sweet heart
その日の三蔵は、朝から何やら難しい顔で考え込んでいる様子だった。
いつものように朝食後に街を出立し、いつものように刺客達の襲撃を受けたが皆で協力(?)してあっさり片付け、
これもいつものようにほぼ予定通り、昼過ぎには次の街に到着して八戒を交渉係にし今夜の宿の手配などしている間にも、
妙にいつもにも増して口数が少なく、何度も溜め息まで漏らす始末で。
一先ず宿を確保した一行は、夕飯時には少し早い時間に揃って夕食を摂る事にした。
酒場も兼ねている、宿の食堂のテーブルの上に悟空と悟浄が競い合うようにして、大量の料理を平らげた皿の山を
見る間に築き上げていくのをぼんやりと眺めながら、金の髪もまばゆい美貌の眉間には、やはり皺がくっきりと刻まれて
いたのだった。
食後の一服を味わいつつ、紫煙と共に溜め息を吐き出した三蔵は、やがておもむろにテーブルの上のルームキイを掴むと、
椅子から立ち上がった。
「……先に、部屋へ戻る。後は適当にやってろ」
法衣の袂からカードを取り出して八戒に渡すと、八戒は受け取ったカードをそのまま悟浄の前に置いて席を立つ。
「三蔵、僕もご一緒します」
「…ふん……」
鼻を鳴らして八戒を一瞥し、そそくさと部屋に戻って行く三蔵を足早に追いながら、八戒が悟浄を肩越しにちらりと
見遣って目配せすると、得心の意を含んだウインクが返って来る。
思わず、八戒の唇には笑みが浮かんでいた。
「三蔵?先にお風呂、使いますよね?」
「あ、いや…、今夜はお前が先に使え」
部屋に入るなり三蔵は、二つ並んだベッドのうち窓際の方に腰を降ろして、相変わらず何事か考え事に耽りつつ、窓の
外をぼんやり照らす下弦の月を見つめている。その三蔵に八戒は、いつものように柔らかく入浴を促すが、常ならばまず
先にバスルームを使いたがる彼の人は、珍しく今夜に限って自分が後にする、と言う。
八戒は訝しげに、ちょっと首を傾げなどしてみながらも素直に、着替えと浴用品を入れた布袋を荷物から取り出した。
「じゃあ、お言葉に甘えて。お先にお風呂、頂いてきますね」
「…ああ」
ぼそりと低い声で生返事、のみの三蔵の様子を横目でさり気なく伺い、また、窓枠に肩肘を乗せて気怠げに頬杖を突いて
いる姿に軽く眉根を寄せた八戒だったが、静かにバスルームのドアを開け、中に入っていった。
それから三十分足らずして。
八戒は、汗と埃を洗い流して、宿に備え付けの清潔な白いバスタオルで髪を拭きながら、バスルームから出てきた。
ドアの開く音にぴくりと躯を跳ねさせ、風呂上がりの長身の姿を認めると、三蔵はゆっくりと、窓に凭れていた顔を
上げた。
「お先に頂きました~。お次、どうぞ?」
「ん、…ああ…」
漸くのろのろとベッドから降り、自分の荷物から浴用品の入った小さな巾着袋を探り出した三蔵は、心配そうな八戒の
視線をその背に受け、バスルーム内に姿を消していった…。
小一時間程、経っただろうか。
いつもの如く長風呂の三蔵を見越して、自分のベッドに座り込み愛読の文庫小説本を読んでいた八戒は、バスルーム
から戻って来た彼の気配に気付いて、本に栞を挟み込みつつ、そちらを向いてにっこり微笑んだ…、つもりだった。
「何か飲みますか、三…っ……?!」
しっとりとした湯気を痩身に纏った三蔵の、そのナリを一目見た途端、八戒の顔全体がかあっと熱くなっていく。
「な…、何て格好してるんですか、貴方は?!」
八戒の声がつい裏返ってしまうのも、無理はないだろう。
当の三蔵の姿といったら、風呂上がりそのままの裸身に直接、法衣のみを羽織っているだけ…の、大胆この上ないもの
