白い雪まいおりた



 「…ふん、馬鹿馬鹿しい」


 ベッドにどかりと腰を下ろした美貌の持ち主から、不機嫌な呟きが発せられる。
 眇められた紫暗の瞳が硝子の窓越しに見下ろしているのは、金や銀、赤や緑や青などで煌びやかに装飾された、 賑やかな街の大通りだった。

 忙しなく行き交う誰もがその表情を、明るく輝かせている。
 朝から厳しく冷え込んでいる曇天の代わりに、まるで地上で瞬く星々のようなイルミネーションに照らされて 、街全体がきらきらと光を発しているようだ。
 『今夜』という特別な晩のせいか、それぞれに色とりどりの服を着込み、寒さに身を縮めながらも皆、真っ白な息を 吐いて、幸福そうな笑顔を零している。


 その街の様子を暫く眺め下ろし、三蔵は軽く鼻を鳴らして、観ていた景色から目を逸らした。
 「ふん…、俺には関係ねえ」
 再び呟くと、近くのサイドテーブルの上に乗っているマルボロの箱とアルミの灰皿を引き寄せ、袂から取り出した愛用の ジッポで火を点けて一服を始める。

 二、三度煙を吐き出した所で不意に、部屋のドアをノックする音が聴こえた。



 「……三蔵、戻りました」
 続けて聴こえてきたのは、聴き慣れた穏やかな口調の男の声。


 「随分と早いじゃねえか。もう飯は済んだのか?」
 「いえ。折角ですから、貴方と食べようと思って。お店で包んで貰いました。ほら」
 その男…八戒がすらりとした長身に頭から纏っていた、防寒用の薄汚れた茶色のマントをばさりと外すと、腕の中に 大切そうに抱えられた、籐で編まれたバスケットが現れた。
 八戒は窓際のもう一つのテーブルにそっとそれを置き、バスケットの上に掛けられていた薄いピンク色の布を取って みせる。
 籠の中には様々なご馳走が、見た目も綺麗にぎっしりと詰められていた。
 「ね、美味しそうでしょう?定番の七面鳥の焼き物に、サンドイッチに…、勿論、苺のショートケーキも、シャンパン だって揃ってますよ」
 にこにこと笑顔を向けながら、八戒は早速いそいそと取り皿やらシャンパングラスやらを用意している。

 三蔵は軽く眉間に皺を寄せた。
 「俺は要らん。お前一人で食え」
 「え〜、そんな事言わないで一緒に食べましょうよ。貴方の好きなツナマヨのサラダもありますよ?」
 迷惑そうな三蔵の渋い表情などお構いなしに、八戒は勝手に手際良くテーブルのセッティングを終えてしまう。
 しかもご丁寧に、何処から持って来たのか、並べられた料理の真ん中には金色の蝋で作られたキャンドルまで 灯っている。
 「ほら、三蔵。折角のクリスマスイヴなんですから。そんな不機嫌なカオしないで下さいよ」

 「……あのな、八戒」
 浮かれている八戒を一瞥し、眉間を指で押さえながら三蔵は、深い溜め息と共に言葉を吐き出した。
 「以前にも言ったと思うが、お前は俺の属している立場ってのを理解している筈、だろう?」
 「ええ、勿論。重々承知の上ですよ?」
 「…だったら!」
 三蔵は声を少し荒げ、苛々と、吸っていた煙草を灰皿に押し付ける。
 「俺が何で、異教の教祖の誕生日をわざわざ祝わなけりゃならねえんだ?俺にとっては今夜はいつも通りの夜に 過ぎん。だから、『特別な食事』を摂る理由なんざねえんだよ」
 「またそんな意固地な…」

 八戒は苦笑しつつ、程良く冷えたシャンパンの瓶を手に取り、コルクをオープナーで緩めてから小気味良い音と共に 栓を天井に向けて飛ばす。そして二つのグラスにそれぞれ、三蔵の髪と同じ色の液体を注ぐとそっと、相変わらず ご機嫌斜めな三蔵の前にその片方を置いた。
 「別に良いじゃないですか、美味しい料理や美味しいお酒が味わえるんだったらそれはそれで」
 「煩え、黙れ」
 「釣れないなあ。このシャンパンだって、年代物を奮発して…、…あ。」
 ふと、八戒が窓の外に視線を移して柔らかく微笑む。



 すっかり闇に覆われた窓の外は、それでも今夜の街の明かりに照らされてぼんやりと灰明るく煙っているように見えた。  その、紅い枠で装飾された中に嵌まっている硝子の向こうを、微かに何かがさらさらと撫でる音が聴こえる。
 八戒は、すっと窓の傍に近寄っておもむろに窓枠に手を掛け、鍵を外して静かに押し開けた。

 途端に八戒の顔を、冷たい微風と凍った綿のような感触のものが何度も触れていく。
 「雪…、ですね。どうりで冷え込む訳だ」
 この部屋のある、建物の二階に位置するその開いた窓から身を乗り出すような格好で、八戒は思わず降りしきる雪に 見入ってしまっていた。



 ベッドに座ったままの三蔵は、そんな子供のような優男の様子を暫く観察していたが、その内、折角暖かかった 室温まで下がってきたのにぶるっと身震いして、呆れたように彼に声を掛ける。
 「…おい、いい加減窓閉めろ。寒い。それにそんなに身体出してたら落ちるぞ」
 「あ、すみません。…あんまり綺麗だったもので」
 軽く首を竦め、身体を引いた八戒は元通りに窓を閉め、三蔵のすぐ隣に腰を下ろした。

 「あぁ、雪被っちまってるじゃねえか。髪が真っ白だ」
 仕方のない奴だな。と、三蔵は薄笑いを浮かべながら、戸外の冷気で顔をほんのりと紅潮させている八戒の、濃い茶の髪に 幾つも降り掛かっている小さな氷の結晶を、そっと指で払ってやる。
 八戒はそんな、自分に対する三蔵の珍しい行動に内心少し驚きながらも、これじゃまるで悟空と同じ扱いなんじゃないか、 とほんのちょっとだけ、むか、と腹を立ててしまっていた。


 雪を払いながら自分を見上げる紫水晶の瞳を数秒見つめると、八戒はいきなり、三蔵の細い躯を正面から両の腕の中に 閉じ込める。

 「おい…っ!?」
 唐突な八戒の行動に慌てて反射的に胸の中で暴れるそのリアクションさえ、八戒には愛しくて、でも少し憎らしくて 堪らない。
 「ねえ、三蔵。今夜、ご馳走を頂く名目が出来ましたよ。今年最初の、初雪を記念して…、ってのはどうです?」
 「もういい!何でも良いから、離せ!!八戒!お前の身体冷たいんだよ…!」
 抵抗したせいで呼吸を乱した三蔵を更にきつく抱き締めて、八戒はくすくす、と笑いながら真っ赤な耳元に、甘く蕩ける ような睦言を吹き込むのだった。


 「…じゃあ、食事が終わったら。温かくなるコト、しましょうか。YESと言ってくれないと、料理より先に貴方を 美味しく味わってしまいそうです」
 「ふざけんじゃねえっ!!」

 健気に無駄な抵抗を続ける可愛らしい人を抱きかかえたまま、八戒は、更に文句を浴びせようと開いた艶やかな唇を、 自らの熱い唇で塞いでしまう。




 …やがて、優しくて熱いキスに溺れる三蔵が八戒の広い背中に腕を縋り付かせる頃。
 何処からか、教会のミサの始まりを告げる鐘の音が、ひんやりした窓の外から微かに響いてきていたのだった。


【フェイド・アウト。】