2005年10月
勤務地の市の大会にMIXダブルスに出場!この大会は、一昨年優勝!昨年三位!相性のいい大会だ。さらに今年は8月からこの大会に
向けて片道20kmを越える通勤路を週2〜3回チャリで通勤してやった。・・・・体力十分!負けるわけがないぜ・・・
しかし・・・・結果は初戦負け・・・・とりあえず反省することは反省した。もうイヤなイメージは捨てるのじゃ!ってことで
詳細カット!!!次は負けんぞぅ!!
こんな負け方して・・・次誰かが組んでくれるかどうか不安ではあるが・・・
2005年12月29日
今日は、会社のコートで練習をした。久しぶりに、ある程度人数が集まったので、ダブルスの試合をやった。・・・・やはり試合は久しぶり
だったので、仕方ないことではあるが・・「試合感」がまるっきり無かった。そして・・・もっと困ったことに、私の体がテニスに耐えら
れない。パートナーが、ポーチに出たので、俺は逆サイドに走る。・・・・逆サイドに走りポジションを決め止まる。・・・つもりだった
が、己の体重に左足が耐えきれず膝が抜けそうになり、咄嗟に右足に体重を乗せ替える・・・が、今度は右の足首というかアキレス腱の
あたりが悲鳴をあげる。このまま踏ん張ると、危険そうなのでわざとそのまま倒れ込んでその場はどうにかなった。
多少膝と足首は痛んだようだが・・・試合ができないほどではない。更に試合を続けたが・・・・左足を動かしているつもりが・・・
全く動いていない。そう・・・本人は動かしているつもりだが動いていない。当然コケる。・・・困ったもんだ。原因は当然体重オーバー
もあるだろうが、椎間板が、つぶれているせいだ!どうやら左足の神経を圧迫しているらしい。
この異変に気づいたのは、5年ほど前である。当時は、試合中など疲労が溜まると左足の反応が鈍くなるのを感じていた
程度であったが、時間が経つにつれ、悪化し最近では、
常に左足がしびれ気味で、疲れていなくても、常に左足の反応が鈍いし、歩いていても気をつけないと引きずっている様だ。
どうも症状が椎間板ヘルニアっぽかったので、先々月から医者に通っていた。しかし・・・医者では、椎間板のつぶれ具合は、
まあ大してひどくないと言う判断だった。しかし、つぶれ方によっては、大してつぶれていなくても神経を圧迫する事は、十分考えられる
らしい。大リーグエンゼルズ長谷川しげとし(漢字忘れた)に檄似の医者もたぶんそのパターンだろうと言う。まあ医者通いをしている位
なので、体が弱っているのはわかっていた。特に左足は、普段から神経が圧迫され完全な状態でないので、右足と同じように使っているつ
もりでも、実際はあまり動いていないので、筋力は落ちやすい。・・・弱っているのは十分承知していたが、ここまで弱っているとは
思わなかった。はっきり言って、今日の試合の状態を考えると、このまま続けていればいつか怪我をするのは、朝起きたら便所に行きたく
なるくらい当然のことだ!(我ながら微妙な比喩だ!)冷静に考えると・・・・俺はテニスができる身体ではない(>_<)・・・参った!
引退しなくてはならないのか??「別にそれでもいいかぁ」と思ったりする・・・今までテニスにおいて、いや、人生に於いて、ここまで
「もうだめか?」と思ったことはない。しっかぁ〜し!!俺はまだつぶれるわけにはいかん!!
人間の価値を決める基準は何かと聞かれたとしたら、間違えなく俺は・・・
「ダメだと思ったところから、どれくらい頑張ることができるか?」と答えるだろう。そう!これからが俺の真価が問われるのじゃ!!
なにより・・・まだ練習などで俺を頼ってくれる人もいる。ぬぅうぉおおお!燃えてきた!!!
