委員長の思い   


 私がバンジョーという楽器に出会ってから23年になります。
 バンジョーを手にしなかったなら、今の私はありません。
 京都で大学時代を過ごすことも、アメリカで皿洗いすることも、
サウスクロウ・マウンテニアーズやブルーグラス・クリニック・バンドでバンジョーを弾くことも、
アリソン・ブラウンと友達になることも、
あの時バンジョーを手にしなければありえませんでした。
 そうしてたどり着いた今回の『ABQコンサート』について、
ブルーグラス月刊誌「Moon Shiner」3月号に掲載された私のお話を抜粋してみました。



 『アリソン・ブラウンと初めて会ったのは1990年のテルライド・フェスでした。名前だけ知っていたのですが、 演奏は聴いたことがありませんでした。
 同年代だということが分かったので、彼女がアリソン・クラウス&ユニオン・ステーション(AKUS)でどんな 演奏をするのかとても興味を持っていました。当時のAKUSは、ティム・スタッフォード(g)とアダム・ステッフィ(m) を擁して、とてもソリッドなブルーグラス・バンドで、アリソンは愛用のステリングでバリバリ弾いていました。 話をする機会に恵まれ、アラン・マンデ好きで一致したことが印象に残っています。
 秋のフォローズ・キャンプ・フェスで再会、私の事を覚えていてくれ、間もなく初ソロCDが出ることを 教えてくれました。このフェスのAKUSのステージではまだ10才だった、今をときめくクリス・シーリが招かれて、 "Wheel Hoss"を演奏しました。この当時の南カリフォルニアはクリスをはじめ、同じニッケル・クリークのメンバー、 サラ&ショーン・ワトキンスやフィドルのゲイブ・ウィッチャーら、子供たちが大人に混じって活躍していました。 彼らと同世代のシャンクマン・ツインズはまだレッスンを始めたばかりでした。
 アリソンの天才少女時代もかなりのものでした。1970年代後半のナッツ・ベリー・ファームでの バンジョー・コンテストにて、1位:アリソン、2位:パット・クラウド、3位:ヴィンス・ギルという記録が 残っています。このメンツ、今でもスゴイ。
 その年の暮れに、思いがけずアリソンから初ソロCD『Simple Pleasures』が送られてきました。聴きながら 感激で鳥肌が立ちました。
 中でも"Leaving Cottondale"という曲には、そのテクニック、センスあふれるコード進行、曲の構成、 メロディーライン等、すべてに圧倒されてしまいました。「この曲が大好き」であることを彼女に伝えたい、 という思いが、いつの間にかツイン・バンジョーのアイデアとなり、ラジカセ2台でセルフ・オーバーダブした テープを、翌年のサンタ・マリア・フェスで彼女に聴かせることができました。
 『It's cool, It works』ととても喜んでくれて、バックステージで早速合わせてみました。そしてAKUSが "Leaving Cottondale"をステージで演奏してくれたのです。
 ‥‥これが始まりなのです。私は誰にも負けないアリソン・ブラウン・ファンなのです。

 この年、91年7月に帰国した私は、夏の宝塚フェスで"Leaving Cottondale"を演奏するバンドを見て、 「日本に"Leaving Cottondale"を弾く女性(少女)バンドがある」とアリソンに報告しました。 中島ファミリー・バンドでした。
 10月には熊本のカントリーゴールドでAKUSと共に初来日したアリソンと再会しました。「アルバム 『Simple Pleasures』のTAB譜集を作るので手伝ってほしい」という申し出を受けて、数曲コピーすることに なりました。また、このTAB譜集には私のアレンジの"Leaving Cottondale"のハーモニー・パートが掲載されて います。また、翌年の箱根フェスのコンベンションには、TAB譜集の販売促進という名目で、ウォークマンに 録音したメロディーパートとハモる、というネタで出場しました。
さて、カントリーゴールドのバックステージでは、サブさんのセッティングでアリソンと中島ファミリーバンドの 対面がありました。中島ファミリーバンドの演奏する"Leaving Cottondale"を聞くアリソンの笑顔。後の 中島シスターズのアメリカ行きのきっかけとなる出来事でした。
1997年5月にアリソンとゲイリー・ウェストが来日した時には「追っかけ」として宝塚フェス、朝霧フェスに出かけ、 ずうずうしくもステージでアリソンとツイン・バンジョーを弾いてしまいました。

 2000年、アリソンから「ごつい男性ミュージシャンを集めてアルバムを作った」とメールが来ました。 「そして"Leaving Cottondale"を最録音した」とも書いてありました。
 しばらくして届いたCD『Fair Weather』にはベラ・フレックとの超絶ツイン・バンジョーが収録されていました。 これだけでも充分に嬉しかったのですが、このCD『Fair Weather』と"Leaving Cottondale"が、2001年の グラミー賞にノミネートされたと知って、舞い上がる思いでした。
 2001年2月、いよいよグラミー賞発表当日、仕事が手につかない私は自宅に帰ってテレビをつけました。 しかし、日本放映部分は有名どころの受賞しか放送しない模様。そこでグラミーのホームページに行ってみると、 そこには既に発表されたジャンルがアップデートされていました。
 ‥‥スクロールして「Best Country Instrumental Performance」まで表示されたところで深呼吸。
 ‥‥最後のスクロールをすると、そこには「Alison Brown with Bela Fleck」と。「ゲッ、グラミー 獲っちまった!」。かみさんに携帯電話で報告しながら、涙が出て来ました。10年前の思い付きが。 こんなことになろうとは‥‥。』

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