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今日も天気は快晴。宿を出て杉並木を抜けると箱根関所である。「入り鉄砲に出女」を特に取締ったと言う。当時の姿が人形で復元され、逃げ場のない要衝の関所が偲ばれる。修学旅行生に混じってつぶさに見学する。箱根宿を過ぎると向坂の登りになり、しばらくすると箱根峠に出る。ゴルフ場入口を右に入ると甲石坂の下りとなり笹で覆われたトンネルの長い下り坂となる。街道は一旦現在の国道と合流するが、すぐに旧道に入り幾つもの坂を経て杉に囲まれた広い石畳の道を歩く。やがて暮石に徳利と盃が刻まれた雲助徳利の墓に出会う。時代物にしては、風流な人もいたもんだと、感心する。その頃東京出身で定年と同時に静岡市に住み五十三次をウォーキングで楽しんでいる中高年夫婦に出会い、三島まで同行する。宿は取らず帰宅し都度日帰りで歩いているとのことであった。歴史探訪も兼ねて奥さんに合わせた歩きでゆっくりである。インターネットで取り寄せた中部建設協会発行の「東海道さんろくマップ」を紹介してやった。いろいろ話し乍ら歩いていると、街道筋の三島大社に到着。ご夫婦とはそこで別れた。宿選びの為 また 自治会役員会の為 明日一旦帰郷しなければならず三島駅に向かう。構内を見渡したところ、うなぎの旨そうな店の看板を発見、今日の夕食に決めた。「さくら屋」と言い大変美味しかった。三島大社と共に印象深い。後に聞く所によると全国的に有名だそうで、もう一度食してみたい。 |
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明日からの五十三次歩きの為再訪。駅前に市立公園「楽寿園」があり 約2万坪の園内には富士山の噴火の際流れ着いた溶岩に樹木が実生している珍しい光景である。国の天然記念物にもなつており、市のど真ん中とは思えない大きな木々の茂る静かな公園を散策す.。三島宿は伊豆の国の一宮で大社の門前町でる。安藤広重が描いた版画 三島の鳥居でもお馴染みである。 |
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中4日の休みで足も快調である。ゴールデンウィークの休みの性か、町もどことなく賑わっている三島を後に沼津宿へと足を進める。ひたすら街道を歩いた。沼津も近代都市へと生まれ変わり街道筋は昔の面影は殆ど見当たらない。原宿も見る所も無く通り過ぎたようだ。吉原に差し掛かって新幹線のガードをくぐり、富士山が左側に見える不思議な所である。環境から言って理解出来ない。丁寧に左富士の碑まである。新幹線に乗っていても同じ光景である。左富士と工場群の多い街道筋が印象的であった。 |
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蒲原は昔の面影を色濃く今に伝えている。街道400年の歴史を町興しの記念行事として捉え、商店街の幟や整備された道案内等からも伺え、歩く私を歓迎しているような、気持ちの良い町並みである。由井宿も同様昔が偲ばれる。小さな宿場町故に開発されず面影が残ったのであろう。或いは、他に例を見る保守的な町だったのだろうか。・・・・ここの本陣跡は復元整備されており、広重美術館にもなっている。版画も実演していて、観光客で賑わっていた。この時期、駿河湾の桜海老が旬である。街道筋はその為に わざわざ遠くからも食べに来る人達が大勢居るとか。格子窓の古い民家の町並みが続き、やがて登り坂となり、風光明媚な薩唾峠に出るミカン、ビワの畑の甘い香りのする間を歩く。峠の頂上は見晴台になっており農家の年配女性がミカンを売っていた。喉の乾きにミカンが美味しかった事。この峠はハイキングコースとして整備され多くの観光客や家族連れ等が古道歩きを楽しんでいた。峠を下るとまもなく 興津宿である。この宿今は昔の面影はない。暫くすると、江尻宿に出る。ここは清水次郎長の生家がある清水市である。当時の面影も少し残っているが、任侠の街道イメージから反して開発された都市となっている。 |
