「正しく聞き分ける知恵」

中家 盾(栃木教会牧師)

聖書 列王記上2章10~12節、3章3~14節
    エフェソの信徒への手紙5章15~20節

 赤ちゃんの所有権を巡る裁判において、ソロモンが下した判決は「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ」(3章25節)というものでした。それに対して、一人は「裂いて分けてください」(26節)と答え、もう一人は「生かしたままこの人にあげてください」(26節)と答えました。厳密に考えるならば、この材料だけで判断することは難しかったはずです。しかし、ソロモンは「生かしたまま」と言った女性に赤ちゃんを引き渡しました。それは「わが子の命を守る為に、自らを犠牲にすることを厭わない者こそが親となるべきだ」といった知恵を示す為であったと考えられます。
 当然のことながら、知恵にも様々な知恵があります。年齢や経験を積み重ねることによって得られる知恵もあれば、「幼子のような者にお示しになりました」(マタイ福音書11章25節)と言われるような知恵もあります。自らの弱さや無力さを認め、懸命に神の御心を探し求め、人々の思いに寄り添っていく。そこに、成すべきことを成し遂げるのに必要な知恵が備えられるとも言えるのです。

 知恵がソロモンにもたらされることとなったきっかけ、それは「父ダビデ」(3節、6節、7節)の晩年にありました。自分は間もなく死のうとしている。それなのに、周りの者は皆、自分の王座を巡って権力争いを繰り広げている。父ダビデにとって、この状況は辛いものであったと思われますが、事の発端は父ダビデにあったのですから文句は言えません。むさぼり、姦淫、偽証、殺人、盗みといった数々の罪を引き起こしたバト・シェバ事件。それによってダビデ家は荒れ始めました。兄息子が妹娘を強姦するタマル事件。弟息子が兄息子を殺すアムノン事件。息子が父に反旗を翻すアブサロム事件等々…。このように奪う者は奪われる者となるのです。
 大切なことは「どんなに信仰的でないと思われることであっても、信仰的に処理する」という態度です。権力争いが繰り広げられる中、父ダビデが言ったことは「私の命をあらゆる苦しみから救って下さった主は生きておられる」(1章29節)ということでした。「全ての時と事柄を司っておられる神が、この私を赦し、救い、生かして下さる。もしそうだとするならば、私は何一つ憂うことなく死ぬことが出来るし、また、受け渡すことが出来る」と言うのです。

 ソロモンは父ダビデの最期を通して真の知恵がいかなるものであるかを悟ったはずでした。しかし、その彼がなしたことは、エルサレム神殿を建てることによって[力を集中する]ことであり、海外貿易を通して[富を蓄える]ことでした。その結果、民が重税と重労働に喘ぎ、武力やお金という偶像礼拝が入り込むようになり、ついにはイスラエルが分裂し、滅亡することになろうともです。
 しかし、なお言わなくてはならないことがあります。それは「それでも神は私たち一人一人に神の救いのご計画の一部を託して下さる」ということです。もしそうだとするならば、私たちは常に祈らなくてはなりません。「私は取るに足らない…者で(す。)どのようにふるまうべきかを知(らないのです)。…(だからこそ)どうか、…聞き分ける心をお与えください」(7節、9節)と…。ここに真の知恵があり、真の成長があることを心に刻みたいものです。

(2012年8月19日の主日礼拝)

説教集へ