頑張るぞぅ!!・・・っと無理矢理自分を鼓舞しつつも、頭の片隅に「無理?」という小さな文字が消えない現状がある。
2006年1月29日
今日も例によって、会社のコートで練習を行った。最近変わったことと言えば、嫁様が何故かテニスにはまりだしたことだ。
つきあいだした頃、数回・・・数十回かな?確かな記憶はないが、素振りだけはきちんと仕込んでおいた記憶がある。
その甲斐あってか?本人の運動神経がいいのか・・・・十年ぶりくらいでもそれなりに打てるようだ。去年の11月くらいから毎週練習
に来ているので、もう3ヶ月近く続いている。息子の駿太朗に邪魔されつつも、かなり一生懸命やっているので、最近では、
どうにか試合くらいはできそうな感じになっている。嫁様にとって問題は2つある!1つは、常に嫁様につきまといたい駿太朗の妨害!
それともう1つは練習相手だ。うちのテニス部は、初心者レベルがいない!というか・・・女子部員に至っては、全員日本リーグ出場経験者!
玉だし練習は可能だが、練習試合ができないんじゃ!!これからは嫁様のため?というわけで無く部の活性化を図るためにも
初心者勧誘に力を入れよう。
話は自分のことに戻そう。前回も書いたが腰の調子が芳しくない。現在はだいぶ回復してきた。腰から左臀部ハムストリングにかけての
突っ張り感があり、足が上がらない状態で走るにも走れない状態であったが、今日はだいぶ程度が良くなってきた。それなりには走れるように
なってきた。ただし・・・・やはり神経が圧迫されているので、筋力が低下していることは実感した。今までは、危険な状態になるまで
それすら実感する事ができなかったが、今日は、疲労で少しづつ筋力が低下していく感覚が感じられた。大きな進歩だ、また再発させないように
気をつけながら、治療していこうと思う。
2006年2月5日
正確な名前は忘れたが、市のテニス協会が主催する団体戦に、会社のテニス部員のお父さんの所属するテニスチームに助っ人として、参加した。
私は、全試合ミックスダブルスでださせてもらったが、ペアになった方が実力もありその上かなり頑張ってくれたため全試合かなり楽に
勝つことができた。私は、腰の調子もだいぶ良くなってきたが、まだ全力で走れる状態でないのでかなり抑えながら試合をしていたが、
相変わらず、スタートが悪い。一試合目は、1−2でリードされる場面もあった。このスタートダッシュの悪さはどうにかならないものか
?いつも思う。まあ・・・ただのアップ不足と、集中するまでに時間がかかるのが、原因なんだとは思う。
まあそれは置いておいて、ここのチームの人たちは、実に楽しそうにテニスの試合をする。勝っても負けても実に幸せそうだ、普通の
テニス愛好家はこうなのであろう・・・うちのテニス部は、勝ちに執着し、いつも目を血走らせている。まあどちらが悪いと言うわけでは
ないが、いつも張りつめた空気の中で(ちょっとオーバーだが)練習を行い試合をしている私から見ると、なにか少し堕落しているように
見えるが、非常に楽しそうでうらやましい。こういう雰囲気をだせば我がテニス部も部員が増えるのかもしれない。会社の方針で、実業団
の試合に出られない以上楽しいテニス部を目指すのが、筋なのかもしれない。(私としては、今のままで十分充実していて満足だが・・・)
2006年4月23日
仕事中に、テニスをいつも一緒にやってくれている背の大きいS氏からの電話が鳴った。練習日以外あまり電話をかけてこないS氏からの電話だけ
に、「何事か!」と思ったが、県のミックスダブルスの大会に一緒に出ようと言うことだった。当然S氏は男だ俺とミックスに出るわけには
いかない。この大会は、スポレク全国大会の予選で、30代40代50代の各年代に分かれて試合を行い、各年代の優勝ペアが県の代表として、
チームを結成し、全国大会に出場するというもので、S氏は40代代表を目指し、我々には30代代表になり、一緒に全国大会に行こうと
