東方の商人 >>   

 莫大な、と言っても男にとっては特に大金というわけでもないが、金貨を商人に支払った男は引き換えに手にした商品を見て、満足そうに、だがしかし無邪気に微笑んだ。
「旦那、いい買い物をしましたよ。もっと東の、そうだな、東の大国のコウシャナだったら今の2倍、いや、3倍で売れるでしょうからね」
 にやりと笑う商人は、代金にたいそう満足したようでずいぶんと対応が良い。
「いやだなぁ。どうせ西の闇市かどこかで安く買ってきたんでしょう?儲けてるのはむしろそっちのほうだ」
「ははは、そうでなくちゃこんな商売やってられませんよ」
「そりゃそうだ」
でも、いい物を手に入れた。と男は商人に聞こえないように言った。
商品にかけられた札をそっと見る。
『Iris 18』
鉄色のプレートに刻まれているのはただそれだけ。しかしそれだけの情報で満足したのか、男は一度肯き、商品を布でくるむとしっかりと持ち直した。
「じゃあ、また何かあったら」
 一言残して雑踏の中へ消えていく。
商人は残った金貨の重みを確かめながら、満面の笑みでそれを見送っていた。頭の中にあるのはこの金額の戻りがどれほど自分に回ってくるか、と言うことだけだ。
去っていった男の腕の中には眠らされた一人の金髪の少女。
東方最大の奴隷市場でもなかなかお目にかかれないほどの大金で売れて行った商品がどうなろうと、それは商人たちの知ったところではない。


 豪華なつくりの馬車が砂埃を上げて、首都郊外にある大きな屋敷の中に入っていく。
屋敷の中からは女中たちがしずしずとやってきて、ずらりと馬車の止まる位置に列を作る。
「「おかえりなさいませ」」
それが職務であると言うように声をそろえた女中たちに迎えられた男は、少女を腕に抱えたままにこりと笑い、ただいま、と言った。
「本日のお買い物はいかがでしたか」
女中頭にしては年若い女性が男に向かって尋ねた。あぁ、と男は誇らしげに少女を見せる。
「いい物を見つけた。」
「それはようございました」
「ああ、奥さん買ってきたよ」
「……さようでございますか」
少しの沈黙の後、女中頭は何とかそれだけを口に出す。
訓練された女中たちは決してそのようなことに驚いた様子は見せないが、それは表面上のことであり、元来おしゃべりで噂話が好きな彼女たちをいさめるのは女中頭である。そのことを考えるだけで彼女は気が滅入ってくるようであったが、それすら表に出すことはない。
「部屋は特に用意する必要はないけれど、ああそうだ、何人か彼女の服とかイロイロ。用意しておいて欲しい」
「はい。では何名かに衣装倉庫を探させましょう。服のサイズをご存知でいらっしゃいますか?」
「適当に何種類か。僕にはわからない」
「かしこまりました。他に何かご用意するものは」
「さぁ、思いついたらまた言う」
「かしこまりました」
女中頭は軽く頭を下げる。それに合わせてずらりと並んでいた女中たちも頭を下げた。
一通りの指示を出し、屋敷の中へと入っていこうとする男は気づいたようにふりかえり、女中頭に言った。
「そうだ、わすれてた。食事なんだけど、僕はしばらく部屋で取る。だから僕の部屋に二人分運んで」
「はい、かしこまりました。では厨房にはそのように伝えます」
「うん、よろしく」
にこりと微笑んで、男は今度こそ屋敷の中へと入っていった。
いまだ目で追える場所に主人がいるにもかかわらず、すでにおしゃべりを始めそうな女中たちににらみを利かせながら、女中頭はこっそりとため息をつく。何故ならそれは、これから女中たち、ひいては他の使用人たちの混乱を治めねばならないというのに、彼女自身が一番混乱しているからだった。



自室の寝台に横たわらせた少女は、砂埃で多少くすんでいるもののやはり美しかった。
「うーん、早く起きてくれないかなぁ…」
男や女中、そしてこの界隈に住むものとは違う、白い頬にそっと触れてみる。
瞳の色は何色なのだろう。どんな声をだすのだろう…。うずきだした男の好奇心はなかなか収まることを知らない。
「君と早く話してみたいんだ」
穏やかな表情で覗き込まれていることを、眠る少女は知る由もない。