ、石畳の続く西海子坂へ。七曲の急坂を登ると、資料館、甘酒茶屋に出る。茶屋も観光客で賑わっていた。肌寒い気温に甘酒が体を暖め、喉の乾きに疲れを癒す。更に石畳を進むと、登り坂も終わり、芦ノ湖を見下ろす下り坂となる。湖畔の旅館街にホットする。時間も5時ごろになり、遅くなった性か、宿もなかなか見つからず、5、6件電話の末、無理やり素泊まりで民宿にお願いする。今は寂れた観光地のようだ。客足も無く、店仕舞も早く、活気もない。夕食は近くの時代遅れの食堂で済ませ、寝酒とおつまみを、閉め始めた酒屋で買い、民宿に戻り休む。



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