今までも、これからも
上半身にきっちりと巻かれた白い包帯を眺めて、三蔵は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「これで良し、と。後は安静にしてて下さいね、折角塞いだ傷が開きますから」
八戒は、ジーンズしか身に着けていない、半裸の状態の三蔵に宿の浴衣を羽織らせながらやんわりと釘を刺す。
三蔵の血で所々赤く染まってしまった法衣を洗う為、八戒は部屋に設えられたユニットバスの室の中に入って行った。
バスタブに少しだけ湯を張り、そこに洗剤と汚れた法衣を浸しているうち次第に、泡にまみれた湯の色がうっすらと
赤くなってくる。
「……っ。」
不意に、八戒の眉間に皺が寄り、形の良い唇を軽く噛んでいる。
本来なら純白の筈の、三蔵の衣。
それが、彼自身の血で染まるのを視てしまう度、やはり八戒の胸が痛むのだった。
今回の三蔵の怪我は命には別状はないし本人も至って元気だけれど、彼が腹と背中に受けた傷は、実は結構深い。
いつものように行き先を刺客の妖怪に阻まれ、戦闘に入った一行だったのだが、ちょっと油断した隙に三蔵が前後から刀で
ざっくりと斬り付けられてしまい、刺客共を一掃した後八戒が慌てて気功で傷を塞いだのだが、その間にかなりの失血を
させてしまった。
もっとちゃんと彼の傍に居て、出来るだけ怪我を負わせないようにしなければ。
そう、八戒は心の中で改めて自分に言い聞かせながら温めの湯の中に腕を突っ込み、バスタブの前に屈み込んで
大切なひとの衣を丁寧に洗い始めた。
暫くひたすら洗濯を続けていると、不意に部屋の方から何かが落ちるような物音がする。
嫌な予感を感じて、バスルームのドアから八戒が首を伸ばして様子を伺うと、案の定、ベッドから転げ落ちたらしい
三蔵が、痛みに低く呻いていた。
八戒は泡まみれの手を流し台で軽く洗い流して、溜め息と共に、床に倒れ伏している三蔵を抱き起こしてやる。
「……何やってるんですか、貴方は。動かないで下さいって言ったでしょうに」
「煩ぇ、風呂に入ろうとしただけだ」
「お風呂、ですか?」
八戒が視線を上げた先には、引き戸の硝子窓越しにほんのりと湯煙を立ち上らせている、小さな岩造りの露天風呂
が鎮座していた。
「…その怪我で入ったら結構沁みると思うんですけど、良いんですか?」
「平気だ。大体、この温泉宿には湯治の為に逗留を決めたんだろうが」
「それはそうですけど…、確かに、どんな怪我にも効くって女将さんも胸を張ってましたし」
少し考えて、八戒はいきなり三蔵の躯を抱き上げて器用に窓硝子を足で開け、その露天風呂へ連れ出す。
「おい、八戒!!」
湯を囲んでいる岩の一つに座らせ、腕の中で抗議する三蔵の身に付けているものを手際よく剥いだ八戒は、
自分も着衣を脱ぎ捨てて洗い場からタオルと桶を持ってきた。
「僕もご一緒します。貴方は何もしなくて良いですから。全部洗って差し上げますよ」
「いい、自分で出来る!」
顔を朱に染めて言い張る三蔵に、八戒はきっぱりと却下する。
「駄目です。貴方、満足に動けてないじゃないですか。今夜この部屋に同室してるのだって、僕が責任持ってお世話する為
なんですから」
毅然とした態度を取られてしまうと、流石の三蔵も諦めるしかなかった。
「……ふん、ちゃんと綺麗にしろよ」
「勿論です。任せて下さい」
漸く三蔵を大人しくさせる事の出来た八戒は、満足そうに笑みを浮かべながら甲斐甲斐しく、奉仕し始めた。
三蔵には脚だけ湯に浸して貰って、肌理の細かい、艶やかな光沢を放つ白い膚を優しく、石鹸を付けたタオルで
拭う。
湯船を汚さぬよう気を付けながら、時々、冷えた躯を温める為にそっと湯を掛けてやったりして、八戒は三蔵の躯を
