「新しい天と新しい地」

中家 盾(栃木教会牧師)

聖書 ヨハネによる福音書13章31~35節
    ヨハネの黙示録21章1~6節

 もう既に、被災動物パネル展は御覧になられたでしょうか。そこでは、原発事故によってフクシマに取り残されることとなった動物たちがお腹を空かせ、病気になり、孤独を味わい、バタバタと死んでいった様子が映し出されています。中には、生き延び、子供を生み、増え広がった動物たちもいることでしょう。しかし、100μSV/h超の放射線量が確認される地に取り残されることとなった動物たちの未来は明るいものとはならないはずです。その中にあって、今、私たち人間に求められていることは、動物や植物などの自然によって私たち人間が生かされてきた事実に立ち返ることであり、これから先の未来を自然と共に模索していくことです。

 さて、ヨハネの黙示録はどのような書物なのでしょうか。5章以下には、巻物に施された封印が解かれるたびに「雹や火が降る」「海や川の水が死の水となる」などといった天変地異が起こった様子が記されています。これらの荒唐無稽としか言いようがない描写が二千年を経た今の状況と驚くほど合致する様を目の当たりにする中で、私たちは時代や人間の本質を見抜く教会の指導者ヨハネの洞察力の深さに感嘆させられる思いがします。
 中でも、「ヨハネの黙示録の記述には未来の希望がある!」という点は声を大にして言うべきでしょう。1節に出てくる「海」は、私たち人間がコントロールすることの出来ない世の混沌・闇・不毛を表しています。もし「海」に代わる「新しい天と新しい地」の到来を希望をもって語ることが出来るならば、それに越したことはありません。しかし、現実はそう簡単なものではありません。
 その点、ヨハネは偉大だと言えます。彼は信仰の目を通して、「海」を含んだ「最初の天と最初の地」が過ぎ去って行き、「新しい天と新しい地」がやって来ることを見もし、語りもしているのです。「全てのものが、世の流れに呑み込まれ、流れ去って行く中にあって、しっかりとした土台を築き、そこに橋を架け、道を敷き、未来への歩みを確かなものとしていく。その為には、全てのものの造り主であり、治め主である神のあり方に立ち返り、真の命に与ればよい」とヨハネは考えているのです。

 ただし、ヨハネも最初からこのような境地に立てていた訳ではありません。この時、ヨハネは「ローマ帝国からの迫害によって仲間の信仰者たちが次々と殉教の死を遂げる」「自らも島流しの憂き目に遭う」などといった[外]からの問題にさらされていました。しかし、その中で、ヨハネは考えたのです。「本当の問題は、迫害に負けて、獣や竜に迎合したり、時に、自らが獣や竜そのものになってしまう[内]からの問題にある」。そのことに気づいたヨハネは言うのです。「日々の小さな信仰の戦い・葛藤から目を背けるな。信仰の道から脱落するな。初めからの教えを守り行え。そうすれば、神は日々の小さな信仰の戦い・葛藤の中にこそ見られる『新しい天と新しい地』を確かなものとして与えてくださるに違いない」。
 混迷を極める今日の歩みの中にも、神の確かな導きがあり、その出発点にキリストの愛による犠牲がある。そのことを礼拝毎に受け取っていく中で、私たちのなすべき務めは明らかにされていくことでしょう。

(2013年4月28日の主日礼拝)

説教集へ