いうことだ。軽く我々と記したが、S氏は、私のペアまで指定してきた。そのペアは、去年の10月不覚にも市の大会で一没を喫したときの
Kさんである。あれから何となく一緒に試合に出ようと誘うのが悪くなってしまっていたし、Kさんは、先週の試合でいろいろショックを受
けていたようなので、誘ってもかわいそうかとおもって、この大会に一緒に出たかったのだが誘えずにあきらめていた。でも、Sさんに
誘われたのを勢いに、とりあえずKさんを誘うだけ誘ってみようかと心が決まった!!早速社内の非合法メールでKさんに連絡した。すると
「私なんかでよければ」と謙虚な答えが・・・俺の実力ではもったいないほどの実力を持つKさんが必要以上に謙虚な姿勢で返事をくれた。
やはり先週のショックから抜け切れていないのか?っと思いつつも俺なんかと出てくれると言う事に感謝し、できればKさんのショックを
取り除くような試合がしたいと思った。
2006年4月25日
スポレクの県予選の申し込みも急いで済ませたが、よく考えたら俺は病人というか怪我人?であるのをすっかり忘れていた。最近は、会社の
近くの長谷川しげとしに檄似の先生がいる病院には見切りをつけ、ちょっと大きめの整形外科に通っている。その医者でMRIも撮ったが
確かに椎間板はつぶれているが・・・・神経にさわっている様子もないし、神経に腫瘍ができている様子もない・・・だけど症状からして、
椎間板ヘルニアであることは間違えないとのこと。・・・・ちょっとこの医者もあやしい・・・
まあこんな状態なので、一向によくならない。試合まであと1ヶ月弱、思い切って医者には止められているランニングを始めてやろう。
どうせよくならないなら、多少でも足腰を鍛えておいて、いい状態で試合を迎えようと思った訳である。
2006年5月9日
走ったぜえぇい!今年のゴールデンウイークは・・・こんなに続けてランニングなんかしたのは何年ぶりだろう。最初は15分程度で2km走る
のが精一杯だったが、20分で3km位は走れるようにはなっていた。何より一番いいことは、左足のしびれが、違和感程度に快復し、動き
もスムーズになってきた。俺がランニングなんてしているとは知らない怪しげな医者は、「親指の筋力が戻ってるよ!」「このままリハビリ
続ければじきによくなるよ!」とかなりご満悦である。まあ言われるようにリハビリには通おう・・・ランニングも頑張って続けることにし
よう。
昨日の練習でもかなり調整がうまくいっていることが確認できた。体も動くし、サーブの勢いも昔のそれに近づきつつある。いい感じた!!しかし油断は
禁物!気を引き締めて、昨年秋市の大会で何故負けたのかもう一度反省し直してみることとした。まずは、アップ不足、それと・・・技術的
には間違えなく勝っていたので、他にも色々と要因はあると思うが、精神的動揺が大きかったのだと思う。あのとき俺はKさんと組むこ
とによってかなり安心していた。安心・・・を通り越して、油断になっていたのだろう。さらに試合前にも「自分のパートナーは間違
えなくこの大会で一番実績があるし実力もあるから大船に乗った気分で試合ができる。」っと思っていたし、実際口にしていた記憶がある。
これは、練習不足のパートナーにしてはプレッシャーになったことであろう。ともあれ・・・ミックスダブルスで、男が女におんぶに
だっこじゃ女性には荷が重すぎる。今回は、体調も回復している事だし、俺が試合を引っ張れるように頑張りたい。さらにトレーニングを
積んで、実力の高いKさんとの実力差を少しでも縮めて、最近自信をなくしつつあるパートナーの負担を軽減してあげて、さらに精神的に
引っ張って楽に試合ができるように・・・そして、自信を回復するきっかけがつかめるように頑張りたいと思っている。
2006年5月21日
今日はスポレク県予選だった。結果から言うとKさんのおかげで優勝できた。16ドローだったが、当然県の実績がない我々は、ノーシードなので