だったからだ。
激しく動揺している八戒を他所に、俯き加減で三蔵はそのまま、八戒の目の前まで近付いて来る。
ベッドの上で、ベッドヘッドに背中を預けて座っている八戒の更に近くへと…ベッドを上がり、手を伸ばせば届く距離
にまで三蔵は近付いて来て。
向かい合わせの状態で、真っ白なシーツの上に三蔵はぺたん、と座り込んだ。
「…さ、三蔵…?」
先程からずっと、黙ったままの三蔵の顔を恐る恐る、八戒は覗き込む。
三蔵は、その端正なカオを俯かせながら、唇を軽く噛んで頬をほんのり朱くさせていたが…、やがて、意を決したように
上目遣いで八戒を見上げ、漸く口を開いたのだった。
「……八戒」
「はい?」
「今日の日付け…、判るか?」
「え、今日、って……、9月…21日……、…あ!!」
「…そうだ。確かお前の誕生日、だろう?」
「ええ…、すっかり忘れてました…」
まさか、貴方が僕の誕生日を覚えていてくれただなんて、と、八戒は不意打ちを喰らって嬉しそうに顔を真っ赤に
染めたりしている。
「そうだろう?だから……、今夜は俺を、お前にくれてやるよ」
「……は……?!」
八戒は、思わず眩暈を覚えていた。…何を言い出すんだ、この綺麗な人は?
「俺は真面目に言っているんだ。実は今日一日、…朝からずっと、考えていた。お前の誕生日くらい、お前の為に、
俺がしてやれる事はないか、と」
「…僕の、為に?貴方が…?」
「ああ。散々考えたが…、碌な事が思い付かねえ。結局、ようやっと考えあぐねた結果が…、これだ」
恥ずかしそうに、三蔵は八戒のすぐ傍に、しなやかな右脚を伸ばしてみせる。
すると…、細い足首に、エメラルドグリーンのシルクのリボンが、蝶結びの形に結び付けてあるではないか。
「余りにも、ベタ過ぎるとは思うがな。でも…、今の俺にしてやれる事は、こんな事くらいだ」
―笑ってくれるなよ、と続ける三蔵の言葉を最後まで聞かないうちに、八戒は咄嗟に腕を伸ばして三蔵を胸の中に
閉じ込め、深く唇を塞いでいた。
「ん、…っふ…」
いきなりきつく抱き締められて驚いた三蔵だったが、八戒の情欲の籠もった口付けを受けているうち、うっとりと
溶かされずには居られなかった。
丁寧なキスに、つい身を任せてしまう。
長い、長いキスからゆっくりと解放され、既に夢見心地な気分にさせられた三蔵の耳元で、更に八戒は甘く熱い言葉を、
掠れた低い声で囁いてくる。
「そう言う事でしたら、有難く頂戴しますよ。…ねえ、もう僕が貰ったんですから、これ…、解いて良いんです
よね?」
三蔵の、甘い香りの立ちのぼる首筋に唇と舌を這わせつつ、八戒の長い指がくい、と、蜜のような膚をゆるりと覆う
白い法衣の裾を摘んで引っ張る。
すると、赤面しながらも小さな頭がこくん、と頷いた。
くすくす、と密やかに笑って、八戒の指は包装を丁寧に解くかのように、三蔵の滑らかな膚から衣を滑り落とし、
窓際のベッドの方へ放り投げる。
自らも邪魔な衣服を脱ぎ捨て、淫らな予感に全身を微かに震わせている三蔵を、八戒はそっとシーツの上に押し
倒す。
思いも掛けぬ極上の贈り物を手に入れて、さてどうやって余す所なく味わい尽くしたものか、と、つい獣のように
舌舐めずりせずには居られない。
―そして、三蔵の足首を飾る深い緑色のリボンが、少し欠けた月の光を浴びて艶やかな光を煌かせ、軽やかに踊り
始めていたのだった。
【HAPPY BIRTHDAY DEAR HAKKAI!】
※初出・オフライン83既刊コピー誌「ブランケット('04.9.19発行・完売済み)」より。加筆修正有り。※