都賀町の歴史紹介します


都賀町の歴史は古く、縄文時代からの遺跡や出土品が多く確認

されています。一番の歴史は、平安時代に日光男体山開山の祖

となった、勝道上人の故郷として有名で、当時の都賀町に華厳

寺を創建し繁栄を極めました。当時の華厳寺は金堂・僧房・観

音堂などの堂塔が建ち並ぶ大寺でした。今は、観音堂跡や礎石

大師堂が往時をしのばせています。・・・・・・・・・・・・

むかしの、おはなし

  で〜す

   (下図および写真は都賀町役場企画課所有のものです)                 

当時は、今の日光を凌駕する壮大な姿で圧倒していたことでしょう。もともと

都賀町全体が日光連山の麓をなし、扇状地の出口の様相で南東の方向に広がり

日のあたり方や方向性を見ても関東では当時から、最も住みやすく文化を築き

やすい地域だったと思われます。

そのため早くから豊かな生活が営

まれまた関東の要所と目され数々

の史跡がそれをしのばせます。

平安時代から戦国時代にはこの

地をめぐり、幾多の争奪戦が繰り

広げられてきました。その名残が

今の地名に残っています。

合戦場・升塚などがそれです。都賀町は、元々赤津村と家中村が合併して生まれた町で、

赤津村の名前の由来とも言える赤津は町西部を流れる赤津川と大きな関係があり元は、

赤津ではなく赤血川などと呼ばれ戦場に散った戦士の血で川が赤く染まったことからきて

います。そのため、住民は敵味方の区別なく戦死者を手厚く葬り、その史跡の多さが当時

の様子をうかがわせます。その後、第2次世界大戦では幸いにも戦火を免れ(近隣は大き

な被害を受けた)先の多くの史跡や寺社仏閣が数多く今も残っています。・・・・・・・・・・・・・・


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