4回勝てば優勝だ、しかし・・・・一回戦の相手と,あろう事かその次の相手しかも第一シードがウオークオーバーで来ていない。朝受付した
時点でベスト4決定・・・・パートナーKさんは、試合がしたかったらしくちょっと残念そうだったが、練習に気合いが入りすぎて金曜日
から連ちゃんでオーバーワーク気味の我が腰にとっては願ってもない追い風だ!!準決勝は、相手がかなりいやらしく、遅い玉しか
打ってこない。俺もそうだが、Kさんはかなり苦労していた。でも、俺がミスらずに我慢していれば必ずKさんのタイミングは合ってくる
はず。合ってくればもう相手に付け入る隙はない。俺がミスらないように、Kさんが精神的に切れないように気を使いつつ・・・まあ俺が
気を使わずとも切れるような事はないと思うが・・・結局最後は、パートナーの豪快なストロークエースでゲームセット。
・・・頼りになります。
決勝は、先ほどと違って正攻法の相手だった。序盤はシーソーゲームだったが、中盤抜けだし楽勝モード7-2リードまでいった。しかしそれ
から2ゲーム連取されて、捲られモードに入ってきた。なんかパートナーが固くなっている感じがしたので、次の次が俺のサービスゲームだ
ったので、「次のサービスゲーム俺は絶対とる自信があるから、次のリターンゲーム思い切ってやってね。」と言う意味合いの事を言った
つもりだったが、うまく伝わらなかったのか、(話すの下手だからな・・・)根本的に考え方がよくなかった(たぶんこっちだと思う)次のリターン
ゲームに集中して試合を終わらせようと言うことになった。確かに・・・決められるときは決めるのが必要である。反省。結局前の試合と
同様にパートナーの猛烈なリターンが決まりゲームセット。・・・結局連休前にたてた目標・・・・「実力の高いKさんとの実力差を少しでも縮めて、
最近自信をなくしつつあるパートナーの負担を軽減してあげてさらに精神的に引っ張って楽に試合ができるように」は・・・
自己採点50点くらいかな。もっと俺には努力と精進が必要だ。・・・人のことを気にせずに自分のことを何とかしろと言われそうだが
優勝したことで、少しは自信を取り戻してくれたかな。そうであれば俺としてはこれとないよろこびになります。
試合後の反省で、やはり今回は俺は守りに回りすぎで、決める玉もつないでしまった。自分でもそう思ったし、パートナーにも指摘された。。
まず反射的に踏み込めるからだを作ろうと思う。秋の全国大会まで、ランニングを続けることを心に誓いました。
最後にKさん、去年惨敗したのにもかかわらず俺と組んでくれて有り難う!感謝します。またお願いします。
2006年10月25日
いや〜行ってきましたよ鳥取に、!何がすごいって、交通の便が悪いのなんのって姫路から「特急はくと」に乗るのだが、これが本数が少ない
その上「はくと」に乗らないと、鈍行乗り継いで倍以上の時間がかかるっていうからびっくりだ。鈍行は御免なので、時間を合わせて特急に乗った
が、・・・・本数が少ないので監督者会議の2時間前に着いてしまった。でも次の特急じゃ監督者会議に間に合わない。困ったもんだ・・・
そんなこんなで、ホテルに着いたが・・・・またこのホテルが怪しい・・・・まず・・・フロントのカウンターに誰もホテルの人間がいない。1分位して
関係者らしき人が入ってきてので声をかけると、なんと出入りの業者でホテルの人間ではなかった。しばらくして、支配人らしき人物登場!!!
「チェックインできないか?」と聞いたら「時間が早いからまだ無理です。」まあこれは当然だ・・・チェックインは16:00からというのに
14:00にチェックインさせろと言っているのだから。そこで,監督者会議まで時間がありすぎるので、ちょいとぶらぶらしようかと思い、
「荷物を預かってもらえないか?」と聞くと、「ああいいですよ。邪魔にならないところにまとめておいておいてください。」へ?