磨き上げた。
最初に八戒が湯を掛けた時は、やはり傷口に温泉が沁みるのでその痛みに堪える呻きを漏らしていた三蔵だったが、
次第にそれにも慣れてきて、そのうち殆ど痛みも感じなくなる。
丁寧に全身を洗われて、最後に髪を優しく濯がれている時、くすくす、と三蔵は忍び笑いをするのだった。
「…何か?」
「いや…、これじゃあお前、本当に下僕じゃねえか、と思ってな」
湯船に肩まで浸かって、すっかりご機嫌な三蔵は真上にある八戒の顔を見上げながら、更ににやりと笑ってみせた。
「別に『下僕』でも結構ですよ。でも『優秀な下僕』でしょう?」
八戒は笑みを唇に浮かべながら、至極繊細な指遣いで金糸の髪を扱っている。
まるで絹糸のような輝きのそれを、優しく白いタオルが包んでそっと水気を拭い始めると、三蔵は思わず、気持ち良さ
そうに目を閉じていた。
ひとしきり髪を拭くとタオルが離れ、簡単に櫛が入れられる。
あらかた整え終わって、頃合いを見計らって三蔵が目を開けようとした途端、上向いたままの三蔵の唇が突如、柔らかい
ものに勢い良く塞がれた。
「んんっ…?!」
驚いて瞳を開くと、至近距離には八戒の顔がある。彼の息は既に荒く眉間に皺まで寄っていて、実はこうして接触する
のを必死に我慢していたのだと、その時やっと三蔵は悟ったのだった。
衝動的ではあるが自分を確かに想う気持ちの籠もった激しい口付けに、三蔵は自然と躯の力を抜き、ただ八戒の行為に身を
任せる。
「…すみません…三蔵」
暫くして三蔵から唇を離すと、八戒は小さい声で詫びてきた。
「何故、謝る?」
対して、穏やかな口調で問う三蔵に、八戒は俯いて、申し訳なさそうな声で応える。
「だってこれじゃまるで、最初から貴方の躯が目当てだったみたいで…」
「違いねえだろ」
三蔵はあっさりと言ってのけた。
「別に、そういう下心があったわけじゃ…」
「全く無かった、訳でもないんだろう?」
「そんな…」
八戒が困った表情で自分を見下ろすのを、三蔵は少し、愉快そうに唇を歪めている。
「俺の怪我を早く治したいんなら、手っ取り早い方法が有るんだろうが。…来いよ」
「…え…?」
三蔵の紫水晶を悪戯っぽい光がしっとりと彩っていて、思わずその輝きに見とれてしまった八戒は、不意にぐい、と
強く自分の腕を引いた彼のすぐ傍、湯船へとそのまま頭から落ちていた。
何するんですか、と抗議しながら熱い湯から顔を出した八戒は、目の前に居た三蔵に抱き付かれ、今度は彼からの
口付けを受けるという嬉しいサプライズを貰った。
「お前の躯から直接、気を寄越せ。此処は離れの造りになっているから、多少羽目外したって誰にも邪魔されねえだろ」
八戒の翡翠の瞳がぱちぱちとしばたたかれ、やがてその眼がすうっと細められる。
「良いですよ?…もしかして、さっきまでのご奉仕の、ご褒美とかですか?」
「これが、か?さあ、どうだろうな」
妖しい笑みで、上目に見上げてくる三蔵の誘惑に堪らず、八戒は包帯を巻いたままの彼の細い躯を抱き竦めた。
薫り立つような首筋に吸い付きながら、八戒は上気した耳元に甘く蕩けるような口調で囁く。
「僕の生気なんて幾らでも差し上げますよ。貴方の躯に付いた傷もすぐに綺麗に無くしてあげます」
やがて、しっとりとした湯煙と静かに水音の響く中、三蔵と八戒の密やかな戯れの声が甘く溶け合っていく。
「……ねえ、三蔵。ちゃんと覚えていて下さいね。こうしていつも、僕が貴方の傍にいつでも居るって事を」
八戒がそっとそう呟くと、三蔵は吐息混じりに、ああ、とだけ応えていた。
【了】
※こちらはリクエスト下さったぽち子様のみ、お持ち帰り可とさせて頂きます(文章のみ・壁紙画像は不可)。