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次郎長親分の江尻宿を後にして、次の宿場を目指して歩く。何となく肩で風切る任侠歩きの親分気分である。旧東海道、新幹線と何度か線路を渡りながら進むと、府中宿である。今は静岡市の中心であり、私の知る30年前とでは、近郊都市に比べ著しく発展した大都市となっている。家康が幼少時、晩年と過ごした所で、街中の駿府城址は広い公園になっている、ここも観光客、家族連れなどで賑わっていた。公園内には家康の銅像が誇らしげに立っていた。しばし公園を散策後街を出ると間も無く安部川にさしかかる。川麓には有名な安倍川餅の店が建ち並び食する客が後を絶たない。長い橋を渡ると、丸子宿でる。広重の版画で有名な丁字屋の とろろ汁は、今も当時の面影を残し混んでおり、食べられなかったのが残念で心残りである。予定より遅れていたので、すぐ前の丸子橋を渡り宇津ノ谷峠に急ぐ。川沿いの街道を進むと、まもなく岡部宿である。岡部の本陣は建て替えたのか、立派で町並みも古く往時が偲ばれる。街道脇に田中藩領傍示石蹟の石柱をみつけ、田中藩もあったのかと、勇気付けられる。心残りのとろろ汁と、疲れた足取りに気力を搾り乍、やっと藤枝宿に着き今日の宿泊地とした。 |
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藤枝は田中藩の城下町との事。苗字からして根っからの百姓と思われるが、大名まで出世したのだろうか。何だか 嬉しくなる。塩を運ぶ交通の要衝であったとか。桐箪笥製造は今に伝える伝統工芸、梔子(クチナシ)で染めたと言う瀬戸の染飯も、現在でも買うことが可能である。暫く街道を歩くと島田宿である。大井川を渡る旅人で賑わった宿で「箱根ハ里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」と歌われ、川幅は今でも2Km位あるだろうか。今は水は少ないが実感できる。川の麓には人足の番屋が復元され当時を偲ぶ事ができる。博物館も近くにあって、いろいろな展示物があり、タイムスリップする事ができる。カメラの電池が切れて写真を撮れなかったのが残念であった。川を渡ると金谷宿で旧街道は少し古い家並みが残っている。老舗らしい蕎麦屋で昼食を摂りビールの旨かった事。町中をぬけると綺麗に整備された石畳の道となつた。当時の物と違って観光用に整備したようだ。金谷坂、菊川坂を進み、小夜の中山峠さしかかり、キツイ登り坂である。登り切ると一面見事な茶畑が広がっている。静岡は流石茶所で新茶の季節である。見渡す限り広大な茶畑で一番茶、二番茶・・・・と摘む量に人間が良く飲むものと感嘆する。峠の急坂を下り越えると、日坂宿である。ここも小さな宿場で開発が進まず、当時の姿が残っているようだ。各家に屋号の木札が掲げてあり 面白い光景である。本陣跡は幼稚園になっていて入口の門だけが立派に復元されていた。暫く歩くと願事が叶うと言う 「事任八幡宮」が杉の大木で守られてあり、道中の安全を祈る。暫く歩くと掛川宿となり、今日の足止めとする。五時近くに着いたので、掛川城に行くも閉門、見学出来ず、遠くより城をカメラに収める。 |
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掛川は山内一豊が整備した城下町、「おせん 泣かすな 馬肥やせ・・・」一豊の妻の方が名高い。日本一短い手紙で良く紹介される。街中を足早に過ぎると、街道の松並木が続き、並木は日除けとなっていて、歩き易い。途中 富士浅間宮があり国の重要文化財になっている。富士山にまつわる宮は 浅間と言われるが・・・浅間とは??? 松並木を過ぎると袋井宿である。ここは東海道宿の27番目、丁度中間宿である。街道の街中に日本一小さな道の駅の茶店があり、「東海道ど真ん中袋井」の幟で宣伝客寄せ、お茶を接待してくれる。土産品もあり町興しに役所で管理している性か、親切な応対と案内は気持ちが良い。町は往時の面影は余りないが、ど真ん中宿と、茶店の印象が強い。一服して歩を進めると、すぐ見附宿に着いた。見附とはここで初めて富士山を目にした事から、地名の由来になったとか。街道筋には現存する日本最古の洋風木造小学校校舎があり、写真に収める。又 少し歩くと、姫街道なる道標があり、女性だけの街道なのだろうか ???天竜川を渡り
暫くすると、浜松宿である。今日は疲れていたのか、街中を見聞する元気も薄く、早々にホテルを探して体を休めた。 |
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