・・・耳を疑った。カウンター内に荷物を預かるのではなく、狭いロビーの片隅に放置して置けというのである。よく見れば先着した他県のチームの
荷物が放置してある。・・・しかもホテルの人間が常時居るわけでもなく・・・出入りの業者も勝手に入ってくる。
というか・・・だれでも勝手に出入りできる・・・・ほんきか?と思い固まっていると、一本の電話がフロントのカウンターに入る。
どうやら部屋の掃除が終わったのでチェックイン可能になったらしい。置き引きにまんまと獲物を献上するところだったが、どうやら
助かったようだ。まあこのホテルはこの後も数々の失態をこちらに披露することになるが、もう思い出しても仕方ないので、ここら辺で書くの
をやめてやろうとおもう。
試合はなかなか好調で、周りを見回して一番強そうな韓国Aチームに快勝したがその後の試合で気が抜けたか・・・佐賀に負けてしまった。
しかし、わが県代表チームはBst8という成績だった。
試合終了後2泊した怪しいホテルではなく、料金がそこより1700円高い温泉旅館に泊まった。しかし!!何だこの待遇の違いは!!荷物は部屋まで運んでくれるし、
飯が・・・・飯が・・・・飯がうますぎるぅう!!!!!!!!こんなうまい飯くったことねぇ!!!パートナーのKさんも
一口箸を運ぶ度ににんまりと見たことのない笑顔でご満悦・・・しかも温泉つき!!あぁ最初からここに泊まればよかった
・・・・まあ前泊の怪しいホテルは大会のオフィシャルホテルだから泊まらないわけにはいかなかったから仕方ないか・・・・
最終日は、鳥取砂丘に寄ってきた、らくだ君にも乗ってきた。砂漠をイメージすると少し拍子抜けするけど、前日強風が吹いたおかげで、人が歩いていないところは
風紋もしっかり残っていて、なかなかの景色だった。その後姫路で途中下車して、姫路城を散策して帰ってきた。・・・・テニスコーナーじゃなくて旅行記
になってしまったような気がするが、一生に一度しか出場できないこの大会で一緒に出場してくれたKさんに感謝いたします。
2006年11月12日
鳥取の興奮も醒めやらぬなか本日は隣県のMIXダブルスの試合に出場した。今回のパートナーは鳥取に一緒に行ったKさんではなくTさんである
そう俺は浮気者・・・ではなく今回はKさんにふられてしまったのである。といいつつも今回のパートナーのTさんも超強力です。
毎度毎度のことながら・・・・コートを見回したらやはり私のパートナーは、ダントツだ!しかし・・・結構男子のレベルは高い・・・俺は真ん中よりチョイ上くらい
の実力かな?
まあ細かいことは抜きとして、結果はベスト4でした。Tさんの実力から言ったら優勝しないといけないところだったと思う。敗因は当然俺様
である。まあTさんは優しいから別に怒っていないと思うけど(怒っていないけど次はない?)・・・帰りに焼き肉で許してもらうことにした。
どうでもいいが俺はテニスをやる人間として幸せ者だ、俺くらいの中途半端な実力しかない奴がビビリながらも声をかければKさんもTさんも
一緒に試合に出てくれる。普通ありえないことだ!ありがとう!おっさんは猛烈に感謝しております!!!
2007年3月18日
昨年県の代表として一緒に鳥取に行ったW夫妻のお誘いに甘えて「レインボーカップ」なる団体戦に出た。
鳥取で共に戦ったMyパートナーはご懐妊のためキャンセル(-_-;) 頑張っていい子を産むんだよ!!(^_^)/
試合形式は・・・MIXダブルス×2 女子ダブルス×1 男子ダブルス×1の4ポイント!?
4ポイントで行う試合も珍しい。2−2になったときは、獲得ゲーム数で勝敗を決めるらしい。・・・微妙だ。
当日はとても寒く、しかも河川敷なので強風が我が物顔で荒れ狂い、コンディション的には最悪な1日であったが、
我が(完全に借りてきた猫状態の私でしたが)チームはなかなかの精鋭揃いで見事優勝を果たした。そして優勝
賞品としてもらったのが・・・・70歳過ぎのおじいさんが、冬場これを着てこたつで寝ていたら見事にマッチする
おじいさんベスト・・・・(T_T)
まあ賞品はかなり厳しかったが、試合では元県ランキング一位の方と組ませてもらったりして、大変勉強になった。
・・・・当日・・・県のコートでは先秋一緒にMIXダブルスを組んで大会に出てくれたTさんも県のMIXダブルスを1ゲームも失わずに優勝しました。
さすがとしか言いようがない。
Tさんは、今年の一月で会社を辞めて、ストレスから開放されたようで、顔に輝きが戻ってきて生き生きとしている。少なくても
眉間にしわを寄せているあの頃とは別人のようだ。
同時にテニスの方も調子が上がってきたようだ。先週会社のコート練習マッチをしたとき感じたことというか再認識したが・・・
「やはりこの娘は・・・・ただ者ではない。」
俺であれば奇跡に近い様なポーチ(しかもローボレーの苦しい体勢)を難なくエースにしてしまう。
しかも2本連続・・・・彼女にとっては、ある程度身体さえできていれば、これくらい当たり前であることは、今までの戦績や監督として
見てきてきたことを考えれば容易に考えられるが、今回はそれを間近で肌で体感した。
つくづくこのような環境で練習や試合に出てもらえる自分に幸せを感じるとともに、Tさんをはじめ他のテニス仲間に感謝する。
コート内で近づくのも少しためらうような実力の差を感じて、
「最低でも・・・練習相手として満足してもらえる位にならねばいけないなぁ」とぼんやりとかんがえていた・・・
Tさんは「顔に輝きが戻った」・・・・のではなくコート内で発するオーラが戻ってきたのかもしれない。
2007年4月15日
今日は近隣の町のMIXダブルスの試合に出た。今回のパートナーは、いつも実力の低い俺に頼まれてもいやな顔ひとつせず一緒に試合に出てくれる
慈悲深いマリア様のようなKさん&Tさんではないのである。今回はなんと・・・Kさんが御懐妊したのを聞きつけ今がチャンスとばかりに、なんと「向こうから一緒に出てください」
と申し込まれてしまったのである。
こんなことは初めてだ・・・・「ふっつ!向こうから頼まれるとは・・・俺も偉くなったもんだ・・・・」
ただ・・・頼まれたのは、Sクリニック院長婦人、うちの母親より少し若いくらいの方で(-_-;)
まあ本音を言うと・・・「K様は御懐妊で無理だし・・・とりあえずTさんにきいてみて、だめだったら最近めっきり顔を見せなくなったY嬢を
コートに引き戻すために誘ってみるか・・・・」と思っていたが・・・・
まあ毎年助っ人で出ている試合で同じチームになり、かれこれ6試合くらい組ませてもらったことがある方なので、実力もわかっていたし、
おば様?というだけで断るほどおれも偉くはなっていない。しかも組んだ試合は全勝負けなし!断る理由もなく即OKしました。。
試合結果は当日決勝まで7試合・・・ヘロヘロになるかとおもったが、何故か決勝まで元気でした。しかしよく考えると・・・俺が元気ということは・・・
パートナーがかなり頑張っていた証拠・・・緒戦から、派手に試合をしてしまったので、当然女性の方にボールは集められる・・・・
やはりヘロヘロになっていたようだ。結局決勝で負けてしまい私たちの連勝記録も12で終わってしまったが、賞品もそれなりにいいものをもらえたので
我輩は満足であった。
・・・満足であったが・・・・何かが違う・・・
・・・Kさん出産後は早々に復帰できるかな?まあある程度赤ちゃんも育てないと試合はできないかな?おっさんは待ってるぞ〜